「神様仏様真希様、おはようございます」
「気色悪、何だそれ」

俺はその日ぼんやりした頭のまま早めに登校して、道場を訪れた。というか今日は授業は休みで、午後から待機命令が出ているから恐らく任務。別に昼から来れば良かったのだが普通に高専のジムでトレーニングをしたかったし、何より恵とのいざこざがあった昨日の今日で頭が冴えなくて誰かと話をしたかった。
道場に顔を出すと、案の定真希が1人で鍛錬をしていて、朝から熱心なこって……と感嘆のため息を漏らす。真希は俺に気づくと思い切り眉を顰めて「何でいんだよ」と吐き捨てた。随分なご挨拶だなオイ。

「傷心なの。……優しくして」
「また女にフラれたのか?お前そろそろ性病検査受けろよ」
「優しくしてって言ってんだけど人の話聞いてる?」
「優しい助言してんだろ」
「もういい……」

よよよと泣き崩れながら真希の荷物の横にどかっと胡座で腰掛ける。真希は「めんどくさ」と汗を拭いながら俺の横に渋々腰掛けて持って来ていたのであろうスポーツドリンクを口に含んだ。

「またヤり捨てられただけだろ。いちいちメソメソすんな」
「ヤるどころか、そこに至らず後輩に弄ばれて捨てられそう」
「……は?」
「……なんか俺、もうダメかも。嫌われたかもしれん。てか嫌われるようなことしちゃった。……どうしよう」

片膝を立てて顔を埋めてぼそぼそと告げると、らしくない俺の様子に真希は数秒絶句した。只事ではないと一応察したらしい。真希は黙ったまま俺が話し始めるのを待っていたらしかった。

「……恵に酷いこと言ったら、酷いこと言い返された」
「内容聞かなくてもわかる、絶対お前が悪い」
「そうなんだよ」
「何言ったんだよ、お前ら仲良かっただろ」
「……」
「おいここまで喋ったんなら最後まで話せボケ」

ばしっと真希に頭を叩かれて俺はゔっと情けない声を上げる。
昨日のことを思い出すだけで頭がぐるぐるする。あー、何であんなこと言っちゃったんだろう俺。別に俺は恵と付き合ってるわけでも、恵の人間関係に口出しできるような立場でもない。なのにあの時は恵と悠仁の関係を思うとイライラが止まらなかった。悠仁の隣に居座りながら、のこのこ俺の家に来る恵に何だか無性に苛立った。何なんだあの気持ちは。

「…恵と悠仁が仲良いとイライラすんだよ」
「……」
「なのに恵は俺に甘えてくるしさ。……お前には悠仁がいるからもう俺はいらねーんだろって言った」

俺がそう言うと真希はでっかいため息を吐いてもう一口スポーツドリンクを口に含む。

「そんで?」

"アンタこそ、自分の居場所が欲しくて、誰かに求められたくて節操なく女抱いてんだろ。人を本気で好きになるのが怖いだけのくせに……!"

もう誤魔化すのも無理だな、と踏んで事の経緯を正直に話すと、真希はまたもため息を吐いて「お前バカじゃねぇの?」と俺を蔑んだ目で見つめてくる。うるせー、わかってるよ。

「恵が100%正論」
「……いやそれはわかってるけど」
「……」
「……何か言えよ」
「私に何て言って欲しいんだよ」

真希にそう言われて口を噤む。こういう時の真希は徹底して、答えを口に出さない。絶対に教えてくれない。自分でその答えに行き着くまで、自分で考えろと言う。
けど俺の頭の中はぐちゃぐちゃで考えがまとまらない。俺は恵とどうなりたいんだ?何でこんな拗れてんだ?
あーくそ、ムカつく。だらんと道場の床に仰向けに寝そべって天井を仰ぐ。規則正しく並んだ梁を眺めて俺は真希の言葉を待った。

「……お前、自覚あんの?」
「何が?」
「自分の気持ち」
「…?」
「あー、こりゃ重症」

真希は呆れたように頭を掻くと緩んできたポニーテールを解いて結び直していた。
長くてさらっとした髪が揺れる。真希は美人だ。黙っていて尚且つ俺に暴力を振るわなければ、綺麗だとは思う。だが好みじゃない。真希をどうこうしたいと思ったことはない。
……でも恵は?

「それくらい自分で考えろよ」
「……意地悪」
「それと、恵は知ってんのか?」

真希は丁寧に結び直したポニーテールを確認すると、ゆっくり立ち上がった。俺もつられて起き上がって、また胡座をかく。

「お前と恵の関係」
「さあ?親父とかお前とか五条先生が何も言ってないなら知らねーかも」
「じゃあ知らねーだろ。悟が言ってるわけないし、私も言わないし、あのジジイがそんな話を恵にするわけないし。お前から早めに言っといた方がいいぞ。"自分だけ知らなかった"じゃ可哀想だ」
「それ今の話と何か関係あんの?」
「大アリだろ」

真希はそれだけ言うと「稽古の邪魔だからどっか行け」
と俺に言い放って薙刀の呪具を手に取った。
俺は着ていた制服の上着を脱いで腕捲りをすると立ち上がって真希の正面に立った。

「邪魔だっつったろ」
「頭空っぽにしたい。真希の稽古手伝ってやるよ」
「だから何で上からなんだよいつもお前は……!」









「入り甘い」
「言われなくても!」

真希の蹴りをいなして俺も足技を引っ掛けると真希の体勢が崩れる。
どすん、と派手な音がして地面に落っこちるのが見えたが、真希はしっかり手をついて逆立ちのまま反撃してきた。

「お前と組み手やんの久しぶりだね」
「誰かさんが体術の授業サボるせいでな」

殴りかかってくる真希の拳をクックッと喉で笑いながら避ける。相変わらず凶暴な女だ。

「前より良くなってんじゃん」
「上から言ってくんな、うぜぇ」
「喋ってると舌噛むよ」
「……っ!」

女とは言っても真希相手なら俺は容赦しない。こいつの夢見る未来に容赦は必要ない。
真希の体勢が崩れたのを見計らって腕を引っ張って投げ飛ばそうと腰を入れると蹴り返される。痛い。でもそれすら無視して思い切り投げ飛ばして真希の顔の横に手をついた。押し倒すような体勢のまま、真希を見つめてみる。

「どけ」
「……」
「おいじっと見んなキモい」
「……何でだろう。よく見たらさぁ、お前恵とよく似た顔してんのに」
「……っ!」

俺がそう言った瞬間、ばちん、と派手な音を立てて頬を打たれる。真希に平手打ちをされたんだと理解した時には、顔面に激痛が走って「あー、これ硝子さんとこ行かなきゃ案件だな」と妙に冷静な頭で思っていた。

「……失礼なんだよ、お前」
「え……ごめん。でも俺、真希の顔綺麗だなと思ってる」
「死ね!」
「何で……?酷くない?」

よっこらせと真希の上から退いて打たれた左頬を突くとじわじわと痛みが広がってきた。加減なしでビンタしやがって、これだからゴリラ女は。

「……お前のそういうとこが、人を苦しめてるんだってまだわかんねーのかよ」
「……」
「節操なしでも女好きでもいいけど、お前のその無自覚は問題だ。ちっとは自分の頭で考えろ。……何で虎杖悠仁と恵が仲良いと腹立つのか、恵が何であんなことお前に言ったのかとか、いい加減真面目に向き合えバカ」

真希は最後に「……うんざりなんだよ」と吐き捨てると俺を押し除けて立ち上がり、道場の鍵を俺に乱暴に投げつける。そしてその鍵を俺が拾い上げた時、なぜかそのメガネの奥の瞳に薄っすらと涙が浮かんでいるように見えて、俺は困惑する。いつも勝ち気で男勝りな真希が、泣いている姿なんて初めて見たからだ。
そこでようやく気付いた。――俺って鈍いのかな。泣かせるとこまで甘えないと相手の気持ちに気付けないなんて。

「真希、」
「うるさい」
「ごめん、知らなかった」
「うるさい黙れ。……私は何も言ってない。お前のことなんか、」

顔を背けて立ち尽くす真希に手を伸ばす。真希は憎まれ口を叩くのに俺を拒否しなかった。そのまま背中に腕を回して真希をぎゅうっと抱きしめると、「バカか」と小さく耳元で真希の声が聞こえる。

「……誰かに見られたら勘違いされるぞ」
「いいよ、されても。酷いこと言って悪かった」
「……」
「ごめんな」
「……いい。別に私はお前とどうこうなりたいわけじゃない」

真希は俺に手を回さない。だけど抵抗もしない。変な感じだった。

「……お前は私にとって特別な男だった。お前だけは、私や真依に手を出そうとしなかったし」
「……」
「お前だけは私のことを笑わなかったし、あの家で私を女じゃなくて一人の人間として扱ったから……そりゃ意識もするだろ。……別に今更、」
「まあ俺よく初恋泥棒って言われるからね」
「自分で言うな」

俺は投げつけられた鍵を握り直した。チャリ、と揺れるアクリル板には"道場"と達筆で書かれたシールが貼られていて、年季が入っているせいか随分色がくすんでいる。そのまま腕の中の真希をちらりと見下ろす。

「記念にチューでもしとく?」
「誰がお前なんかと」

まあそうだよなー、なんて笑って俺が真希の頭をぽんぽんと撫でると、真希はやはり抵抗も拒否もしなかった。それくらいいつもしおらしくしてくれたら……なんて思うけど、そんなの俺の知ってる真希じゃないか。俺が離れると真希は眉間を押さえたあと、「さっさと医務室で治してもらえよ」と深くため息を吐いた。











「あーあ、酷い怪我」
「硝子さーん♡治して♡」
「いいよ、こっちおいで」

肩に制服の上着を引っ掛けたまま医務室に行くと今日も運良く硝子さんが出勤していたらしく、俺は左の頬を差し出して処置を受けた。
医務室独特の消毒液などの薬品の匂いを感じながら、硝子さんの反転術式で先ほど真希に思い切りビンタされた頬を治してもらう。硝子さんと会うのはこの前ここで寝て以来だ。

「…これ、鍛錬ってか普通に私怨でビンタされたでしょ」
「真希にやられた」
「そんな感じする」
「わかる?」
「君たち、仲が良いんだか悪いんだか」

硝子さんは棒付きキャンディを咥えながら目を細めて少しだけ笑う。色気のある人だなぁなんて思うが、今日は誘う気分じゃなかった。いつもの俺なら誘って玉砕していただろうに。

「……何かあった?」
「ん」
「言いたくない感じだね」
「……んー」

珍しく歯切れの悪い俺の返しに硝子さんはくすくすと笑うと「いいよ」とだけ言って俺の頬から手を離した。赤みも痛みも引いているように思う。相変わらずこの人の反転術式は効果覿面だ。

「イケメンに戻ってる?」
「はいはい戻ってる戻ってる。……あ、そう言えば、今度合宿やるんだって?五条から聞いた」
「らしいね。まじ最悪」
「学生らしくていいんじゃないの?」
「いや俺そういうの苦手だから。泊まりでみんなで出かけるとかさ」
「意外だな。君、賑やかなの好きそうなのに」
「賑やかなのは好きだよ。でも泊まりが嫌なの」

ふーんと興味なさそうに硝子さんは足を組み直して髪をかき上げた。デスクに戻って書類を書きながら、片手間に雑談に付き合ってくれるらしい。俺は丸椅子に腰掛けたまま足をぶらぶらさせて硝子さんの手元を見つめる。

「部屋割りとかどうするの?」
「1人部屋がいいって言ってるけど、まあパンダか棘と同じ部屋になるだろうな」
「乙骨くんは?」
「しばらく海外だからいない。あとは1年の女の子が入ってきたら合宿強制決行らしいよ」
「そしたら1年生が3人で、2年が4人か」
「そんな感じ」

そもそも、合宿の話なんてすっかり忘れてた。多分あれだろ、姉妹校交流会に向けた決起イベント的なやつだろ。前軽く説明会あったけど任務が重なって疲労で意識朦朧としててほぼ何も聞いてない。
つーか確かに部屋割りとかどうなんだろ。真希が何か言ってた気がするけど悠仁入って来たからまた班分けとか変わるんだろうな。ダリィ。適当に決めてくれていいのに。……ああそう、悠仁だ。アイツが来てから何か俺おかしい。何でだろうな。悠仁めっちゃ良い奴なのに。

「俺最近さぁ、この辺が痛い時あんだよね」
「ん?」

そう言えば、とふと思い出して胸の辺りを撫でながら硝子さんに向き直る。硝子さんは一瞬不思議そうにしてから椅子に座ったまま俺の前まで再びやってきて、胸の辺りを一度撫でてから聴診器を当てた。

「……綺麗な心音だ。どうもないよ」
「…そっか」
「どんな痛み?」
「なんかこう……針でちくっと刺されるような痛み。何回もじゃない、1回あったらそれでおしまい」
「……どんな時にそれは起こる?」

どんな時に?
どんな時って……。

「……」
「名字くん?」

……どんな時だっけ。
確か最初は、恵が悠仁を助けて欲しいって言ったって、五条先生から聞いた時だった。ちくん、と針で刺されるような痛みが走って、一体これが何なのかわからなくて。でも一度で終わったから忘れかけてた。その次は恵と悠仁と自販機で会った時か?……俺の隣じゃなくて悠仁の横に並んだ恵を見て、また同じような痛みが胸の奥の方にあった、気がする。
それから、恵が俺の生姜焼き食いたいって言って、そん時も……。

「……」

……そうだ。
何で俺は恵と悠仁が仲良いとイライラしてんだ?

"違うなら今ここで証明してよ。悠仁より俺の方が大事だって、俺がいれば何もいらないって、俺になら何されてもいいって言えよ"
"俺は悠仁のいなくなった時の保険ってこと"

何で俺、恵にあんな酷いこと言っちゃったんだっけ。

「……」
「大丈夫?また痛い?診ようか」
「……硝子さん」
「うん?」

硝子さんが少し心配そうに顔を覗き込んでくる。俺はそれを手で制して自分の額を押さえた。
まじか、俺、マジ?
これがそうってこと?

「…やっぱ大丈夫。多分」

俺の言葉に硝子さんは黙って首から聴診器を外すと、少しだけ小さく笑った。本当に、小さく、少しだけ。




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