「合宿ゥ……?」

名字先輩が頭を掻きながら不機嫌そうに目を細めた。その目元にはくっきりとクマが浮かんでいて、それだけで随分な疲労が伺える。

数日前に名字先輩に勢いで告白してしまったものの、特に了承も拒否もされず、寧ろ何故かキスされまくった挙句襲われそうになった。やはり想像の斜め上をいく節操なしは行動も全く読めない。
俺は何とかそれを回避して好きになってもらえるまでそういうのはナシで、と約束をこぎつけた。我ながら懸命な判断だったと思う。あのまま流されて身体の関係を持ってしまったら、それこそあの人の数多いるセフレの一人にしかなれないだろう。

俺の意思を尊重した先輩は、とは言えその後もいつも通りといった感じで俺に接してくるので戸惑った。
よくもまあ好かれている相手(しかも同性)に普通に接することが出来るものだと思う。良く受けとればそれだけ俺を可愛がってくれているとも言えるし、悪く受けとれば特に相手にされていないとも言える。

そんな悶々とした気持ちを抱えたままゴールデンウィークに突入してしまったが、春先から沸き始めた呪霊が今年は多く、名字先輩は休み返上で任務に駆り出されているらしかった。
低級や簡易な任務は連休中俺にすら振られる始末だったので、恐らく名字先輩始め1級術師はもっとムチャな任務の振られ方をしている。多分誰も寝ていない。

名字先輩は学生と言えど1級術師だし、事実頼れる存在だ。涼しくなるまでは忙しいんだろうなとぼんやり思いながら、五条先生に言われた通り2年の教室に向かうと、既に黒板に真希さんがチョークで何やら書いており、パンダ先輩が席に着いていた。
その隣に机に突っ伏してぴくりとも動かない名字先輩がいる。……寝てんのか?

「おう、恵も来たか」
「はい」
「来月合宿やるから、それの詳細説明と、細かい班決めだな」

真希さんの言葉に名字先輩がゆっくり顔を上げた。
そして冒頭に至るわけだ。

「……お前……この……クソ忙しい時期に……合宿て…アホか…」
「名前、寝てていいって」
「マジで……誰が言い出したんだよクソ……」
「悟の思いつき」
「…あのバカ目隠し……」

ぼそっとそう呟いて名字先輩はまた机に突っ伏した。どうしたものかと俺が立ちすくんでいると、真希さんに「そこ棘の席、今いないから座っていいぞ」と言われて指示通り席に着く。
背後のパンダ先輩に「悪いな、名前任務で二徹目なんだ。勘弁してやってくれ」と言われて俺は頷いた。名字先輩は家に帰りたいのだろうが、恐らく真希さんとパンダ先輩に捕まってここに連れてこられたのだと思う。

「で、合宿って何ですか。俺も初めて聞いたんですが」
「箱根登山合宿だってよ。1年の女子がもう一人入学したら決行」
「箱根……?」

俺がぽかんとしていると、名字先輩が大きめの舌打ちをした。ここまで不機嫌な先輩を見るのは初めてで思わず固まってしまう。ちらりと見ると先輩は身体を起こして大きく股を広げると、椅子の背にもたれて天を仰ぎながら目を閉じていた。

「お前らそもそも常に合宿生活みたいなもんじゃん……やる意味あんのかよこんなワクワククソイベント。温泉が混浴じゃなかったら俺帰るから」
「……混浴だとしたら入らないように、後輩には私から言って聞かせる」
「混浴で女不在なんて混浴の意味ねーじゃん!」
「じゃあ私が入ってやろうか」
「は?何でわざわざ真希のおっぱい見なきゃなんねーの?お前女ってかほぼ男だろ」
「死ね」
「痛!!」

名字先輩は不機嫌そうに吐き捨てたが、思い切り真希さんからチョークを頭に投げつけられて悶絶している。さすがに最低すぎる発言に俺は黙り込む。「混浴ってパンダも温泉入れるのか?」とパンダ先輩に聞かれたが「知りません」と俺は首を振った。

「つーか寝てろ、名前」
「寝れねーよボケ。帰らせろ」
「この後もう一本任務入れるって悟が言ってたぞ。帰る時間を寝る時間に充てろ」
「……クソが」

パンダ先輩の言葉に名字先輩が暴言を吐くが、二人は珍しくそれを咎めなかった。それだけ名字先輩に疲労が溜まっていて、こき使われているのを二人は知っているんだろう。
俺は黙ってその様子を見守ることくらいしか出来ない。何より心配なのは、この人は人がいると眠れない体質であるということだ。そして多分、この対応からして真希さんもパンダ先輩もそれを知らない。

真希さんが渡されたであろうプリントを読み上げるのを聞きながら、俺はどうすべきか悩んでいた。











結局、一通り合宿の説明が終わるまで名字先輩は起きていて、真希さんが終わりを告げた途端に、ふらりと立ち上がって教室から黙って出て行ってしまった。
気がかりな俺はその後を追うように同じく教室を出る。
廊下を見渡すとすぐそばの窓辺で名字先輩が目を閉じて壁にもたれてポケットに手を突っ込んだままやはりまた天を仰いでいた。
陽の光が髪に反射してきらきらしていて綺麗だ。

「大丈夫ですか」

――放っておけない。
考えるより先に声をかけると、名字先輩がゆっくり目を開いて俺を見下ろす。いつも爛々と光っている大きな目と違って、今日は覇気がない。クマも酷かった。

「……あんまり。この後夕方からまた任務だし」
「仮眠室で寝たらどうですか」
「……あそこ人の気配して眠れないから」

それだけ言うと名字先輩は一つ大きな欠伸をして俯いて頭を掻いて黙り込んでしまった。いつもならもっと饒舌なのに本当に疲れているのか口数も少ないし、何よりかなり眠そうだった。このままだと身体を壊すんじゃないだろうか。
人がいると眠れないって本当だったんだな。任務の合間にも少しくらい眠れる時間はあっただろうに、補助監督や他の術師がいて気になって眠れなかったのかもしれない。……気の毒になってきた。

「……俺の部屋で寝ます?」
「は?」
「俺この後任務で部屋空けるんですよ。狗巻先輩は出張でいません。他の人もいないはずです。……静かだと思うので、少しは眠れると思うんですけど」

俺がそこまで言うと名字先輩は黙ってじっと俺を見つめた。悩んでいるらしい。

「……俺の寝込み襲うなよ」
「だから俺任務だっつってんですよ」

マジでどの口が言うんだよ。
自分がしたことを棚に上げて随分な物言いだ。だが、つまりそれは名字先輩が了承してくれたとも言えるわけで。少しでもこの人の役に立てることが嬉しい俺は、憎まれ口を叩きながらも「行きますよ」と寮への道を促した。
頸をぽりぽりと掻いた後に黙ってついてくる名字先輩。名字先輩は結構お喋りなタイプだから、こういう時に一言も喋らないなんて珍しくてなんとなく居心地が悪い。何より二人きりになるのは俺が告白して以来で、妙な感じだった。まあでも疲れてるなら何も話さなくていいだろう、俺だって口数が多い方じゃない。そう思って黙って寮の俺の部屋のドアを開けた瞬間だった。

「恵」
「はい?」
「お前、こういうこと誰にでもすんの」
「……」
「それとも俺だから?」

名字先輩も俺の部屋に入ると、いつもみたいにポケットに手を突っ込んで壁にもたれた。目が座っている。

「……名字先輩だから、です」
「……」
「俺だって別に誰彼構わず親切するわけじゃ、」
「へー、そっか。……ありがとう」

突然腕を引っ張られて少しよろけた。疲労が溜まっていても名字先輩は俺より力が強いし背も高い。

「なんか疲れた」
「えっ」
「嫌なら抵抗して」

名字先輩は俺を抱き寄せるとそのままごろんとベッドに押し倒す。少し前に名字先輩の家で襲われかけたのを思い出して頬が熱くなるのがわかる。逃げないと、と手をつこうとした瞬間に頭を押さえられてはっとする。
名字先輩の顔が近付いてきた。ちゅ、と唇に触れるだけのキスをされる。そのまま何度かはむはむと唇を挟まれて吸われてされるがままだ。ずるい、こんなの。抵抗出来るわけない。俺が先輩の肩に手をつくと、名字先輩がにやりと少しだけ笑ったのがわかる。

「恵、あーんできる?」

掠れた名字先輩の声にドキドキしながら、先輩の言う通り控えめに俺が口を開ける。するとあっさり先輩の舌が侵入してくる。れろ、と互いの舌が一度絡まった瞬間先輩の舌の味を感じて身体が熱くなる。ぞくぞくする。このままキスしてたらどうにかなってしまいそうだ。

「恵、これ好き?」
「……っ」
「気持ち良いね」

キスの合間に尋ねられたけど答えられなくて俺はだんまりを決め込んだ。先輩の言うとおり、これ、好きだし気持ち良い。……もっとしたい。
ちゅく、ちゅる、と何度も舌を絡め取られて吸われて、思わず先輩の制服の肩口をきゅっと握る。先輩はまた小さく笑うと「こっちだよ」と俺の腕を自らの首にまわすように誘導した。まるで俺が抱きついて強請っているみたいな体勢だ。

「恵」

やめなくちゃいけない。こんなこと早くやめないといけない。付き合ってるわけでも、この人は俺のことが好きなわけでもない。……でも、この人のことがもっと欲しい。
葛藤していると俺の頭を軽く押さえていた先輩の手が何度かそのまま俺の髪を撫でて、あっさり唇が離れた。互いの唇に伝った銀糸がぷつんと切れて、口の端で糸を引いている。何だかそれが名残惜しくて、何も言えなくて黙っていると名字先輩は薄く笑う。

「物欲しそうな顔」
「…別に。何なんですか急に」

俺が思い切り先輩を睨みつけると、名字先輩は少しだけ戯けた顔を見せて俺を押し退けてそのままベッドに突っ伏した。

「お礼。……あー眠」
「……マジで最低です」
「お前だってあーんしたくせに。好きな人部屋に連れ込むなんてやらしー。……こうなることちょっとくらい期待してただろ?」

布団に顔を埋めながらクックッと揶揄うように名字先輩は笑う。初めてのキスの相手がこの人で、先輩とするキスは頭が蕩けるような気持ちの良いものだった。そうだ、別に期待してなかったわけじゃない。……だからって、またキスして欲しかったなんて正直に言えるわけない。

「…俺のこと好きじゃないくせに」
「好きじゃないとは言ってない。好きかわからないってだけ」
「……っ」

そう言って舌を出して名字先輩は悪戯っぽく笑った。さっきまで俺の口内で暴れていたそれを見るとかっと頬が熱くなった。
嘘か本当かわからない言葉にいちいち翻弄されてしまう。……こんな甘ったるいキスを寄越しておいて好きかわからないなんて言われる俺の気持ちを考えてほしい。

「で、初めてのベロチューどう?気持ち良かった?」
「……」
「オイ無視すんな」

俺が何も返せないでいると、名字先輩はやはりまたずるい笑顔を見せて着ていた制服の上着を脱いだ。ワイシャツのボタンをいくつか外す。首の筋肉と鎖骨が露わになり思わず見つめてしまうが、本人は気付いていないらしい。何の遠慮もなく俺のベッドに仰向けで寝そべると「早く出ていけ」と手で促される。……ここ一応俺の部屋なんだが。

「ありがとな」

部屋を出ようと室内の照明を消して名字先輩に背を向けると、もう一度ぼそりと礼を言われて俺は小さく頷いた。










「あれ、恵、名前知らない?」
「…名字先輩がどうかしましたか」
「次の任務のことで……ん?」

補助監督に言われた通りに昇降口に向かう。先ほどの名字先輩との生々しいキスの感触がまだ鮮明に脳に焼きついていて、心臓がやかましい。ほんの戯れとしか思われていない、多分。でも戯れでキスが出来る程度には俺に気があるのか……?それとも性的好奇心旺盛なあの人のことだから男の身体に興味があるだけ…?

手の甲で唇を拭ってもあの感触は忘れられない。ぐるぐると頭の中で回る雑念を振り払うべく、外の空気を吸おうと出た渡り廊下でバカ目隠しこと担任とすれ違った。タイミングが悪すぎる。
突然思いつきで合宿などを言い出すこの人に、俺を含め周りが振り回されるのはいつものことだが今回は急なので皺寄せも多そうだ。
俺が何と答えるべきか悩んでいると、五条先生はすんすんと匂いを嗅ぐ素振りを見せて俺は思わず一歩後ずさる。

「ちょ……何すか」
「……名前の匂いする」
「は?」
「名前香水つけてるでしょ。あれの匂いが恵からする」
「……」

マジか。しまった。さっき部屋でその…キス、された時に移ったのかもしれない。確かに、短時間とは言えあんなに密着してたら移るか…?
思わず自分の制服をすんすんと俺も嗅いでみるが、自分ではよくわからなかった。だが五条先生は五感が鋭いし多分、この人が言うのなら本当にそうなんだろう。

「ってことはさっきまで名前といたんだ?」
「……まあ、はい」
「どこ?」
「疲れてるらしいんで、俺の部屋で寝てます」
「……へぇ?」

俺の返事に五条先生は意外そうに、だが意味ありげににやりと笑う。嫌な予感がして俺は先生から目を逸らした。

「…急ぎじゃないなら後にしてあげてください。じゃないとあの人、落ち着いて寝れないでしょうから」
「何で恵がそれ知ってんの?」
「…え」

慌てて取り繕うようにそう返したが、どうやら悪手だったらしい。
五条先生はますます面白そうに俺を見下ろしながら「へえ?ふーん?」と首を傾げる。マズい、言うべきじゃなかったか。

「弱点だから誰にも言うなって名前に僕は口止めされてたんだけど。……恵には話したんだねぇ。随分信用されてんじゃん」
「……」
「で、恵も随分名前に懐いてるんだね。君が他人に自分のベッド貸すとかあり得ないでしょ」
「…別に」

しまった、やっぱり五条先生に言うべきじゃなかった。
どう誤魔化すか思い悩みながらぶっきらぼうに返すと、五条先生は持っていたタブレットを指で弄びながらにやにやと笑みを浮かべる。目元は隠れていてわからないが、この人のこういう口元は見るだけで察しがつく。

「名前って男もイケるんだ?」
「…知りません」
「あんまり気を許しすぎると、恵も食べられちゃうかもよ。てかさぁ、香水の匂い移るくらいべったりくっ付いて二人でどんなヤラシイことしてたの?」

五条先生はそう言って俺の反応を窺っているらしかった。食べられる何も、既にこの前食われかけたし今だって好きかどうかわからないと言いながら蕩けるようなキスをされた。……大体、俺は最終的にあの人に食われてもいい覚悟で好きになってんだよ。今更そんな話どうでもいい。

「冗談はそれくらいにしてください」

なるべく平静を装ってそう返すと、五条先生はつまらなさそうに唇を少しだけ尖らせた。




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