「名前とデートってよく考えたら初めてじゃない?」

慣れた手付きでハンドルを切りながら笑う悟さん。その横顔を私は助手席で見つめながら、そうですねと頷いた。

昨晩、日付が変わる直前にこの帰宅した悟さんは、お疲れ気味だったもののとてもご機嫌だった。
その理由は簡単なこと。今日、休みをもぎ取れたからだ。帰宅早々、寝ぼけ眼の私に必死の形相で「ねえ!明日休み取れたよ!デートしよデート!!」と叫びながら肩をぐわんぐわん揺らしてきたから、私の眠気もその時ばかりはふらりと飛んでいった。

「嬉しいな〜!ずっとしたかったんだよね、デート」
「私も、嬉しいです」
「えっ」
「悟さん、忙しいから。二人で外出してゆっくり遊べる時間ってなかなかないですし。…嬉しいです」

私がそう言って笑いかけると、悟さんはニヤニヤ笑って「あんまり可愛いこと言うの禁止」と私の頭を撫でた。
自宅のマンションの地下には悟さんの自家用車が停めてあって、普段はほぼお互い乗らない。でも悟さんはさすが器用というか久々の運転も難なくこなしていて、もうそれで既に尊敬だ。こんな大きな車、私だとぶつけちゃうかもしれない。

信号が赤から青に変わり、緩やかに発進する。
あの夜、悟さんに初めて抱かれてから、私の中で悟さんへの気持ちは少しずつ大きくなっている。それまでは悟さんへのリスペクトはあっても、親しみや愛情はあまり無かった。無いように意識して、なくした、と言うのが正しいか。
それがあの日以降、自分の中でも大きく変化している。
悟さんが甘いもの好きだからと手作りでクッキーやお菓子を作ってみたり、遅くなると言われても何となく帰ってくるまで待っていたり。
悟さんのルックスやコミュ力をもってすれば、恋もまともに知らない私の心など簡単に揺らいでしまう。そしてもしかして、これが恋なのかもしれないなんて自覚し始めている。

「それでその時七海がさー」

大型SUVを買ったのは荷物をたくさん乗せたり、生徒を乗せたりするためだと聞いた。上質な革張りのシートに背を預けながら、悟さんの何気ない仕事の話や同僚の話を聞くだけで私は楽しい。と、同時に少し羨ましくもある。

「…名前?」
「あっ、ごめんなさい。…車に揺られてたら、ぼーっとしちゃって」
「眠たかったら寝ていいよ。もう少しかかるし」
「大丈夫です」
「本当に?」
「悟さんといられるのに寝ちゃうの、もったいないし」
「……」

ぴた、と車が止まる。前を見ると赤信号だった。悟さんがシフトレバーとサイドブレーキを引いて、サングラスを外した。突然ぐっと私の頬に手を伸ばす。引き寄せられるまま悟さんを見上げると、ちゅうと唇に吸いつかれた。キスされている。

前の横断歩道を歩く歩行者がちらりと私達を見ては目を逸らす。恥ずかしい、と悟さんの肩を少し押すと、唇はあっさり離れた。
悟さんの美しい瞳が静かに私を見下ろして、思わず顔が熱くなる。

「…悟さん、ここ公道です…!ダメです」
「ダメ?"嫌"じゃないんだ?」
「あっ」

私は悟さんの意地悪な問答に俯く。

「お前が可愛いこと言うから、悟さんもうメロメロなんですけど」

悪戯っ子のような笑みを浮かべると、悟さんはサングラスをかけ直してブレーキを踏んだ。シフトレバーとサイドブレーキの位置を戻す。

「…恥ずかしいです」
「何を今更。もっと恥ずかしいことしたことあるでしょ」
「そっそれは…!」
「はいはい、怒った顔も可愛いね」

よしよしと悟さんに頭を撫でられた瞬間、ゆっくりとまた車は発進する。不満そうな私の顔すら面白がって、悟さんはサングラスを押し上げた。












「海〜!」
「風がすごいです」
「気持ちいいね〜」

連れてこられた場所は江ノ島だった。
有名なデートスポットで、私も学生の時に友達と来たことはあるけれど、時期が違うし悟さんと来ると本当にデートという感じがして新鮮だ。
適当な場所に車を止めると、テイクアウトで買ったコーヒーを持って、悟さんは当たり前のように私に指を絡めて海までひとっ飛びで連れてきてくれた。
平日の昼間とあって人はまばらだから、まあ呪術使ってもそんなに問題はないかな。

「海来たかったんですか?」
「うん、デートと言えば海でしょ」
「そうなんですか」

意外とベタなこと言うんだ、と私が感心していると、悟さんが私にカフェラテを渡してくるので受け取る。すると悟さんは長い足を折り曲げて砂浜から何か拾い上げた。

「…お」
「何かありました?」
「これアレじゃない?シーグラスってやつ」
「本当だ」

霞んだ薄い水色のそれは、悟さんの大きな手の中に静かに鎮座していた。波に削られて角が取れたガラス片は、彼の手の中にあると随分小さく見える。

「そういえば、カリフォルニアにシーグラスだらけの海岸があるらしいです」
「何急に、雑学?」
「なんかこの前たまたまテレビでやってて」
「砂浜が全部シーグラスってこと?」
「らしいです」
「ふーん」

悟さんは興味なさげに手の中のシーグラスをぽいと投げると、それは静かに波打ち際へ放物線を描いて飛んでいった。ぽちゃん、と静かに波の中に落ちる。きっと今頃海中を揺蕩っているのだろう。

「行ってみたい?」
「うーん、まあ正直言うと普通の白浜がいいかなって。衛生面気になりますし」
「同意見だね」

悟さんはくすくすと笑うと私の手を引いた。絡まる指先にドキドキしながら、悟さんの顔を見上げる。

「結婚式さ、海辺でしない?僕結構憧れなんだ」
「いいですけど、そんな感じでいいんですか?お互いの実家が…」
「それは一応形式としてやるけど、ちゃんと自分たちのための結婚式もしたいじゃん」

悟さんがそんなことを考えていたなんて意外だ。
もっとそういうイベントに対しては淡白だと思っていた。だって忙しいし。

「名前だって、綿帽子被るより綺麗なドレス着て僕と踊りたいでしょ?ぶっちゃけ」
「踊……いや…私は別に、神式も悪く無いと思いますけど…」
「本音は?」
「ドレス着たいです」

ははは、と悟さんが笑う。
別に和装を否定する気はないけど、ウェディングドレスやカクテルドレスというのは確かに憧れだ。悟さんもタキシードとか絶対似合うし。

「じゃあそうしようね」
「ありがとうございます」

波打ち際をふらりと手を繋いで歩きながらそんな話をしていると、視線を感じる。
他の観光客が悟さんを見ているのがわかる。そりゃそうか、だってこんなに身長高いし、顔綺麗だし脚長いし、芸能人かなって思うよね。
…それに比べて私は…。けしてスタイルが悪いわけではないけど、まあすごく背が高いわけでもないし。悟さんと並んでたら子供…なんだろうな。

「ちょっと待ってて」
「はい」

手が離れて、ぼんやりと海を見ていると後ろから悟さんに声をかけられた。
悟さんは海岸の階段に腰掛けていた。私が振り向いた瞬間、カシャとシャッター音が鳴って固まる。悟さんがスマホを構えて手を振っていた。
私は慌てて悟さんの元へ向かってスマホの画面を覗き込む。

「あ、ちょっと」
「めちゃくちゃ上手く撮れた。被写体がいいからかな」

悟さんはケラケラ笑ってスマホをしまう。あーあ、よく見えなかった。

「褒めても何も出ませんよ」
「そうかな?その顔だけで僕は結構満足だけど」

少しむくれた私の頬をつつくと、悟さんはサングラスをずらして海を眺めながら、持っていた砂糖たっぷりのコーヒーを一口飲んだ。
何をやっても絵になる人だ。私も隣に座って両手で包んだカフェラテに口をつけた。

何をするでもないけど、こうやってぼんやり二人で並んで景色を見るのも悪くないかもなぁ、なんて思った。
友達と出かけるとやれインスタ映えだ、やれおしゃれカフェだと忙しいけど、悟さんにはそんな忙しなさが一切ない。大人の余裕、男女の違い、関係性の違いなのだろう。でも私はそれがとても心地良くて、結構好きかもしれない。

海風で揺れる悟さんの色素の薄い髪と薄手のチェスターコート。海とあってこの時期でも少し肌寒い。

「退屈じゃない?」
「何がですか?」
「んー?こういうの。年頃の女の子ならもっといろいろデートしたいかなって」

そりゃ10個も年が離れてたらそういうことも考えるだろう。悟さんの気遣いに私は首を振った。

「こういうのんびりしたデート、好きです」
「……」
「悟さんとゆっくりお話できるし」
「そう」

悟さんは微笑むと目を伏せた。長いまつ毛が影を落として、妖艶さすら感じさせる。

「ここ、よく来てたんだ。学生の時」
「…はい」
「…高専って、毎年入学者少ないんだよね。多くても四人とか。僕の同期は僕の他に二人しかいなかったんだよ」

悟さんが昔の話をするのは初めてだった。
私は黙って耳を傾ける。

「…で、まあその同期の一人が硝子で、もう一人が傑って言うんだけど。硝子は今も高専で医者やってるんだよ。この前少し話したかな?」
「はい」
「よく傑と硝子と、休みの日来てたんだ。あと一つ下の後輩に七海と灰原って奴がいて、そいつらもよく無理矢理連れて来てたなぁ」
「七海さんて、あのパン好きな脱サラの方でしたっけ」
「そう。七海と硝子は本当今も元気だよ」

…ということは、傑さんと灰原さんは元気ではないのだろう。
悟さんが珍しく自分のことを話し始めたので耳を傾けていたけど、傑さんという人物には私も心当たりがあった。
というか噂で聞いた程度だ。この前のクリスマスイブ、京都と新宿で百鬼夜行を決行した最悪の特級呪詛師。それが夏油傑。
悟さんがケリをつけたと実家の方から聞いたから、多分…。

「神奈川来るとさ、傑がいつもここ寄ろうって言うんだよね。別に何ってないけどそこのコンビニでアイス買って、ここに座って二人でだらだら…くっだらないことずーっと喋りながら食べるんだけど、それがなんかわかんないけど楽しくてさ」
「はい」
「…だから名前とも来たかった」

悟さんはそれまで遠く、海を眺めていたけど、やっと私の方を向くと微笑んだ。

「…悟さん」
「ん?」

傑さんという人と私は面識がない。でも今の話を聞いている限り、悟さんはその人のことがとても大切だったんだ。
大事な友達で、きっと親友だったんだと思う。
今の話だって、悟さんにとっては大事な思い出のひとつなはずだ。

「今年、私もお墓参り一緒に行っていいですか」
「……名前」
「私、会ったことないから。悟さんの大切なお友達ならちゃんとご挨拶したいです」

悟さんは心底驚いたように目を瞬きすると、少しだけ黙った。何かを考えているような素振りだ。
私がそんなことを言うとは思わなかったのかもしれない。悟さんは少しして口元を押さえながら、「うん」と頷いた。

「名前には敵わないなぁ」
「そうでしょうか?」
「傑もびっくりしちゃうだろうね。"こんな可愛いお嫁さん貰ってあんなことやこんなことしてるの?"って」
「悟さん、怒りますよ」
「やだ怒んないで」

悟さんは大袈裟にふざけた態度を取って私にもたれかかってきた。溢れそうになるカフェラテを握り直すと、悟さんはまた口を開いた。

「ねえ名前」
「はい?」
「お前は僕の元からいなくなるなよ」
「……」
「死ぬときは一緒だからね」

悟さんはそう言うと、私の肩を抱いてぎゅうっと引き寄せてきた。潮風が強く吹いて、私の髪がふわりと舞い上がるのを感じる。
初めてだ。
多分初めて、悟さんは私に弱みを見せたのだと思う。誰にも話せない、誰にも言えない、自分の苦しみ。最強云々の前に、五条悟も人間なのだから。

「なーんて重いかな?」
「いえ」
「?」
「死んでも一緒です」












「死んでも一緒かぁ」

ぐっすり眠る名前の髪を撫でて、僕は独り言を呟いた。
名前にビビっと来た理由が今になってわかってきた気がする。この子は聡い。さらに言えば、この子は多分"俺のこと"を理解してくれる。そう本能的に感じたのを、全神経が僕に教えてくれたのだと思う。
名前はまだ18歳なのに、不思議と人の気持ちや僕の意図を理解するのが早い。賢いだけではない、愛情深い人間なのだと思う。

名前はいつも僕が欲しい言葉をくれる。
傑のことを話したのは気まぐれだった。傑の話なんて、自分からしたことは多分一度もない。硝子にも夜蛾さんにも、恵にも話したことはない。
それは多分、話さないんじゃなくて話せなかったからだ。傑のことを話したら、僕は多分…何か、余計な感情を持つ可能性があった。

傑を殺したことに後悔はない。ああしなければならなかった。でも傑をあの道に知らず追い込んでいたこと、そして引き止められなかったことは今も悔いている。
だからこそ高専で教鞭を取るようになったのだけれど。その話を名前にはしてみようと思った理由はわからない。
あえて言語化するなら多分前述の通り、彼女なら僕に寄り添ってくれると本能的に悟っていたのだと思う。

「名前」

…どうか、いなくならないで欲しい。
僕にとっては傑はかけがえのない親友だけど、今や名前も同じくらい大事な僕の妻なのだ。

傑と同じくらい、名前のことが好きだ。
名前と同じくらい、傑のことも大事だった。

「…何一人でエモくなってんだろ」

自宅のマンションに帰ってきたはいいが、名前はまだ僕の隣で眠っている。起こすの可哀想だし、車を降りる気にもなれなくて、地下駐車場に停車したまま、車の中で思案に耽っていた。

ちらりと名前を見ると、うとうと首を揺らしながらむにゃむにゃ言いながら寝ている。僕を全面的に信頼してくれるのは結構だけど、警戒心が無さすぎるのはいかがなものかな?
シートベルトを外して首筋を撫でてやると、くすぐったそうに身を縮こめる。長いまつ毛が揺れるが、まだ目覚めそうにはなかった。

「起きないとチューするよ」
「……」
「いや、やっぱり起きないとえっちする」
「……」
「はい、決定」

勝手な自己の問答に答えを無理矢理出して、名前の唇にちゅうと吸いついた。柔らかいぷにぷにした唇は眠っているせいで緩く、簡単に僕の舌の進入を受け入れる。とろりと互いの唾液が絡まって、僕はそこそこムラついていた。
目の前の可愛い生き物に正直、抑えは効きそうにない。

「起きてー」
「んっ……んぁ…っふ」
「起きないとこのままカーセックスだよ」

二回目がカーセックスってまあまあな経験だよな、なんて思いながら覚醒気味の名前の唇を味わっていると、やっと起きたのかびくっと名前の肩が震えた。

「ふっ…!…んっ…さ、……んん」
「やっと起きた」
「ご、ごめんなさい…寝ちゃって…えっと着きましたか?」
「うん、でも今から僕たちカーセックスすることになったから」

淡々と言うと、名前はぽかんとした後顔を赤くして「は?!」と叫んだ。

「カーセッ……いや、なんで?何でそうなるんですか?」
「だって名前が起きないから。ほらこっちおいで」

僕はシートを引いてスペースを広げると、意味がわからないといった様子で戸惑う名前を無視して、手早く靴を脱がせて膝の裏に腕を差し込んで持ち上げて膝に対面で座らせる。おろおろと困った様子の名前のトレンチコートを脱がせて、ブラウスのボタンに手をかけると、名前は漸く抵抗をし始めた。

「待ってください、ここ駐車場ですよね?」
「そうだけど?」
「人が通ったら…」
「いいんじゃない?別にここは僕の私有地だし何しようと僕の自由でしょ」

最もらしいことを適当に言いながら、インナーをたくし上げて胸元に吸い付くと、鼻から胸へ名前の香りが広がってわかりやすく勃起してしまう。
やっぱり僕達遺伝子レベルで相性がいいんだね、生理現象だもん、これは仕方ないよ。

「こんなとこでするの恥ずかしいです」
「こんなとこじゃなかったらいい?」
「………」
「って意味だよね」

その言葉を引き出すためにここまでしたのか、と目で訴えかけてくる。
正直どっちでもいいんだ。ここでしても部屋でしても、やることは一緒だし。

「悟さん」
「何」
「するなら、部屋でしたいです」
「何を?」
「悟さんとその……」
「…」
「え、…えっちを」

可愛い顔を真っ赤にさせて名前がぼそりと言うのを確かに聞こえた。
僕はすぐさま名前の腰を抱いて車を降りる。

「僕とえっちしたかったんだ〜」
「違…くはないですけど…こんなの誘導尋問です」



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