「君が伏黒恵くん?」
「…そうですけど。アンタが五条さんの言ってた名前さん?」
「そうだよ」

まだ肌寒い3月。ようやく学校は修了式を迎え、宿題のない春休みにクラスメイトは皆んな嬉しそうだったのを覚えている。
家族で旅行だとか、お母さんの実家に帰るだとか。今考えると俺はそういうのが少し羨ましかったのかもしれない。

「じゃあ恵くんが私の東京の友達第一号だ!よろしくね」
「嫌です。あと俺が住んでるの東京じゃなくて埼玉だし」
「埼玉って東京じゃん!」
「埼玉は埼玉だろ」

五条さん。白髪の胡散臭い術師。一応俺の恩人であるその人は、何を思ったのか2歳年上の名字名前さんと俺を引き合わせて、春休み早々呪霊狩りに行かせると言い出した。
はっきり言って嫌だった。
何が呪術師だ。くだらない。俺が誰を助けるって言うんだよ。

「恵くんてめちゃくちゃ卑屈なんだね」
「は?」
「何もかもを攻撃したいです!って顔してる」

何を思ったのか突然名前さんは初対面の俺にそう言ったので、怒りとかを通り越して絶句した。
卑屈、そんなこと言われたのは初めてだった。
それを横で聞いていた五条さんは何故か爆笑していてますます腹が立った。

「ごめん、私なんか失礼なこと言った?」

そして驚くほどに悪気が無かった。
変な女、絶対関わりたくない。それが正直な第一印象。

五条さんが運転する車の後部座席に並んで座っていると、名前さんはまた話しかけてくる。

「私さ、将来知らないおじさんと結婚するんだよ」

何でもないこと、まるでそれは当然のこととでも言いたげに、普通にそんな話をし始めたので俺は目を丸くした。

「やだよねー、知らないおじさんと結婚して何が楽しいんだろうね?全然楽しくないよそんなの。でもお父さんとお母さんはそうしろって言うの」
「…じゃあ結婚するんですか」
「どうだろう。しなくて済むならしたくないなぁ。私将来の夢があって、大人になったらお医者さんになりたいの」
「…医者?」
「でもそのおじさんと結婚したらお医者さんにはなれないんだって。だから嫌だなぁ」

くだらねー。
不運な子どもに不運な子どもぶつけて仲良くさせようってことか?
五条さんに似てベラベラ喋る名前という人は、悩ましげにため息をついた。

「何で医者になりたいんですか」
「…だってたくさんの人の命を助けられるんだよ」
「…」
「じゃあ名前の将来の夢って、"たくさんの人の命を助けること"なんじゃない?」

そこで初めて五条さんが口を開いた。

「うーん…そうかも」
「どうしてたくさんの人の命を助けたいの?」
「だって私、たくさんの人に命を助けられてるから」
「へえ、素敵だねえ」
「それに、私が怪我した時に助けてくれるのはお医者さんだもん。硝子ちゃんもお医者さんでしょ?だから私もお医者さんになりたい」
「…」
「私は私を助けてくれた人達を助けたいし、私が助けた人がまた私じゃない誰か別の人を助けてくれても嬉しいなって」

綺麗事だ、と思った。
こんな綺麗事をつらつらと話せる人間がよくいるもんだな、と。

「いいね。素晴らしい考えだ。…でもそうするための手段は"医者"とは限らないんじゃない?」

五条さんがそう言うと名前さんは口を噤んだ。

「呪術師もたくさんの人を救う仕事だよ」












「恵くん」
「…」
「ねぇ恵くんてば」

無視しないでよう、と言われて立ち止まった。
この先に呪霊がいるらしい。五条さんに連れられて山奥まで来た。寒い。こっちは春休みだぞ。少しくらい休ませろ。
肝心の五条さんは、山道の入り口で待っていると言う。低級しかいないから、君たち二人で大丈夫、だそうだ。
全部祓ったら帰っておいでと言われて元気に返事をしたのは名前さんだけだった。

「ねぇ恵くん、手繋ごう」
「嫌だ」
「ええっ何で?手繋ごうー?手繋ぐと温かいやん」

少しだけ出る京都弁に違和感を覚えながら俺はとにかくこの名前さんを拒否した。
五条さんが言ってた、この人は実家を出るために呪術師になったんだと。おじさんと結婚したくないとか言ってたし、結局は自分のためだろ。…あんなの偽善だ。

「あ、ねえ、あそこ」
「…」

パン、と何か音がして目をやると呪霊らしきものがいる。木の間に小さな祠があって、小さな呪霊がいた。4級にも満たない弱小呪霊だ。

式神を出して祓おうとした時、「危ないよ!」と背後で名前さんの声がした。

「恵くん!」

俺が見ていたのは弱小呪霊だが、その後ろに大きめの呪霊がいた。
何で?気付かなかった。
まるで弱小呪霊を囮のようにして背後で口を開けたそれ。

しくった、と俺が一瞬反応に遅れたのを見て、名前さんは迷うことなく飛び込んできた。
名前さんはがぶ、と呪霊に左腕を噛まれて痛そうに一瞬顔を歪める。俺が玉犬を呪霊に噛み付かせて名前さんの元に近寄る。

「何して…」

何でこの人、俺のことを庇ったんだ?

「恵くん、大丈夫?」
「いや…アンタの方が…」
「ほらまた来たよ、私は大丈夫だから早く全部祓っちゃお」

ぶん、と反対の腕で握っていた鎖を名前さんは回すと、その大型の呪霊を縛り付けた。
他にも何体かいる。確かに五条さんの言う通り全部低級だった。
式神を使って倒していくと、5分と経たないうちに全て祓い切れた。

「恵くんすごいね。式神使えるのカッコいい」
「……」

だら、と名前さんの腕から血が垂れている。
俺のせいだ。俺が、不注意だったから。
でも何でこの人は迷わず俺を庇ってくれたんだろう。今日初めて会った他人なのに。

「気にしなくていいよ、すぐ治るし、こんなのかすり傷だもん」

そう言って着ていたコートを千切ると、名前さんは適当に巻きつけて止血した。何でもない、と言うように名前さんはずっとニコニコしていた。

俺たちが麓に戻ると、五条さんは名前さんの怪我を見て少しびっくりしていた。

「大丈夫?」
「うん、ぼーっとしてたら噛まれた。硝子ちゃん治してくれるかな?」
「名前、任務中にぼーっとしてちゃダメでしょ」
「ごめんなさい」
「硝子にすぐ連絡入れるよ。診てもらおう。痛い?」
「ちょっとだけ。でも平気」
「傷そんなに深くなさそうだね。このまま高専に戻るよ。通り道だから恵先に送るね」

俺は何も言えなかった。
名前さんは俺のせいで怪我したのに。俺のことは一言も言わずに、嘘ついて自分のせいにしてた。
何で?
何で俺を庇うんだ?

「バイバイ恵くん。お疲れ様、またね」

わからない、何だこれ。何なんだこの人。そう思いながらずっと黙りこくっていると五条さんの運転で家まで送られた。
津美紀がすぐに出迎えに来たけど、俺の頭の中はさっきのことでいっぱいだった。
名前さん、怪我……大丈夫かな。












「よっ!恵、元気ー?」

それから数日して、また五条さんが俺を車で迎えに来た。

「…あの」
「ん?」
「名前さん、怪我大丈夫だったんですか」
「あー、うん。ちょっと傷跡残るけど、大丈夫だよ」

傷跡が残る、という言葉に罪悪感が募った。

「普通に動くし、本人はピンピンしてる」
「……」
「恵は自分のせいだって思ってる?」

五条さんの言葉にハッとして顔を上げると、五条さんは面白そうに胡散臭い笑みを浮かべていた。

「名前が恵を庇って怪我したの、僕気付いてるよ」
「……っ」
「でも名前も恵も何も言わなかったから、"そういうこと"にしておこうと思ってたんだけど。気になる?」
「…俺のせいです」
「うん、それで?」
「…ごめんなさい」

俺が五条さんに謝ると、五条さんはぽんぽんと俺の頭を撫でた。

「名前はああいう子なんだよ。前も言ってたでしょ?たくさんの人の命を助けて、自分を助けてくれた人を助けて、自分が助けた人がまた自分じゃない誰かを助けたら嬉しいって」
「…あんなの綺麗事だ」
「そうかもねぇ。でも恵はその綺麗事に助けられたね」

俺は黙った。

「恵にはまだ信じられないかもだけどさ、そういう人間も少ないながらにいるんだよ」
「…」
「頼りないし呑気だしふざけてるけど、名前にはそういう綺麗事で出来た揺るがない信念があるんだ。僕は彼女のそういうところを気に入ってる」

揺るがない、信念。

「だから名前は呪術師に向いてる。揺るがないから。命知らずなところは問題だけど、平等に名前は人を助ける。だから恵を助けたし、僕が死にそうになってたらどんな強い呪霊相手でも戦うと思うよ。それで自分が死ぬことになったとしても」
「…そんなの」
「有り得ない?まあそう思うのは自由だけど、とりあえず本人にちゃんと謝ったら?」

車の前で話していたから気付かなかったけど、どうやら後部座席に名前さんが乗っていたらしい。
ガタ、とドアを五条さんが開けると、座っている名前さんと目が合った。

「恵くん!」
「…名前さん」

今の五条さんとの会話は聞いていなかったらしい。名前さんはイヤホンを外して読んでいた漫画を閉じると、俺に手を振った。腕にはまだ包帯が巻かれているのが袖口からわかる。
五条さんに促されて隣に座るとドアが閉まった。

「元気?今日も呪霊いっぱい倒そうね」
「ごめんなさい」
「え?」
「俺のせいで…怪我させて、ごめんなさい」

俺が謝ると、名前さんはポカンとした後「あ、腕のことか!全然大丈夫だよ」とケラケラ笑った。

「でも、なれないじゃん」
「?」
「腕、怪我して動かなくなったら、医者になれないじゃん」

俺がそう言うと名前さんは心底びっくりしたという顔で目をぱちぱちと瞬きさせた。

「…恵くんは優しいね」
「…は?何で?」
「別に良いんだよ、現実的に腕は動くし。それにもし腕が動かなくなる怪我だったとしても、恵くんが助かったならそれで良いんだよ」












「……」

昔の夢を見ていた気がする。
名前さんと初めて会った時か、確か。

「あ、恵起きた」

薄ら目を開けると、名前さんが俺の顔を覗き込んでいた。
後部座席から窓の外を確認すると、もう夕方だった。任務帰りの移動が長かったから少し寝てしまったらしい。

「…寝てました」
「珍しいね。疲れてるの?大丈夫?」
「平気です」

あんな夢を見たのは久しぶりに名前さんとの任務だったからか。
何となく気になって左腕を見せてくださいと言うと不思議そうな顔をされる。

「何?」
「…」

家入さんの治療は流石だが、万能ではない。
名前さんの左手首の辺りには、薄く傷跡が残っている。目を凝らさないとわからないが、確かにあの日、俺を庇ってついた傷だ。

そして名前さんにとっては、そんな怪我など些細な出来事だったのだろう、覚えてもいないと思う。

「何でもないです」
「…?変なの」

綺麗事なんて嫌いだった。
でも俺はあの時初めて、言葉じゃなくて行動で、綺麗事で誰かに大事にされるということを身をもって知った。
それからだ、この人にどうしようもなく惹かれているのは。

…早く強くなろう。俺がこの人を守れるくらいに。




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