「ねぇ夏油、星漿体のことはもういいの?」
「ん?…ああ、今回は五条悟と帷の再実験をしたかっただけだからね」
「俺はてっきりあの星漿体の女を殺すのが目的なのかと思ってた。だってそれが手っ取り早いんじゃないの?」
「いや、恐らく今回の同化は、我々が介入しなくても当初の予定通りにはいかないと思うよ。そもそも彼女自身がブラフの可能性もある。12年の時間経過を加味して、今回は高専側に何かしらの企みがあると読むべきだね」
「…ふーん?じゃあやることないの?」
「そういうわけでもない。今のところ真人はそのままでいいよ。要するに私達は今回の一件、"今は"静観がベターってこと。まあ、本当に同化するところまでいきかけたら真人に介入はしてもらおうかな」
「俺は何すればいいわけ?」
「彼女の魂の形を少しイジってくれればいい。でも殺さないでくれよ?今は彼女を殺して、宿儺の地雷を踏むのが危険だ」
「……宿儺?」
「宿儺の地雷は恐らく伏黒恵、そしてその伏黒恵の地雷が今回の星漿体。伏黒恵と星漿体が共倒れすることだけはこちらとしては最も避けたい事態だよ。宿儺が虎杖悠仁に受肉した今、下手に唆して伏黒恵と名字名前が自決でもしたら大問題。…かと言って本当に同化するとなると、それも私にとっては非常に厄介」
「…なんか夏油、楽しそうだね」
「まあね。それにこれは因果が本当に切れているかどうかを確かめる機会だ。もし本当に天元・六眼・星漿体の因果が切れているなら、今回の同化も恐らく失敗する。…伏黒恵の手によって」
「じゃあ伏黒恵がキーパーソン?何で夏油はそう思うの?」
「そうだね…強いて言えば、」












誰かを求めることは、傷つくこと。
私は人を求めて、傷ついた記憶しかない。

母を求めて自分の女としての性を呪ったし、父を求めて私の術式の才能を呪ったし、悟くんに助けを求めて、自分の運命を呪った。

『女の子が医者?何言うてるの。名前は跡取り娘やねんから、きちんとした婿養子貰うか、立派なお家に嫁ぐことだけ考えておき』
『夢を持つのは自由だが、お前の才能を捨てることは出来ない。相伝を受け継いでるお前が呪術師以外の道を目指すのは受け入れられない。医者は諦めなさい』

父も母も、私のことを見ていない。
私の能力をとても愛してくれたけど、私そのものは誰にも愛されないのだと思った。

『俺くらい強くなれ。出来ねーならその辺のおっさんと結婚して子供産んで終わりか、最悪天元様と同化して終わりだ、お前の人生。どれ選んでも地獄だから、せめて好きな地獄を選べ』

好きな地獄を選んだつもりだった。

でもやっぱり誰かに愛されたくて、誰にでも優しくするようになった。みんな始めは優しくしてくれる。でもだんだん私に甘えて、私の無償の愛に胡座をかき始める。私は愛して欲しいから愛しているのに、だんだん、愛されなくなっていく。否、最初から愛されていないんだ。
見返りを求めているからなの?

満たされない心と、いつも感じる孤独感。それでも上辺の付き合いでたくさんの人と親しく過ごせば、刹那的に寂しさや悲しさは拭われて、騙し騙し満たされていると錯覚することくらいは出来た。
でも本当はわかっている。誰も本当の私を愛してくれない。だって私は、

「…あ」

恵と言い合いみたいになって、思わず一人でホテルを出てきてしまった。
まだ護衛任務中で、私は護衛対象なのに、これは非常にまずい。でも今更部屋に戻る気にもなれなかった。恵にどんな顔をして会えばいいのかわからない。

『他人の幸せを願うことを、どうでもいいなんて言わないで。私にだって、自分の存在意義がそれしかなかったのに…!』

子どもじみたこと言っちゃったなぁ。あんな本音を人に話したのは初めてだ。何でも明け透けに話す悟くんにすら、話したことはない。私の胸の奥底にある叫びだった。
恵が、「他人の幸せなんてどうでもいい」と言ったのがどうしても許せなかったから。

繁華街の喧騒を聞きながら、腕時計で時間を確認すると既に20時を回っていた。
どうしよう、お腹空いたな。悟くんにもルームサービスを頼むように言われていたのに、一人で出てきたとバレたらこっ酷く怒られそう。というか多分もうバレてるだろう。悟くんに見つけられて捕獲されるまであと数分しかない気がする。

「…しまった」

しかも勢いで飛び出したから財布もスマホも持ってない。連絡も取れなければご飯も食べられない。非常に拙い状況だった。
ホテルに戻ればいいだけなのに、足は反対方向を向く。当てもなく歩いてみる?
今の私なら呪詛師に襲われても、即死とかはないと思う。反転術式も使えるし。

『俺は名前さんがいれば、それで幸せなんですよ』

でも、恵が私を好きになってくれて嬉しかった。恵の言葉なら、信じてもいいのかな。
だけど恵は本当の私を知らない。本当の私を知ったら、きっと恵は私に幻滅すると思う。そしたらもう、それは愛じゃなくなる。

私が恵に優しくしたのは、はっきり言って偽善だった。恵との出会いはそもそも悟くんからの紹介だっただけで、別に彼と関わらない選択肢も私の中にはあった。

たくさんいる私の浅い交友関係の、恵もそのうちの一人。その他大勢の皆様より、少しだけ特別な括りに恵を入れて、私は彼に理解を示し、彼に居場所を与えることで彼に必要とされて嬉しかった。
誰かに求められること、それが私の存在意義だから。

恵の好意に気付かぬふりをし続けていたのも、私がその好意に応えてしまったら恵もその他大勢のみんなと同じで私の無償の愛にいつか慣れてしまうと思ったから。

でもどうしてだろう?
刹那的にでも恵の好意を受け入れて、また愛されてると勝手に感じて気持ち良くなれば良かったのに、彼に対してだけはそれがどうしても出来なかった。

恵との心地良い関係が壊れるのが、怖かった。

恵に対して私は非常に慎重だった。それは私が、恵に対して愛とは別の特別な感情を持っていたからなのかもしれない。うまく言葉には出来ないけど。
大切な恵との関係を壊す可能性がある一歩を踏み出すのが怖い。そう、私にとって恵は好きとか愛とか以前に、弟みたいで、本当の家族とは違うけどもし家族というものが大切なものだと言うのなら、それに等しい存在だった。

"大切"が"愛しい"に明確に変わったのは恵が高専に入学してからだ。
恵が私と付き合いたいと言いだした時、私もまたこの子が欲しい、と思った。この子じゃなきゃ嫌だと思った。

この男を私のものにしてしまおう、と。

「…お嬢さん、ひとり?」
「…?」
「ああ、怪しいもんじゃないよ。というか君の同類」
「…同類?」

当てもなく繁華街の端まで歩くと、大型バイクに跨った金髪の女性に声をかけられたことに気付いた。
女性はバイクに跨っていてもわかる長身で、目鼻立ちのくっきりした美人だった。ヘルメットを片手に私に手を振る姿を見ても記憶にない。多分面識はないと思う。

呪詛師?Q?盤星教?いろんな疑念が湧くが、敵意は感じない。今の私、あんまり冷静じゃないから判断曖昧だけど。

「ちょうど君を探してたんだ。名字名前だね?」
「…貴方は?」
「特級呪術師、九十九由基って言ったらわかるかな?…ところで君はどんな男がタイプなの?」










「五条くんから大体の話は聞いてる。とは言え護衛対象が一人でフラフラ繁華街を歩いてるのは感心しないな。…君の護衛は何してるわけ?」
「あー…えっと…」

九十九さんの促すままバイクの後ろに乗せてもらい、何故か個室の高級中華店に連れて来られていた。何でも好きなものを食べなよ?と言われて面食らう。
確かにお腹は空いているけど…と思いながらメニューを捲っていると、九十九さんは次々にオーダーを通していく。

質問に私が言い淀んでいると、九十九さんは困った顔で笑った。綺麗な人だなと思った。

「一人で出て来ちゃったの?お転婆だね」

くすくすと笑いながら九十九さんは他に食べたいものない?と聞くので素直に小籠包をお願いした。

「五条くんには君と二人で話したいって私から連絡したから、お咎めなしだよ。運が良かったね」
「…ありがとうございます」
「いいんだよ。本当に話がしたくて探してたから」

九十九さんと円卓に向かい合って話をするのは不思議な感じがした。というか私はこの方、おそらく初対面だと思うのだけれど、九十九さんは私を知っているらしい。

「何で私のこと知ってるんですか?お会いしたことありましたっけ?」
「ン?…そりゃあ君、有名人だからね。五条くんや夏油くんの規格外の例を除いて、史上最速で1級術師に昇格したのが女の子っていうので上層部をややモメさせたのは有名な話だろ?というか一回会ったことあるけど覚えてない?」
「…えっ」

あったっけ?こんな美人、一度会ったら忘れそうにないけど記憶にない。どうしようと焦っていると、九十九さんはいいよいいよとにこやかに笑う。

「君に会ったの、小学生の時だったかな。五条くんと話してばかりだったから覚えてなくても無理はない」
「すみません…」
「まあそんなことはどうでも良くて、今日君を探してたのは今回の天元との同化についてのことで少し気になっていることがあってね」

そこまで言うと円卓に先ほど注文したフカヒレのスープや青椒肉絲らしきものが運ばれて来た。
こういう中華食べるの久しぶりだ。美味しそう。

「食べながらでいいよ、お腹減ってるんだろ?一人で出て来たのは何かあったからだよね。それも五条くんじゃなくて…君のボーイフレンドと喧嘩かな?」
「……九十九さんて占い師なんですか?」
「特級術師たるもの、これくらいわかって当然さ」

九十九さんはウインクすると円卓に置かれたフカヒレのスープをレンゲで掬い取って取り分けると、私に差し出してくださった。ありがたく頂戴する。
特級術師すげー、と浅い感動を得ながら一口スープを飲むとお腹が温まってほっこりした。

「どうしてボーイフレンドだって…」
「だからぁ、君はこの界隈では君が思っている以上に有名人なんだよ。伏黒恵くんも有名人だし」
「そこまで知ってるんですか…」
「私は御三家に興味ないけど、噂話ってのはどこからともなく流れてくるものでね。彼が18になったら結婚するって話まで聞いたけど、本当?」
「そ、そ、それはさすがに噂に尾鰭がついている気がします……!」

いやまあ確かに、恵にはそれっぽいこと言われたけど、何でそんな話が広まってるんだ?!誰だ広めたの?!あのアホクソゴミ直哉か?!本当にゴミじゃん、マジでムカつく。

「ふーん?そうなの。じゃあ禪院の奴らの思い込みなのかな。彼ら何でも都合良く解釈するからね」

おいおいおいまたややこしいことになってる!禪院家本当ややこしい案件でしかない…!
九十九さんはうんざりした様子で腕を組むと、自らもフカヒレのスープを取り分けてガツガツと食べ始めた。

「まあいいよ、その話は。本題に入ろうか」
「本題…」
「今回の君と天元の同化についてだ」

九十九さんは真剣な眼差しで私を一瞥すると、別の取り皿に新たに青椒肉絲を取り分けて私の方に回した。
私が黙って受け取ると、九十九さんは手を組んでそこに顎を乗せた。

「12年前の事件、君も知らないわけじゃないね?」
「天内理子の同化失敗の件ですか」
「そう。五条くんと夏油くんが護衛にあたったものの、同化直前で妨害され天内理子は死亡し任務は失敗。しかしながら結果として今日まで天元は安定していた」
「はい」
「私はてっきり天内理子はブラフで他に真の星漿体がいて、天元と同化したと思っていた。だが先ほど天元と会って話したところ、違った」
「えっ」

先ほどって、九十九さんは薨星宮に行ったってこと?それって天元様が了承しないと出来ないことなのでは。というか何でこの人はさっきから天元様を呼び捨てにしたり、星漿体について詳しいんだろう?

「ああ、天元と私は知らない仲じゃないから。というかさっき言っただろ、私と君は同類。私も元星漿体なんだよ」
「え?!そうなんですか?!」
「アレ?言ってなかったっけ?」

きょとんとした顔をすると九十九さんは青椒肉絲に食らいつく。何もかも話の内容が規格外で、今の精神状態の私は付いていくのがやっとだ。

「だから、君のことも気になっててね。同じ星漿体として」
「じゃあ九十九さんも今回の同化のことはそもそもご存知だったんですか?」
「いいや。さっき天元から聞いたばかりさ。それで私はムカついてるんだよ。あのクソジジイ」

九十九さんは苛立ちを隠そうともせずにそう言うと、もりもりと青椒肉絲を食べて飲み込んだ。次にウエイターが運んで来たシュウマイとエビチリもつまみながら私に取り分けてくれる。
すごい食べるな、九十九さん。

「つまりこの12年間、誰とも同化せずに天元は安定していた。そして今なお安定している」
「…そうですか」
「だから君が同化する必要はない」

…え、いやでも、同化するように天元様からは言われてるんですけど。今はそのための猶予期間なわけで。

「それって九十九さんの判断ですか?それとも天元様の心変わり?」
「前者だ。君も私もアイツの都合に人生を巻き込まれてる。教えようか、今回の同化の本来の目的」

本来の目的?同化以外に目的なんかあるの?
私が身を乗り出して口を開こうとした時、ばん、と個室の扉が開いた。誰、と思って振り向くと、見慣れた長身が手を振って入室していた。

「それ、僕にも詳しく♡」
「悟くん?!」
「…五条くん。私は彼女と二人で話がしたいと言ったはずなんだけどな」
「うん、でもやっぱり僕も聞いておかないとでしょ?恵とちょっと話してたら遅くなっちゃってね。僕も頂こうかな?美味しそうだねぇ、本格中華♡」





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