酔っ払った恵が妙なことをし始めたので、もう寝かせようと決めて額に呪力を流して無理矢理気絶させた。恵はソファの上で、俺に押し倒される姿のまますやすやと眠ってしまっている。
「……あっぶね」
思えば今日の恵はずっと様子がおかしかった。
何かあったのか、それとも俺が何かしたのか。わからないけどあの昇降口で俺を睨みつけた恵が、まるで俺に裏切られたとでも言わんばかりに殺気立っていた。だからどうしても放っておけなかった。様子を探るために本人の希望の通りに自宅まで招いたらこれだ。
"俺は別に良いですよ。…男でも"
"…名前さんの好きにしてくれるなら"
それにしても何を言い出すんだ、こいつ。
突然恵に名前を呼ばれて、馬乗りになられて不覚にもドキドキしてしまった自分を恥じる。下の名前なんて誰でも呼ぶし、呼ばれ慣れているはずなのに、さっきの酒を飲んだ妙に色気のある恵に言われると変な感じがした。……いやいや、女より色っぽいってどういうことだよ。
俺は一度深呼吸をすると、恵の上から退いて寝室のドアを開けた。リビングのソファに戻り、すっかり眠りこけてしまった恵を横抱きにすると、そのまま寝室に向かい、ベッドに下ろす。「ん、」と小さく身を捩るが、酒と疲労のせいで深く眠っているのか起きる気配はない。無防備すぎるだろ。まあでも恵のことだからクソ真面目に授業を受けて、任務も頑張ったんだろう。疲れているはずだ。
「……」
恵の薄く柔らかい唇を親指でそっと撫でる。そのまま顎を撫でる。耳に触れる。形の良くて意外と大きい耳。耳たぶを撫でて、そのまま耳輪をなぞる。真っ黒な癖のある直毛に指を絡める。そのまま首筋を辿って、細くくっきりと浮き立つ鎖骨を撫でた。恵は起きない。
「警戒心ゼロかよ」
いつも女の子にするみたいに恵に触れてみたが、特に俺の中に何か新しい感情が生まれることはなかった。
はっきり言って俺は鋭い方だ。だから今日、恵が俺に出したサインをいくつか分析して恵が俺に何を求めているのかはある程度推察できる。
俺だけにしてほしい、俺を一番にしてほしい、と意を決したように言ってから、恵はさらに様子がおかしくなった。
ベッドに座って、黒く整った恵のまつ毛を眺めた。マスカラを塗っているみたいに丁寧に生え揃った長いまつ毛。しっかりと閉じられた瞼のお陰で視線は合わない。
だがさっきので何となく察しはつく。それなら俺と硝子さんが寝ていることに恵があんなに取り乱したのも、家に押し掛けてきたのも、甘えて俺に寄りかかってきたのも、俺に馬乗りになってきたのも、全て説明がつくからだ。
「…女みてぇな顔」
……とりあえずやり方だけでも勉強しといた方がいい?
「……おはよう、ございます」
「おはよ。よく眠れた?」
「……はい」
恵が気まずそうに寝室から出てきて、俺は少し笑ってしまった。時刻はまだ朝の7時だ。
結局、予想通り昨夜一睡もできなかった俺はシャワーを浴びた後に一晩中本を読み漁り、一応男同士のセックスについてもネットで調べておき、眠気覚ましにコーヒーを今淹れているところだった。
恵はよく眠れたのか、昨日と比べると顔色が良く頬に少しだけ赤が差している。それが小さな子どもみたいでなんとも可愛らしくて、俺はまた笑ってしまった。
「すみません、俺、昨日…」
「あー、なんか酔っ払ってたな」
「……」
「悪い悪い、俺が飲ませすぎたんだよ。疲れてたから回ったんじゃね?任務の後だったし。今は大丈夫か?頭痛くない?」
「……はい、大丈夫です」
俺がそう軽く流して恵の顔を覗きこむと、恵は少しだけ口篭ってから頷いた。昨日のことは酔っ払って起きたアクシデントで、別に何のことはない。気にしてない。俺がそういうスタンスでいた方が恵にとっては都合が良いだろう。そう思っての対応だった。…仮にあれが恵の本心だったとしても、だ。そもそも恵は知らないだろうけど、俺とお前は、
「ん、なら良かった。今コーヒー淹れてるけど、朝起きてすぐだから恵には白湯にしてやろうな」
わざと子どもに言うみたいに俺が声をかけると、恵は少しだけ赤い頬のままじっと俺を見つめてから小さく頷いた。素直じゃん。
沸かしたばかりの湯を電気ケトルからマグに注ぎ、ミネラルウォーターを少し足して湯冷ましを作ると恵が台所にやってきて俺の隣に並んだ。少しだけぬるくなった白湯を恵にくれてやると、律儀に両手で受け取り、こくこくと飲み始める。昨日折ってやった服の袖は乱れてずり下がっていて、また袖が余っている。……なんか小動物みたいだな。
「あの……昨日の話」
「ん?」
「覚えてます?……俺が言ったこと」
恵が大事そうにマグを握りながらおずおずと切り出したので俺は頷いた。……なかったことにしてしまえばいつも通りの俺たちでいられるのに、恵はそうする気はないらしい。
「……覚えてるよ」
それなら俺だって受けて立つところだ。恵なりに結構勇気を振り絞った言葉なら、きちんと俺もそれに応えてやらなければこいつが報われない。恵は冗談であんなこと言うタイプじゃないのも短い付き合いの中でわかってるから。
「酔っ払いの戯言ってことにしとけばいいのに、真面目だねぇ」
「……」
「俺の一番になりたいんだっけ?」
「……はい」
恵が目を伏せて不安そうに頷いた。うわ、ちょっと可愛いかもしれない。男にこんな気持ちになるのは初めてだ。俺に捨てられるのが怖いとでも言いたげな恵に、思わず固まってしまう。
「……名字先輩?」
「それってつまりどういうこと」
「…え?」
「教えて」
「あ」
動揺を悟られたくなくて、誤魔化すように恵の顎を掴んで少しだけ上を向かせて視線を合わせる。
恵の目が揺らいでいた。
「はっきり言ってくんないとわかんない。教えて」
「……っ」
「はやく。今すぐ知りたい」
恵は眉を下げて顔をより一層赤くして視線を彷徨わせた。沈黙が続く。恵を見下ろして、逃さないように台所のシンクの縁に手をついて閉じ込める。わざと顔を近づけると耐えかねたのは恵の方だった。意を決したと言わんばかりの小さな低い声が沈黙を断った。
「……俺、先輩のこと…好き、なんです」
恵は蚊の鳴くような声でそう告げた。
これは告白だ。俺を親しい同性ではなく、恋愛対象として見ているという告白。
「……好き、です…」
「……」
「……なんか、言ってくださいよ…」
「あー……なんかびっくりしちゃってさ」
「…クソ…何だそれ…そっちが言えっつったんだろ…」
だが憎まれ口を叩く恵の瞳の熱は本物で、やはり揶揄うのは止すべきだと悟った。
わからない。今の恵を見て可愛いとは思う。そういう意味で恵から好かれて別に嫌な気持ちにもなってない。俺は背が高くて目が切れ長の美人がタイプだから、恵もそれに当てはまるし。
だがわからない。これは好きという感情か?俺は恵を好きなのか?今好きじゃなくても、男でも、これから好きになれるのか。俺自身もよくわからない。
「…っ…!…んっ」
だから確かめてみる必要がある。
何か言え、と促す恵の唇にそのまま自分のを重ねてみる。
いきなり舌入れるのはまずいかと思いちゅ、ちゅと何度も触れるだけのキスをすると恵は驚きのあまり目を開けたまま固まっていた。唇柔らかー。ぷるぷるじゃん。女みたい。へー、気持ちいいもんだな。
「目くらい閉じろよ」
「……っ……んっ」
小さい声でキスの合間に俺がそう言うと、恵は慌てて目を閉じた。そのまま頭を押さえて何度もちゅっちゅしていると恵の手からいよいよマグが滑り落ちそうになる。キスしたまま俺がそれを掴んでシンクにそっと置くと恵は俺の胸に手をついた。
初めてでさすがにやり過ぎかなと思い顔を離すと真っ赤になった恵が、やや涙目で信じられないという顔で俺を睨みつけていた。
「なに?」
「……は……?…っこっちの、セリフ……」
「お前が好きって言うからキスしたんじゃん。俺とこういうことしたかったんじゃないの?」
俺が首を傾げると恵はまた少しだけ固まって俯く。否定も肯定もしない。……肯定ってことでいいよな?
「先輩は俺のこと、」
「もう黙って」
ぺろっと舌なめずりをしてそのまま恵にまた口付ける。
恵が俺のシャツの裾を掴んでギュッと握ったのがわかった。その手を掴んで互いの指と指を絡ませて握ってみる。その瞬間恵が何か言いたげに息を漏らしたが無視した。俺より白くて細い、やや骨ばった手。今まで抱いた女の子達の手よりも随分大きい、男の手だ。
うん、やっぱり嫌じゃない。でも興奮するかと言われると正直わからない。女とこうなったら大抵の場合すぐに勃つけど、今の俺は勃ってない。寝不足のせい?それとも緊張してんのかな、俺。男同士でやるの初めてだしな、恵のこと気持ち良く出来るか正直なところそんなに自信ないし。
このまま進めたら俺も勃つんだろうか。そしたら俺は恵を抱きたいと思うんだろうか。それは俺が恵を好きってことなんだろうか?
「ちょ……待ってください」
「はいはい」
ベッド連れてくか。ゴムは多めに買ってるけどローションってまだあったっけ?あんまり使わないんだよなぁアレ……あとタオルいるか、一応。そんなことを思いながら、握っていた手を解いて男の割に軽い恵の身体を抱き上げまた寝室に連れ込んだ。
「俺、別に好きって、言っただけで」
「ん?」
「こういうこと、したい、わけじゃ……」
恵はベッドの上で仰向けのまま一瞬ぽかんとした後、俺が何を始めようとしているのかを理解したらしく慌てて否定し始めた。まあ今俺が押し倒してるからな。
「えー?違うの?」
「…そんなんだからいつまで経っても、彼女出来ないんじゃないですか」
「……?」
「俺としては好都合ですけど」
恵の言う意味がわからず頭に「?」を飛ばしていると、恵はため息を吐いてきっと俺を見上げた。何だよ。
「俺を好きってことは俺とセックスがしたいんじゃないの?」
「…短絡的すぎ」
「どういうこと?恵は俺のこと好きだけどそういうのはしたくないってこと?婚前交渉しない主義的な?……え?このご時世に?」
「いや……したくないってか…なんかその急すぎるというか…大体、先輩こそ、俺のこと…どう思ってるんですか」
「どうって?」
俺がまた首を傾げると恵は頬を赤らめて目を逸らした。だから自分から聞いて照れてるんじゃねぇよ。何なのお前。何がしたいの本当に。
「だから俺は言いましたけど。先輩のこと、好きって」
「うん、そうだな」
「…名字先輩はその……俺のこと……」
「俺が恵を好きかどうかってこと?勿論好きだよ、後輩として。一番可愛い後輩だと思ってる」
「……」
「でもお前と付き合うとか恋愛出来るかって正直まだわかんない。男同士だし。だから抱いてみたらわかるかなと思った」
素直に答えると恵はまた信じられないという顔で固まった。俺何か変なこと言ったか?
「……それって、前向きに受け止めてくれてるって考えていいんですか」
「んー…?まあそうかも。後は単なる興味かな」
「…興、味」
「恵は?俺に抱かれる覚悟あんの?俺を好きになるってこういうことだよ」
「……っ」
「例えば俺と今後どうにかなるとしても、俺えっちすんの好きだしこういうこと絶対することになるけど」
押し倒して恵を見下ろしながら問い掛ける。貸してやった寝間着の裾を捲ってするすると恵の腰を辿ると微かに恵が震えた。昨夜俺に跨ってきた時にも触ったが、細い。女よりは硬いけど、男にしては細い。……あー、捻り潰せそうだ。
「そういうことも含めて、お前の方こそ俺に愛される覚悟あんの?」
俺は普通の恋愛なんて出来た試しがない。憧れるけど、自分がそんなこと出来るとは思えない。愛される覚悟なんて言ったけど、愛し方もよくわかってねえよ。だから恵の気持ちに応える方法がわからない。
別に何でもいいけど、怖いなら今のうちに逃げろよ。そう思って笑いかけると恵は目を見開いて黙り込んだ。
「失望した?」
追い打ちとばかりにそう尋ねると、恵は黙り込んだ。戸惑いながらも必死に頭を回して恵は俺に何と返すべきか考えているらしい。
恵に俺の感覚は理解出来ないだろうな。これは普通ではない俺なりに、一応真摯に恵に向き合っているということなのだが、多分本人はこんな感情知らないだろう。
そのくせこいつは俺にヤられそうになって興奮しているのか勃っている。まあでも朝勃ちの可能性も捨てきれないのでそこは目を瞑ろう。
「…失望なんかしてません。そういう覚悟とか俺、正直わからないけど、アンタのことを好きな気持ちは本当です。……でもこんな始まりは嫌です」
「…………あ、そう」
「っだから……この続きはちゃんと、俺のこと好きになってからにしてほしい」
「……」
「そうじゃないなら、ずっと、ただの後輩でいいです」
恵はそう言うと、一瞬だけ躊躇うように視線を泳がせてスウェットを脱がせにかかっていた俺の手を控えめに握った。思わぬ行動に今度は俺が固まる番だった。
そして俺の頬を撫でると、ちゅ、と控えめに唇にキスをしたのだ。
「…ただの後輩のくせに口にキスすんのはOKなの?」
「そっちが先にやってきたんじゃないですか。俺はアンタのことが好きなんですよ」
「それはお前が俺のこと好きとか言うからじゃん」
「人のせいにするの良くないです」
「あーうるせぇ、減らず口」
「なっ……」
がぶ、と噛み付くように恵にまた口付ける。恵は抵抗せず、今度は一応目を閉じて俺のキスに応える。その上控えめに俺の肩に手を置いて、次第にもっとと求めるみたいにその手が首に回される。……は?何これ?悪くねぇんだけど?なんかむしろ女の子とキスするより興奮するんだけど?
ドキドキさせてやりたくて恵の背中に腕を回してより密着する。お互いの息も唇の感触も心地良い。
なんつーか、俺もお前も言ってることもやってることもめちゃくちゃだけど大丈夫か、これ。
「ん………っ名字、せんぱ…」
「はい、おしまい」
舌入れようか悩んだけど何となくやめておいた。なんか俺もムラムラしてきたし、そうなると止まんなくなりそうだから。ちゅっちゅと何度か恵に啄むようなキスをして、額にもキスを落とすと俺は身体を起こした。
恵が縋るように俺を見上げてくる。……こいつやっぱ絶対ムラムラしてるだろ。はー、でもなんかさっきのちょっと可愛くてムカつくから絶対触ってやんね。
「お前の意思を尊重するよ。セックスは俺が恵に惚れてからね、了解でーす」
「……」
両手を上げて恵に跨ったまま降参のポーズで明るくそう言い放つ。まだベッドに寝そべったままの恵は吊り上がった目尻を少し下げて唇を噛んでいた。……物足りなさそうな顔してる。
「なに、名残惜しい?」
「…っ違います」
図星なのか恵は真っ赤な顔のまま視線を逸らす。俺が恵の上から退くと、恵も起き上がって身なりを整えた。いやー、マジ信じらんねぇな。ここまできてエロい雰囲気になってんのにしないとか俺マジで凄すぎる。
「じゃ、惚れさせてくれよ」
「……」
「そしたら俺、恵とえっち出来るんだろ?あ、勿論俺が挿れる方な」
「……最低」
「最低だよ、俺は」
いつもの調子で笑うと、恵は眉を顰めて口を噤んだ。お前から告白してきたくせに何なんだよその態度は、と思うがそこは黙っておく。
着替えたら朝飯にしよう、と声をかけて部屋を出た。ちらりと自分の股間を確認すると誰がどう見てもしっかり勃っていて、俺ってマジで節操ないんだなぁとしみじみしながらキッチンに戻り、少し冷めてしまったコーヒーに口を付けた。
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