「禪院……」
俺の言葉に驚きで目を見開く恵。
まあそうだろう、言ってなかったし誰も恵に言わなかったから。……言えよ誰か。俺から改まって言うのなんか気まずいんだよ。
「そ。禪院名前。……俺とお前は親戚だよ。ちょこちょこ五条先生と禪院家に出入りしてるガキがいるってのは知ってたけど、それがお前だっていうのは高専で出会うまで知らなかった。俺はその"立場にない"人間だからな」
ベッドに座ったままちらりと恵の顔を見る。俺の懸念事項その1。俺と恵の血筋について、だ。いつか話さなきゃいけないと思ってたし、多分俺が恵とどうにかなる前に知っておいてもらいたいことではあった。言い出し辛くてずっと黙っていたけれど。
「立場にない?」
「うん。俺の父親は現当主の禪院直毘人。……会ったことあるだろ、あのいけすかねぇアル中スケベジジイ。アイツが何を思ったか知らんが俺の母親を気に入って妾にしたんだよ。そんでデキた子が俺ってわけ」
「……」
「あー、つまりあれだ、私生児ってやつ。本当迷惑な話だぜ、正妻との間に男児4人もいたのに、俺いる?」
ははは、と態とらしく笑うと恵は目を細めて俯いた。それがどういう意味なのかはわからない。でも多分、俺の立場を慮って言葉を選んでいる最中なのだろう。
禪院家で私生児として生まれてしまうことの意味を、恵はよく理解している。それがどれだけ冷遇されることなのか、そして俺がどんな目に遭って来たのか。――その穢らわしい私生児に才能があるとわかった時、いかにして彼らは掌を返したか。
目にしたことはなくても、あの家の悍ましさを恵は知っている。だから五条先生は恵を守ったし、それはつまり恵の姉ちゃんを守ることにも繋がっていたはずだ。まじ五条先生にちゃんと見つけてもらえてラッキーだったんだよ、お前は。
「……大変だったでしょう」
「まあな。視えなかったら多分家から出て縁を切るのも許されただろうけど、俺は生まれつきこの髪色だったしもう5才の時点で視えちゃっててさ。母親には視えないフリしろって最初言われてたんだけど、5才のガキだぜ?そらボロも出るわな」
「……名字先輩の母親は、知ってたんですか?」
「勿論、そういう家だって知って自分がどういう扱いを受けるかもわかって内縁関係になってたらしいよ。……バカな女だよな」
本当、バカな女。
自分の母親のことはよく覚えている。
もっと幸せな道を選ぶことも出来たのに、よりにもよって一番辛く苦しい地獄の道を自ら選んだ女。
どんな酷い目にあっても、酷いことをされてもいつも笑ってた女。俺の前だけではいつも幸せそうに振る舞ってた女。
親父のことを「あなたのお父さんはとても優しい人なのよ」と嬉しそうに話してた。優しい人間が俺とアンタをこんな目に遭わせるわけがない。だが母親は愛の前に盲目だった。
愛のために、俺を含めてそれ以外の全てを犠牲にすることを選んだ女。それが俺の母親。
「更に俺の術式は6才で完全に発現したし、そこも隠しきれなくて親父にすぐバレた」
「……それで、禪院家から出ることを許されなかったんですか?」
「まあね。でもそれが末兄の不興を買ったらしくてさ。東京来るまでマジすげーイジメられたよ。毎日理不尽に稽古と称して殴られたり髪引っ張られたり、ネチネチネチネチ嫌味と暴言吐かれたりさ。挙句の果てには親父の正妻さんに飯の時毒盛られたりしてマジで俺の人権って何?って感じ」
「……」
「それでも真希や真依より俺の方がぜーんぜんマシだった。俺は男だったし、やり返そうと思えばいくらでも抵抗も出来たし。禪院家は血筋と同じくらい実力も重視するから、俺の生まれを影で悪く言う奴はいても俺の実力にケチつける奴はいなかった。あのクソ兄貴ですらそこだけは認めてくれてたから、まあそれがギリ救いだったかな。……でもさ、3年前に母親が死んだんだよね。死んだっつーか、多分殺されたんだけど。なんかそこから、どうでもよくなっちゃって、」
俺がそこまで言うと恵はソファから黙って立ち上がった。何だ、と俺がぽかんとしていると恵はずんずんと俺の隣に来てベッドに腰掛ける。何、と俺が返す前にぎゅ、と手を握られた。
「もう話さなくてもいいです、辛いでしょ」
「……お前がこれ以上聞きたくないならやめるけど」
「……」
「俺とお前のこと話す前に、ちゃんと全部俺のこと話しておかないといけないなと思って」
「でも」
「恵は優しいな」
恵の手を握り返すと、ハッとしたように恵は俺を見上げる。
母親を思い出すと愛なんてクソ喰らえだ、という気持ちが芽生えてくる。だってそれを俺は知らない。母親だって、結局愛してたのは手の届かない内縁関係のクソ親父のことだけで、俺じゃなかった。俺のことを本当に愛してくれてたわけじゃなかった。俺は父親と母親を繋ぎ止めるための一つの道具でしかなかった。……そしてその道具としての役割は、とうに終えてしまった。
「俺、単純だから優しくされたらすぐ勘違いしちゃうよ」
恵の顔に俺が顔を寄せると、恵は顔を逸らしてしまった。……あーあなんで。キスしたかったのに。やっぱりまだこの前のこと怒ってる?
「……つまり?」
「ケチ。……ま、つまり俺とお前は血縁で言うと再従兄弟ってやつ。恵の父ちゃんと俺が一応従兄弟だからね。会ったことないけど」
「……」
「びっくりした?」
「……少し」
恵は目を伏せると俺と繋いだままの手の親指を少しだけ動かして俺の手を撫でた。細く白い指が頼りなく俺の手の甲を擽る。
「同情してほしいわけじゃねーよ。一応知っておいて欲しいと思っただけ。あと親戚だってことも知ってて欲しかったし」
「……人がいると眠れないのって、禪院家にいた頃就寝中に殺されかけたことがあるからですか」
恵の鋭い指摘に俺は頷いた。嫌な記憶が蘇って来て苦笑いする。
「……まあね」
「真希さんと仲良いのは、親戚だから?」
この前、俺の前で泣いた真希の顔を思い出す。真希は態度や言葉遣いはあんなだけど、良い奴だ。そんな良い奴が俺を好きでいてくれたなんて有難いことだ。
「お互いに苦労は多かったしな。真希がどう思ってるか知らんけど、俺はアイツを戦友だと思ってるよ」
「じゃあこの話を俺にしたのは、何で」
恵の声が少しだけ震えていた。
繋いだままの手を握り直して顔を覗き込むと、視線がかち合う。恵は一瞬だけ泣きそうな顔をして俺を見た後俯いた。
「……恵のことが好きだからに決まってる」
俺が真っ直ぐ恵を見つめたままそう言う。どど、と心臓が聞いたことのない鼓動を立てていた。俺めちゃくちゃ緊張してんだけど。ごくんと口の中に溜まった唾を飲み込んで呼吸を整える。
……言った、言ったぞ。好きだって、恵に告白、した。マジやべー心臓めちゃくちゃドキドキしてる。告白ってこんなに緊張すんの?
どうにか動揺してるのを悟られないようにちらりと恵の顔色を伺うと、恵は驚いたのか耳を赤くして俯いたまま固まっていた。……いや何だそれ、可愛い。
「……まじ、かよ」
「マジだよ。自覚してなかったけど多分結構前から好きだった。悠仁と恵が2人でいるとすげーモヤついてさ。なんつーか……嫉妬してたんだと思う。悠仁が入学した瞬間お前俺に全然寄り付かなくなったし」
「それは、」
「わかってるよ。酷いこと言って傷付けてごめんな。恵の言う通りだよ、居場所が欲しくて誰かに愛されたくて堪らないのは、いつも俺の方なのに。なのに、俺は本気で人を好きになるのが怖い。……本気で好きになったら、俺も母親みたいになるんじゃないかって」
初めてだ。自分の気持ちを人に話したのは。
人を好きになるのが怖い。自分が誰かに愛されることなんてないって、そう思って生きてきた。
俺はそもそも生まれてくるべきじゃなかったんだ。俺がいなければ母親は死なずに済んだのかもしれない。いつもそう思う。例えあの女がその選択をしなかったとしても、俺がいたことで選択肢を奪ってしまった。俺が術式を持って生まれてきてしまったから。
だから刹那的な快楽を求めるだけの人生でいいって思ってた。愛はいらない。……何もいらない。ただ少し寂しい時に、セックスして気持ちよくなって満たされて、そんで呪術師やりながらそこそこの年齢で死ぬ人生。仕事柄長生きなんて多分出来ないし、そうでなくても禪院家の次の相続争いに巻き込まれて殺されるのがオチだ。でもそれでいい。俺の人生なんてその程度の人生なんだ。自分でもそれを望んでいたはずだ。……そのはずだったのに。
「でも考えれば考えるほど、お前と離れる時間が辛くて、やっぱり恵が俺の隣にいて欲しいって思った。お前がもう俺のこと好きじゃなくても、俺はお前のこともう離したくないよ」
我ながらダッセェ告白だな、なんて思いながら恵の顎を指で掬う。さっきよりも距離がずっと近い。
人に告白をするのは生まれて初めてだ。いつも女の子の方から寄ってくるし、流れでそういう感じになるわけで。最中に「好き」とか「可愛い」とかは言うけどまあ盛り上げるためのフレーズで、本気でそう思ってるわけじゃない。それより気持ち良くなりたい。――気持ち良くなれば、寂しいことなんか忘れられる。一瞬でも満たされる。俺は一人じゃないと思える。だからいつもそれの繰り返し。
でも気持ち良いだけじゃダメだった。それを恵が教えてくれた。セックスだけでは心は永遠に埋まらない。俺の心にぽっかりと空いている穴を埋めてくれるものは……。
そこでまた壁にぶつかる。ここ数週間の俺は自分の気持ちに気づいてからも随分と打ちひしがれていた。
本当に好きな子に、何を言えばいいかわからない。
本当に好きな子に、告白をするのにこんなに勇気がいるなんて俺は恵を好きになるまで知らなかった。
「もし恵もまだ俺と同じ気持ちなら、俺と付き合って」
恵が俺を好きだと言ってくれたあの日、恵もこんな気持ちだったんだろうか。恵は今も俺のことを好きでいてくれるんだろうか。ごちゃごちゃ考えたけど、結局当たって砕けるしかないというのが俺の結論で。俺は恵のことが好きだし、その気持ちにもう嘘は付けない。例え恵が俺のことをもう好きじゃなくなってたとしても、だ。
恵は小さく口を開けたまま俺の目を見つめて固まっていた。これはまだ脈アリなのか?それとも実はもう俺のことなんか好きじゃなくて、今更告白されて逆に困ってる時の態度か?どっちだ?
「びっくりさせちゃった?ごめんな。別に返事は急がないけど、」
「あの…」
沈黙に耐えかねた俺が困り顔で恵に微笑みかけると、恵は数回口をぱくぱくさせてから繋いだ手をじっと見ていた。
「夢、じゃないですよね」
「うん」
「俺、名字先輩に避けられてるかもしれないって思ってずっと諦めようとして諦めなくちゃって思って、でも諦められなくて、それで……あんな酷いこと言ってしまって俺の方こそすみませんでした」
「うん」
「……俺も、まだ好きです。ずっと好きです」
ぽつりぽつりと告げる恵の言葉を噛み締めて頷く。最後まで何とか言い終えた恵は漸く顔を上げた。耳だけじゃなく頬まで少し赤い。「いい?」と尋ねると意味を理解したのかこくんと小さく頷く恵。その唇に俺のを重ねる。……あーくそ、可愛い。
何度も啄む口付けを落としながらさり気なく腰を抱いてそのままベッドに押し倒すと恵がびっくりしたように俺の手をぎゅっと強く握った。わざと恋人繋ぎで手を絡め直して今度は舌を入れるといやいやと抵抗されてしまう。
「……した、」
「恵、舌入れられんの好きじゃん」
「…好きじゃない」
「嘘つき」
繋いだ手はそのままで、反対の手で恵の顎に手を添えてわざとべろ、と舌を絡めてキスすると苦しそうにする顔が堪らない。うまく息ができないのかキスの合間に吐息混じりの息継ぎを繰り返すので、まあそりゃ俺は興奮してくるわけで。いやだって、エロいし。
それよりも恵がキスを受け入れてくれるくらい、まだ俺を好きでいてくれたんだ。それだけでこんなに嬉しい気持ちになるなんて知らなかった。
「ん、…っ…」
流石に苦しいらしい。俺が唇を離すと、茹で蛸のように真っ赤な恵が恨みがましく俺を見上げて睨んでいる。
そういう反抗的なの燃えるけど、恵が嫌がってるならしたくない。ごめんごめん、と笑って上から退こうとすると恵も何故かそのまま起き上がって俺は珍しく体勢を崩してしまった。その瞬間肩を押されてひっくり返る。
「あれ?何で?」
何故か恵が俺に馬乗りになっていた。形勢逆転、俺としたことがなんて思いながら恵を見上げると変わらず赤い顔で俺を見下ろしている。むっつりのくせに積極的じゃん。
「話の、続き」
「ん?」
「俺まだちゃんと返事してませんよ。付き合うかどうかって話」
……え、待って、この状況でまさかフラれるとかある?こんだけチューしといて?恵も俺のこと好きって言ってくれたのに?!
「じゃあ返事聞かせて」
「……てもいいです」
「え?」
「先輩が本当に本気なら、付き合ってあげてもいいです」
もじもじしながら恵はそう言うと俺にぎゅっと抱きついて来た。反射的に背中に腕を回すと恵がすり、と俺の胸に頬を寄せる。
……は?なに?え?可愛すぎるんだが?
「いいの?」
「ん」
「本当にいいの?」
「……いい」
「抱くよ?」
「っ、そういうところですよ」
恵の服を弄って背中に手を入れると思い切り腕を掴まれて俺は悶えた。何でだよ今からエロいことする流れだろ?つーかそっちが誘ってきたんだろうが……こんなこともあろうかと俺はちゃんとゴムも用意してるからな!!
「その節操なし、もう卒業してください。俺と付き合うなら他の女と寝るの禁止、俺以外とキスとかすんのも禁止です」
「抱いて可愛がっていいの恵だけってこと?」
「……そう、です」
恵の身体を抱き留めたまま腹筋に力を入れて身体を起こす。恵が言ってるのは別に普通のことだと思うけど、改めてそう言われると何だか嫉妬深いめんどくさい女みたいな感じがしてちょっと可愛い。まあもし他の女に言われたら笑って流すけどさ、自分だけを可愛がって欲しいって恵が言ってるの最高だろ。
「約束してください、ちゃんと出来ますか」
「お前俺のことマジで何だと思ってんの?」
「セックス中毒のヤリチン」
「他己評価最悪すぎて笑うわ」
「……どうなんですか」
「勿論、約束する。だって付き合うってそういうことっしょ」
恵を抱っこしたままにんまり笑ってそう言うと、恵は唇を引き結んで頷いたが、すぐに気まずそうに目を逸らす。多分俺のが勃起して服越しにめちゃくちゃ恵の腹に当たってるからだと思うけど。
「じゃあ俺からも。……恵のこと、俺だけに可愛がらせてね」
ぐり、とまた押し当てながらなるべく爽やかにそう笑いかけると、恵は渋々頷いて「……当ててんな」と返してくるのだった。
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