「君が伏黒恵くん?」
「…そうっスけど。アンタが五条さんの言ってた名前さん?」
そうだよ、と私が返すとその少年はふーんと私を一瞥した。その時の鋭い瞳。何も信用してない、みたいな顔。
私はその年の春、京都の実家を出て悟くんのサポートを頼りに上京し、東京のとある私立中学に入学することになっていた。
将来"東京都立呪術高専に必ず入学する"、"学業以外の時間で高専から依頼される任務を可能な限り全うする"という条件で、私は一時的な自由を手に入れたのだ!
「じゃあ恵くんが私の東京の友達第一号だ!よろしくね」
「嫌です。あと俺が住んでるの東京じゃなくて埼玉だし」
「埼玉って東京じゃん!」
「埼玉は埼玉だろ」
「報告書!」
「……」
「出せよ。部屋いんだろ?」
何?誰?うるさ。
眠たい目を擦って時計を見る。時刻はまだ7時半。昨日まで長期任務だった私にあまりに酷い仕打ちじゃない?
ドアをノックしてかけてきた声の主は私のよく知る女の子だった。この声、この口調、間違いなく真希だ。顔を見なくてもわかる。
相変わらず朝早いな、交流会近いし張り切って朝練とかしてるんだろうな…。
いやでも眠いし…無視しよ…。
「おい無視すんな!!」
私の心の声を読み取ったかのようにバンとドアが開かれて女子寮に真希の喧しい声が響き渡る。
一応私先輩なんだけど。なんで後輩に早朝から自室のドア蹴破られないといけないのかね?
「真希、しーっ…静かに…」
「いやいつまで寝てんだ!昨日の報告書もまだ出してねーんだろ」
「あのね、静かにしなさい。まだ朝だよ、近所迷惑なのよ。昔いたでしょ、布団叩きおばさん。あれは実は冤罪なの、隣人の騒音の嫌がらせに巻き込まれた心が壊れてしまっただけなの……私の心も壊れそう……引っ越し!引っ越し!さっさと引っ越し!しばくぞ!」
「アホなこと言ってねーで起きろ!まだ寝てんのお前だけだよ!」
真希はばっと私の掛け布団を引き剥がした。寒、やめろ。
「つーか服着ろよ。何でいつも下着で寝てんだ」
「いつもじゃないよ、忙しくて洗濯するの忘れてパジャマがないの。てか真希さ、どうするの私が部屋に彼氏を連れ込んでやらしいことをしてる最中だったら」
「お前彼氏いないじゃん」
「…いるかもしれへんやん?!」
「急な京都弁やめろ、実家思い出してイライラする」
「わかるー」
回らない頭で口から出まかせを時間稼ぎに使ったが、真希は許してくれなかった。本当勘弁して欲しい。
何で朝からそんなに元気なの?
「疲れてるとこ悪いが報告書急ぐらしいぞ。さっき学長とすれ違ったらなんかキレてた」
「やば」
学長、というワードに私は即座に反応して飛び起きた。とりあえずその辺にあったカーディガンを羽織り、適当にその辺にあったジーンズを履いて報告書を引っ掴む。
「起きれんじゃん」という真希の声が背後で聞こえたが、私は慌てていてそれも無視しして階下へ降りた。
寮を出てそのまま校舎へと小走りで向かう。学長を怒らせるととにかくめんどくさい。あの呪骸にしばかれるのも面倒だし、お説教も長いし、また変な任務回されたりするのもヤダし。
私服で校舎を駆け抜け、職員通路から職員室へ向かうともう悟くんがいて「げ、」と思わず声に出る。
「や、早いね名前」
「報告書出し忘れ。おはよ」
「おはようございます、でしょ」
「おはようございます五条せんせー」
「はいおはよう」
悟くんは私の遠縁の親戚で、実家と折り合いの悪い私を慮って東京の高専に入学できるように手配してくれた気のいい教師である。
おかげで私はのびのび暮らせてるし、まあ任務は少々面倒ごともあるけど悟くんとそこはギブアンドテイクな関係でいられてると思う。
「まだ誰も来てないのに早いんだね、五条先生は」
「伊地知は来てたよ?」
「来てたっていうか昨日から帰ってないだけじゃない?」
「まあそうとも言うね」
悟くんは何でもないように頷くと、サングラスを少しズリ下げた。そう言えば今日の悟くんは珍しく私服姿だ。今日平日だよね?
「名前、寝起きでしょ」
「え、うん」
「ブラ見えてるよ」
「えっ」
慌てて胸元を掴むと確かにカーディガンの隙間からブラ紐が見えていた。恥ずかし!
「見ちゃったー。黒のレース。やらしー♡」
「そういうのこのご時世ハラスメントって言うんだよ」
「関係ないね、僕最強だし」
私が指差して唇を尖らせると、悟くんは頭の後ろで手を組んで口笛を吹いた。この人は平気でこういうことを言う人なのだ。の割に指一本触れてこないから安心して良い、超善良な人間でもある。少なくとも私に対しては。
「恵が見たらムラムラしちゃうから気をつけてよ。あいつムッツリだから」
「恵はこんなことでムラムラしません。真面目な好青年ですー」
「そうかなー?」
おどける悟くんに私はため息をついて報告書をヒラヒラさせながら伊地知さんの席を見た。束になった書類の山が気の毒なほどに机を埋め尽くしている。
これ全部悟くんの任務関係なんだろうな。
「そう言えば今年の交流会、3年がこの有様だから1年に出てもらうことにしたよ」
悟くんがふと思い出したと言うように話し始めたのでああ、と私も頷いた。
「まあ名前がどうしても出たいなら出てくれても良いけど」
「いや出ないよ。金ちゃんも綺羅羅もいないし私だけ出ても…。今年の1年は優秀らしいし、勝てるよきっと」
「かもね。秤から名前に連絡ってない?」
「ないよ」
私が即答するとそっかーと悟くんは何か考えるように俯いた。
「私には連絡来ないと思う。金ちゃん私のことあんまり好きじゃないし」
「それって僕のせい?」
「悟くんは気にしなくていいよ」
そうとしか言えない。
金ちゃんは入学した時から反保守派みたいな考え方で、のらりくらりで五条悟に近い御三家の端くれである私のことを「冷めた女」と馬鹿にしてる節があった。
まあでもそれは当たってて、私は大層な野望や思想もないし、敷かれたレールの上をフラフラ歩いてる(ように見える)術師だから金ちゃんと合わないのは仕方がないことなのだ。
彼の言う"熱"が私から感じられるのはせいぜい強い呪霊と当たって楽しくなってしまってる時くらいだろう。
「遅かれ早かれこうなってただろうし。…まあでも同級生のよしみで心配だから、あの二人がどうしてるかわかったら私にも教えてね」
「それは勿論。ま、一先ずは長期任務お疲れ様。今日はオフでいいよ」
「はーい」
私はそれだけ言うと報告書を置いて職員室を出た。
久々のオフだ、ゆっくりして部屋を片付けて、元気があれば買い物でも行こうかな。るんるん気分で昇降口まで向かう途中、中庭に人の気配を感じて目をやると昨日の今日でまた恵がいる。
恵とは悟くんを通じて数年前に知り合ってから、そこそこ仲良くやっている。
悟くんからも気に掛けてやってくれと言われてるし、実際恵はとても良い奴なので見かけたら声をかけるようにしてる。
最近男らしくなってきて、あのツンツンした生意気な子供から大人になってきているのが少し寂しい。
「めーぐみ」
「…!」
わざと気配を消して後ろからつんつんと突くと、恵は驚いて振り向いた。その驚き方が尋常じゃなくて可愛くてあははと笑うと、不機嫌な顔で睨まれたのでごめんと謝るとため息を吐かれる。人の顔見てため息とは酷い後輩だ。
「おはよ。朝練?」
「…そんな感じです。早いですね、名前さん」
「真希に報告書出せって叩き起こされたから」
「あぁ」
恵は納得した様子で遠くを見た。
グラウンドへ抜ける通路で真希が呪具を取り出して何やら準備しているのを見て恵の背中に隠れる。今会うとなんか朝練に巻き込まれそう。
「みんな朝早くから熱心だね」
「交流会近いですから。今年3年不在だからって2年の先輩たちが俺らを鍛えてくれてます」
「良いね、青春的展開じゃん。始まるよ交流会という名の血と汗の滲む青春が」
「確かに五条先生もそんなこと言ってたな…」
悟くんそういうの好きだからね。
「恵も頑張ってよー?」
「そのつもりです」
じゃあ、と私が立ち去ろうとした瞬間、恵に手を掴まれて思わず立ち止まる。視線が私より高い。うん、やっぱり恵、身長めちゃくちゃ伸びてるな。私も低くはないけど、見上げないと視線が合わない。もう体格から違う。
男らしくなったな、と思うと同時に何だかこの状況にドキドキしている自分もいた。なんか恵、カッコいいんだけど。
「昨日の約束、守ってくれますよね」
「え?」
「交流会で勝ったら、俺のお願い何でも1個聞くってやつ」
……そう言えば昨日そんな約束したな。
早くも忘れかけていたけど、した。恵に発破かけるつもりで言ったら何故か嬉しそうだったのを覚えてる。
「うん、いいよ」
「今そのお願い、決めました」
「そうなの?」
「はい。…言っていいですか?」
「…良いけど…勝たないとそのお願い聞けないよ」
「大丈夫です、勝ちますから」
恵があまりに真っ直ぐな視線で私にそう言うので、私はまた自分の心音が少し早くなるのを感じた。
なに、これ。何この感じ。
手、熱い。
「俺と付き合ってください」
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