絶対なんて存在しない。
俺はそれを知っている。
でも、今はそれを信じてみたかった。
「……」
名前さんと和解して、再度結婚を(かなり無理矢理だが)迫ったところ思っていたよりもすんなりと承諾してもらえた。あの時の嬉しさと言ったら、他に変えられるものはない。
名前さんの歪んだ承認欲求の満たし方も、俺だけが彼女の特別と証明された時点で正直どうでも良かった。否、どうでも良いと言うと語弊があるが、彼女の内面問題はさておき、彼女の行動は俺からみて善人そのものだったからだ。
どんな気持ちが裏にあっても、彼女は平等に人を助ける。
自分が満たされるために全ての他者を救いたいなんて思想、正直イカれている。でも俺はその彼女のイカれた部分が大好きだ。
だから貴方はそのままで良い。俺達のことを誰がどう言おうと関係ない。俺だけが貴方の中で特別なままでいればいい。それでいいんだ。
俺にとっても、貴方だけがどこまでも特別だから。
…この気持ちはいつか呪いになるかもしれないけど。
「どうしますか」
『恵の部屋でそのまま寝かせてやって。僕も少し仮眠を取るから、その間悠仁と一緒に護衛頼むよ』
「…わかりました」
緊張の糸が切れたのか、疲労の蓄積によるものか。名前さんはあの後、俺の肩に顔を埋めたまま、半ば気絶する形で眠ってしまった。
起こす気にもなれず、幸いクイーンサイズのベッドだったのでそのまま俺の部屋で寝かせる。
五条先生は名前さんが妊娠すれば同化は無しに出来ると言っていたが、それは多分無理だ。身体のタイミング的に難しいし、何より俺がそれをしたくなかった。形振り構っていられる状況ではないとわかっている。だからこそ他の手段を探さなければならない。
俺が一つだけ、今回気になっていたことは名前さんを殺す直前まで追い込んだ男が使った帳だった。
あれは"五条悟だけを閉じ込める"帳だった。
交流会で特級呪霊が襲撃してきた際に使われたのは、"五条悟だけ弾く"帳だった。
五条先生を足止めして何かしようとしている連中がいる。
この件と交流会の呪霊は繋がっている、と俺は思っている。
ということは徒党を組んで(これは名前さんから聞いたオフレコ情報だが)宿儺の指を盗んだ者達がこの件に絡んでいるということになる。
なら、今回のこの星漿体護衛任務に関しても奴らは何かしらの干渉を行ってくるはず。狙いは虎杖か、それとも名前さんか。
そいつらを撃退しながら名前さんの星漿体としての才能を奪う。…結構厳しいな。
「伏黒〜……きた……」
「…お前ほぼ寝てないか?」
「…起きてる………」
そういうわけで虎杖が俺の部屋を訪れたのだが、その肝心の虎杖がうとうとしている。まあ俺が起きていればいいか、と思い名前さんの寝顔を眺めながら傍にデスクの椅子を持ってきて座る。
すやすやと何の警戒心もなく眠っている寝顔見ながらその頬を撫でた時だった。
「…伏黒恵」
「…!」
ずっとこの寝顔を見ていたい、なんて思っていると、いつもと違う虎杖の声音に身構えた。顔に紋様が浮かんだ虎杖を見て瞬時に察する。宿儺だ。
掌印を結んで玉犬を呼び出そうとした瞬間、その手を宿儺に奪われる。まずい。
「…良い、構えるな。小僧が寝入ったので貴様と話をしに来ただけだ」
「お前と話すことなんか何もない」
「そうか?この状況の解決の糸口くらいは俺にもあるが?」
呪いの言うことだ、耳を貸すな。そう言って名前さんに危害を加えないとも限らない。だが掴まれた腕を払う事ができず、俺は思わず唇を噛んだ。何せ虎杖の肉体だ。力が強い。
「…黙れ」
「つれないな。まあ良い、ではこれから話すことは俺の独り言だ。時間があまりないのでな、好きに解釈しろ」
宿儺はそう言うと俺から手を離して立ち上がった。ポケットに両手を突っ込みながら外の景色を眺める。名前さんに手を出す気は本当にないように見える。以前少年院でぶつかった時のような敵意も感じられなかった。
「天元とこの小娘の同化、止める手立ては二つある」
「…!」
「気にするな、独り言だ。伏黒恵、貴様が目をつけた通りこの女に星漿体たる要素が存在するのは事実だ。しかしながらそれが何なのかははっきりせん。が、反対に言えば肉体・魂、或いはその両方が今と異なる状態に僅かでも変容すれば、天元の求める状態ではなくなる、それは事実だ」
淡々と話す宿儺の言葉が、妙に頭の中に響く。耳を貸すな、戯言だ、何か企んでいるに違いない。そう思うのに、宿儺の説明…否、独り言は理路整然として的を射ているように思われた。
「知りたいか?」
宿儺と目が合う。…知りたいかと言われると正直知りたい。五条先生から聞いた方法は正直躊躇われたし、もし宿儺が言う二つの方法のうち一つが五条先生の言う方法と合致した場合……もう一つの方法も信用できる可能性がある。
「…良いだろう。何にせよこれは俺の独り言だからな。一つ目の方法は簡単だ、この女を孕ませればいい」
やはり、という妙な確信を得て俺は黙った。
「既に五条悟から聞いていたか?腹の赤子は不純物となるからな。肉体と魂の増加による変容。いずれも一度に行える手っ取り早い方法だな」
俺は名前さんを見つめるが、目を閉じてぐっすり眠っている。反転術式の覚醒による疲労と精神の不安定さが、彼女のいつもの鋭さを奪ってるらしい。宿儺がいても気付かないで熟睡している。こんなこと、今までなら有り得ないはずだ。
「惚れた女が自分の子を身籠るのは愉快だろう?」
「…失せろ」
「ほう?俺ならすぐ事に及ぶがそうではない者もいるらしい。では二つ目」
そもそも、急に出てきて何故この任務に宿儺は干渉してくる?今までもいろいろあったが虎杖の制御が効いて表に出て来ないだけだと思っていた。違うのか?
名前さんが宿儺の思惑に何か関係していて、ここで死ぬのは惜しいのか?いや、天元様との同化自体を快く思っていないだけか?
「小僧が以前ぶつかった特級呪霊に、ツギハギ面の人型呪霊がいる」
「……」
「奴の能力は魂に触れて魂の形状操作を行い、肉体をも変容させる術式。二つ目の方法は、それを利用してこの小娘の魂の形を変えること」
宿儺がにやにやと笑って俺を見ている。
特級呪霊に触れさせる?正気か?
「…ふざけるな、特級呪霊にそう易々と…」
「奴は小僧に一度敗北している。俺の魂に触れた際に死の間際まで追い込んだ。…相見えさえすれば、交渉の余地はあるだろう」
「そのツギハギ呪霊が、馬鹿正直にお前の言うことならきくってことか」
「恐らく」
「何故この件に干渉してくる?」
「…さて、どうしてかな」
恐らく宿儺には何らかの思惑がある。だが縛りも何も提示してこないのが妙だ。このまま虎杖とツギハギ呪霊を引き合わせて良いのか?
それで本当に名前さんから星漿体の資格を剥奪できるのか?
いや、そもそもそんなすんなりツギハギの呪霊に遭遇できるわけが…
「魂の形状操作にリスクは基本的にはない。ただし、一度変えた魂は二度と元には戻せない」
「…」
「二度とこの小娘が星漿体として天元と同化することは出来ないということだ。反転術式も魂の修復には使えない。あれはあくまで肉体の回復のみ。伏黒恵、貴様にとっては好都合かもな?」
「…魂の形状操作で肉体が変容するなら、肉体に刻まれた術式にも触れられるってことだよな。術式自体を破壊することも可能か」
「…察しがいいな」
宿儺が目を細めて顎をしゃくった。…そっちが狙いか?確かにこの人の領域はかなり強力だ。俺も外から一回しか見たことないけど、中に入ると即死の必中必殺の領域。
それを奪えば……いや違うな。それなら名前さんを同化させる方が宿儺にとって都合が良いはず。ならばやはり同化自体をさせたくないだけか?
「名前さんの身体に刻まれている術式には触れさせたくない」
「我儘だな、伏黒恵。術式は交渉条件になる。この女の術式は諦めろ。命には代えられんだろ?」
俺が舌打ちすると宿儺は愉快そうに笑い、傍のソファに腰掛けて足を組んだ。
「良い。それなら何とかしてやらんでもない。ただし、俺が件のツギハギに干渉する時間は1分」
時間による縛りか。
1分もあれば多分宿儺ならその呪霊を屈服させられるだろう。…だがきな臭過ぎる。賭けてみるか?…クソ、どうする。
「まあいい、こういうものは因果が影響するからな。今決めずとも良い。必要に迫られた時に決断しろ。…"時間"だ。じゃあな」
「おい、」
「…あれ、俺寝てた?」
待て、と宿儺を呼び止めようとした瞬間、瞬きを数度して顔の紋様が消える。虎杖がいつもの調子で口を開いた。
起きた、らしい。
「…伏黒?どったの?」
「いや…」
虎杖は俺と宿儺が話していたことを覚えていないらしい。眠っている間は意識を支配できるのか?
いや、それより、
「伏黒?」
「……」
どうする。
宿儺の提案は正直、かなり魅力的ではある。それ故に怪しい。絶対に何か裏があるはずだ。
…だが他の方法が俺には思い当たらない。時間がない。このままだと同化は明後日の夜なんだ。
「…悪い、少し寝ていいか」
「おう!大丈夫。五条先生来るまで俺が見とくから!」
「…頼む」
この分だと宿儺は名前さんにも俺にも危害を加えることはないだろう。一度眠って脳を回復してからよく考えるべきだ。
俺は虎杖の返事に頷くと、椅子に腰掛けたまま目を閉じた。
「おはよう恵。そろそろ起きて?」
「………え」
頬に触れる柔らかい感触とふわりと香る女性特有の甘い香り。
おはよう、と声をかけられるまで俺は意識を飛ばしていたらしい。まずい、と思って目を開けると俺はいつの間にか名前さんの膝に頭を乗せて突っ伏していたようだった。
「……すみません」
「大丈夫、よく寝てたね。疲れてた?」
「…まあ、はい」
名前さんが眉を下げて微笑んだ。
「今って何時ですか」
「ちょうど朝の7時だよ。大丈夫?」
雑念を払いながら起き上がる。護衛任務中に呑気に眠りこけて護衛対象の名前さんに起こされるなんて、気を抜きすぎだろ。しっかりしろ、俺。
「…虎杖は」
「少し前に部屋に戻ってもらった。私も起きたし恵ももう起こすからって、」
ああそうか、じゃあ今は二人なのか。ぼんやりした頭でそんなことを思いながら、何となく名前さんをじっと見つめていると首を傾げられる。キスしたい、と思った。
名前さんの顎を掬い上げて顔を寄せる。
「待って恵」
「…ん」
何で今更抵抗するんだ、なんて思いながら一応手を止めると名前さんは困ったように笑った。
「まだ寝ぼけてるでしょ?悟くんいるから」
「…は?」
二人だけだと思っていた俺は思わず固まる。
振り向くと五条先生がいつもの目隠しスタイルで壁にもたれてニヤニヤしていた。…気配消してんじゃねーよ。
「おはよう恵♡朝から積極的だね」
「……」
「返す言葉ないからって人殺しみたいな目つきで睨むのやめてくれる?良いよ別に、僕の前でチューくらいならしても」
「…」
「…ちょ、めぐ……んんっ!」
ムカついたので名前さんの顎を掬ったままだった手に力を込めて上を向かせると、無理矢理口付ける。「わあー♡熱烈〜♡」と茶化す五条先生の声が背後で聞こえたが無視して唇を啄んでいると、名前さんに頭を押さえられて止められた。
「ちょっと恵、」
「何ですか」
「悟くんが見てるんですけど…?」
「五条先生は見たいらしいですよ、俺達が熱烈してるとこ」
「恵そんなキャラだったっけ」
名前さんが顔を真っ赤にして首を振る。可愛い。自分からは人前でくっついてくるくせに、俺にされるのは恥ずかしいらしい。
「別にもう良いでしょ。結婚するし」
「……」
俺の言葉に名前さんは目を丸くした後、黙ってじっと俺を見つめた。何だよ。昨日言質は取ったからな。俺はもうアンタを逃がす気はねぇぞ。
「そうだね」
「…」
「もう、見過ぎ。…恥ずかしいからあと一回だけだよ」
そう言って少し笑うと名前さんから触れるだけの口付けを落とされる。胸の奥が温かくなるのを感じて思わず緩みそうになる口元をなんとか抑えた。
俺はいい加減いつまでもニヤニヤしてこちらを見ている五条先生に問いかけた。
「…で、今日はこの後どうするんですか」
その手には珍しくノートパソコンがあった。五条先生はそれを振りながら俺に見せる。
「何ですかそれ」
「結構大事な話」
五条先生は目隠しを少しだけずり上げた。
「もう恵の部屋でいいか。ちょっと面倒なことになった。悠仁と野薔薇もここに呼んでいい?5人で作戦会議しよう」
「また敵襲?」
「うーん、そんなとこ」
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