「弱い奴のお守りってぶっちゃけめんどくさいんだよな」

面と向かってそんなことをはっきりと言われたのは生まれて初めてだった。自らの目の前に立つ男に俺は思わずムッとしてしまった。何せこっちにも少なからずプライドがある。
それに会っていきなり、開口一番に「弱い」「お守り」「めんどくさい」とは随分なご挨拶である。初対面で失礼な奴……恐らくめんどくさいのはそっちだろう…そんな予感がして俺は自分よりもやや大きい体躯の男を見上げて睨みつけた。

「なーにそのカオ。お前が呪霊の領域で迷子になったから迎えに来てやったんだろ。"ありがとうございます"以外聞きたくないね」

目の前の美丈夫は辛辣にそう言い放つと、ポケットに両手を突っ込んだままじっと俺を見下ろした。襟足まで伸びた男にしてはやや長い亜麻色のハーフアップが揺れる。身長は五条先生までとはいかないが、余裕で180cmはあるだろう。俺よりもずっとデカい。身なりからして高専の学生だというのはすぐにわかったが、俺はこの男と初対面だった。
客観的に見て顔立ちは整っている方だと思うし身長も高い。見た目だけは100点満点、ただ五条先生と同じタイプの匂いがする。

「で、もしかしなくてもお前が伏黒恵?」
「…誰ですか」
「何だ男かよ。女だと思ってた」

がっかりしたという顔で目の前の男は俺をジロジロと見ると深くため息を吐いた。
何度か五条先生にやられたことがある。性別を明かさずに俺の名前だけ教えて、勝手に女だと思い込ませる悪戯。

「呪術高専2年の名字名前。迷子の迷子の子猫ちゃんを助けに来てあげた優しい先輩だ、もうちょっと敬意を払えよ。恵ちゃん?」

そこまで言われて俺はぐっと息を呑んで黙った。迷子、それは違うことなき事実だからである。

俺はこの日、とある任務のために都内の廃ビルに赴いていた。2級程度の呪霊の祓除任務だったのだが、簡単にいうと等級ミス案件である。1級はあろうかという呪霊の領域にどうやら引き摺り込まれたらしかった。
特に攻撃はされないものの、閉じ込めることに特化しているのか呪霊の領域から出ることが出来ず、どうすべきか苦戦していた時にその男は飄々と現れたのである。呪霊の領域に出現した人間らしきものを警戒しないわけにはいかない。だが男…名字名前はどうやら本当に、高専の術師であるらしかった。着用している学ランのボタンは自分と同じものだし、面識がないとはいえ一応先輩なのだろう。

「五条先生も人が悪いよな、こんな任務にお前みたいな1年をあてがうなんてさ」
「……」
「で、お前簡易領域とか使えんの?てか今何級?」
「…2級、です」
「じゃあ完全に等級ミスか。1年の手には追えない任務だ、俺が通りかかって運が良かったね」

酷く馬鹿にされている気がする。だがずっと索敵と移動と警戒が重なって俺は呪力も体力も精神力もやや消耗していた。呪霊の領域内は絶え間なく続くオフィスの廊下で、歩いても歩いても同じ景色だし、廊下に接するドアを開けても似たような部屋がずっと続くだけだ。気が滅入りかけていたのも事実。

名字さんはそう言うとやはりポケットに手を突っ込んだままだるそうに廊下を歩き始めるので、俺もその後を少しだけ離れてついて行く。悔しいがこの男が言っていることは全て正しく、そして的を射ていた。言い回しがムカつくこと以外、今の俺は特に返す言葉もない。

「アンタ何級なんですか」
「普通に1級だけど」

学生で1級は普通じゃねぇよ、と口から出そうになった言葉を飲み込んだ。もはや何を言っても負け犬の遠吠えにしかならない。最初に一目見た時からわかっていた。自分より明らかに格上。それは呪力もそうだし、身のこなしや立ち振る舞いを見れば一介の術師なら誰でもわかる。この人は多分、強い。

「真希とかパンダから何も聞いてないの?2年に爆イケの男がいるって」

自分で自分のこと爆イケとか言うか?自己肯定感高すぎるだろ、なんて思いながら俺は数日前真希さんとやり取りした内容を薄らと頭に思い浮かべていた。
高専に入学してから出会う先輩といえば真希さん、狗巻先輩そしてパンダ先輩くらい。3年は問題行動を起こして停学中、もう一人の2年の乙骨先輩という人は海外に長期任務に行って不在だ。顔見知り程度で深い付き合いはない。
そんな中確かに真希さんからもう一人2年がいるというのだけは聞いていた。「まあアイツあんま学校来ないから」としか彼女は言わなかったので、辛うじて存在だけは知っていた程度だ。高専に通っていて不登校とか有り得るのかと思ったが、彼女がそれ以上その話題に何故か触れたがらなかったので、俺は言及をやめた。
また会う機会がある時に聞けたらいい、それくらいの気持ちでいた。

「…ちらっとは。でも真希さんあまり話したがらなったので」
「何、お前真希と仲良いの?」
「……親戚なんです」
「………ふーん」

興味があるのかないのか、名字さんは少しだけ思案するように間を開けると、曖昧に返しながら少しだけ笑った。真希、と呼ぶその声がやけに優しかった気がする。
 
「ま、俺あんま高専に顔出してないしな。真面目な真希からすれば鼻に付くだろうよ」
「学生なのに、何で」
「だってめんどくせーし」

敵の領域内だというのに呑気に話す男に、俺はこの男の術式に注目していた。そもそもどうやって入ってきたのだろう。入ってきた痕跡もあまり感じなかったし。自分はまだ領域対策が出来てないから助け舟は非常に有難いが、この男が本当にの状況を打破できるのか疑わしい。そんな気持ちもあった。

「俺がどうやってここに入ってきたか気になってんだろ?」
「……はい」
「な・い・しょ♡」

名字さんはそう言うと突然俺の肩を抱いた。あまりに突然のことと、その力の強さに動揺する。しかしそんな俺を気にも留めず、名字さんは微笑を浮かべたまま俺を横抱きに抱えた。は?俺、男だぞ?

「何すっ…?!」
「出るよ。お喋りはもういいだろ?男同士でこのままだらだら領域内をデートってのも色気ないじゃん。掴まっとけ」

何かやる気だ、と瞬時に理解した俺は玉犬を仕舞った。男にこんな抱き上げられた方したの初めてだ。…何というか、本当にさっきからいろいろと屈辱過ぎる。
しかしながら至近距離で見る名字さんは本人が言った言葉を借りるなら爆イケ、つまり整った顔立ちをしていて、不覚にも何故かどくんと俺の心臓が跳ねた。
ふわ、と柔らかい香水の香りがして自分の頬が熱くなるのすらもつぶさに感じた。悟られたくなくて反射的に顔を背ける。

名字さんが俺のこの一連の行動をどう思ったかはわからなかった。相変わらずめんどくさそうな顔であるドアの一点を睨みつけると、足で思い切り蹴破る。あまりの衝撃に俺は目を細めた。なんというパワーだ。その足に纏った呪力の相乗効果でスチール製のドアが弾け飛ぶのが見えた。そして次の瞬間にはビルの非常階段の踊り場に二人で転げ落ちていた。
名字さんが俺を庇うようにしっかりと抱き込んでいる。きっと今まで女相手にこういうことをしてきたんだろう、というのがわかって、またちくんと心臓が痛む。…何だよこれ。…重ねて言うが、俺は男だ。

「…無事ですか?怪我は?!」

柔らかい香水の香りを感じながら俺は名字さんにしがみついたまま、ちらりと視線を外に投げた。ちょうど非常階段の1階あたりに伊地知さんがいてこちらを見上げている。伊地知さんは領域に弾かれてビルに入ることも出来なかったらしい。心配そうに見上げてくるその顔に頷くと、ホッとしたように伊地知さんが胸を撫で下ろした。

「…俺が美人に怪我させるわけないじゃん」

はっとして顔を上げると、薄く笑う名字さんの顔が間近にあって思わず目を見開いた。数センチで唇が触れ合いそうな距離に思わず顔を引くと、名字さんはべ、と舌を出して俺から手を離した。

「まあ俺、男に興味ねぇけど」

な、と反論する前にまた抱き寄せられて体勢が崩れる。壊れたドアの向こうから伸びる呪霊の攻撃を名字さんが蹴り返して、右手で掌印を結んだ。

「死んでないだけよくやった。助けてやったんだから後でラーメン奢れよ、恵ちゃん」

そう言って名字さんは顔を出した呪霊に何かしらの術式を使ったらしい。
まるで圧をかけるかのように呪霊がぺたんこになっていく姿に俺は固まる。程なく呪霊の身体が離散し、消えた。何が起こったのかわからない俺はその場に固まったまま、またあの香水の香りが鼻腔をくすぐるのをただ感じていた。








「無事でよかったです」
「…ご心配をおかけしました」
「名字さんありがとうございました。…来て頂いて助かりました」
「いいよいいよ。それに俺は通り道だったから。てか腹減ってるから飯食い行こう。伊地知さんも食います?」
「ああ、いえ…それならお二人でどうぞ。私は先に戻ります、業務がまだ溜まってまして…」
「大変だね。五条先生ももうちょっと伊地知さんに優しくしてあげたらいいのに。あ、俺ラーメンがいい。恵ちゃん奢れよ」

ぽんぽんと頭を撫でられて俺は黙った。
伊地知さんから聞いた話によると、名字さんは別の単独任務で近くに派遣されていたらしく、帰り道に俺の担当であった伊地知さんからヘルプが来て立ち寄り、俺の救出と呪霊の祓除を手助けてくれたらしい。正直な話、この男がいなければ俺自身は危うかったし、それを自分でも嫌というほどよく理解していたから、名字さんの傍若無人な振る舞いに何も言えなかった。ましてや先輩である。









 
「俺、とんこつラーメンニンニク背脂抜きチャーシューもやし増しの麺大盛りで」

近場のラーメン屋に入った瞬間、メニューも見ずに名字さんはそう言うと、四人がけのテーブルの一番奥の席にどかっと座り、だらんと壁にもたれながら長い足を組んだ。

「…ニンニク嫌いなんですか?」
「いや、好きだけど。…ニンニク食うと歯磨いてもその後臭うだろ。それにさぁ、」

メニューを長い指で挟んで気だるげに目線を落としながら、名字さんは向かいに座った俺を伏目がちに見つめてくる。
その視線がやけに色っぽくて俺は本日何度目かの心臓の鼓動の早まりを感じていた。
 
「この後急に女と寝る予定入ったらどうすんだよ」

言ってることはずっと最低なのに。
名字さんは俺の言葉に気怠げにそう返すとスマホを弄り始めた。やはり五条先生と同じタイプの男か、と俺は呆れて返す言葉もない。
と同時に、俺は最低な発言を繰り返す目の前の男に命を救われる他なかった己の実力を悔やんだ。呪術師はクセの強い人間が多いが、中でも名字さんは女に節操がないタイプらしい。
ラーメンのニンニクを抜く徹底ぶりからして、日常的に女に事欠かないのだろうというのは見てわかる。真希さんが名字さんのことを俺に紹介したがらなかった理由が今何となくわかった。俺のストレスになるタイプの人種だからだ。
…そんなことを思いながら俺は黙って水を一口ごくと飲んで黙ってメニューに視線を落とした。

「恵ちゃんさぁ、」
「その"恵ちゃん"て言うのやめてください」
「何で?可愛いじゃん」
「…女みたいで嫌なので」
「あ、そう。じゃあ何て呼んで欲しいの」

最近流行りのタブレットで注文するタイプのラーメン屋らしく、俺は黙って名字さんに言われた通りに豚骨ラーメンのニンニク背脂抜きトッピングチャーシューもやし増しの麺1.5倍を注文リストに入れる。視線を上げると、頬杖をついた名字さんが首を傾げて俺を見ていた。
五条先生ほどではないが長く生え揃ったまつ毛が、髪と同じ亜麻色だった。赤茶色い瞳は光の反射で僅かに緑がかっていて、不思議な感じがする。

「……」
「良い男過ぎて見惚れた?」
「…は?」
「アレ、違う?まあいいわ何でも」

名字さんは片頬を上げて少し笑うと「ん」とスマホを俺に突き出してきた。表示されたIDはメッセージアプリの連絡先だ。

「改めまして呪術高専へようこそ、伏黒恵くん。よろしく。俺今絶賛彼女募集中だから、背が高くて目が切長の女いたら紹介して。真希と真依以外で頼むわ」
「……やっぱ最低だ」


 




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