昨日遊んだサオリちゃんという女の子から連絡が来ていたので、メッセージを見ながら高専の学生棟の昇降口へと向かう。
サオリちゃんは可愛いし頑張り屋さんだ。だがそのせいで仕事が激務でたまにしか遊んでくれないし、そうでなくても1回でへばって寝てしまう。体力がねぇ。命張って呪術師やってる男子高生の性欲と体力を舐めないでほしい。1回で終われるわけないだろ。
俺が年下だから(高校生は流石にまずいので大学生だと嘘をついてるけど)と飯を毎回奢ってくれるけど、別に付き合うという感じではない。身体の相性は悪くないし、顔も可愛いし嫌いじゃないけど彼女に恋できるかと聞かれると俺的には微妙だった。何よりたまにしか会えないのは辛い。俺はこう見えて結構寂しがりなのだ。毎週とは言わないが、隔週では会いたい。
『昨日は寝ちゃってごめんね。帰れた?名前くんに渡してた鍵ってどこに入れてる?』とメッセージが来ていたので『鍵はポストに入れてる。寝ちゃったサオリちゃんも可愛かったよ。また会いたい』と返しておいた。まあまたそのうち誘ってみるか。
とりあえず2年の教室に向かおうとだらだら靴を履き替えていると、人の気配を感じて俺はスマホをポケットに仕舞った。
「恵、おはよう」
「おはようございます」
眠そうに小さく欠伸をしながら恵がこくんと頷いた。
俺と同じで恵は朝が弱いらしい。まあ俺が朝弱いのは多分恵とは別の理由なのだが。恵は寝ぼけ眼を擦ってゆっくり靴を履き替えていた。
俺から見た伏黒恵を一言で表現するのであれば、"可愛い後輩"。それ以上でもそれ以下でもない。
俺も大概ややこしい生い立ちだが、恵はその俺よりも更にややこしい立ち位置にいるらしい。本人から詳しく聞いたわけでもないし、その辺りのことに俺は特段興味もないが、狭い業界だから噂は自然と回ってくる。
まあだからと言って俺が恵に何か同情するのも、変に優しくするのも何だかなとは思うので俺は彼に至って自然に接している。
事実、今年の新入生は現状恵しかいないし、手の空いてる奴が恵を構ったり相手にしないとアイツは独りになってしまう。別に誰に言われたわけでもないが、俺達2年は憂太を除いても4人もいるのだからなるべく恵に目をかけていた。最早それは暗黙の了解に近い。そうしなければ本人の為にならないしな。
とは言え真希は女(しかもめっちゃ怖い)、棘は語彙が絞られているから慣れるまでコミュニケーションがややムズい、パンダはパンダなので、何気なく会話するのなら恵も俺が一番話しやすい相手だと踏んだらしい。他の2年をけして敬遠しているわけではないが、恵は目に見えて俺に懐いていた。
「……先輩も授業すか」
「うん。恵は?」
「多分、どうせ自習」
「また放置されてんの?」
「…五条先生もだし、補助監督の方もここ数日忙しいみたいで」
「可哀想ー、2年の教室来る?1限目、新田ちゃんが世界史教えてくれるぜ。お前頭良いならもう2年と一緒の授業で良くない?」
「……遠慮しときます」
恵はあっさりとそう返す。俺が靴を履き替えるのを待っているらしく、黙って立っていた。つまり一応俺と教室まで行こうという気でいてくれているらしい。…こういうところが可愛いんだよな、後輩っぽくて。
「眠そうっすね」
「お前もな」
「…昨日遅くまで本読んでたんですよ」
さすが恵、俺と違って純粋な理由で寝不足か。俺がサオリちゃんと楽しんでる時、こいつは熱心に読書してたわけだ。
「何の本?」
「知らないと思いますよ」
「いいから言ってみ」
「……1984年」
「オーウェル?しっぶ。何、お前そういう思想強めの人?」
「違います。つーか知ってるんですか?」
二人で並んでダラダラと喋りながら廊下を歩く。
恵が読書家なのは別にイメージ通りだが、恵からすれば俺がオーウェルを知ってることは驚きだったらしい。意外そうに見上げてくる。もしかしてコイツ、俺のことをただの女好き性欲バカモンスターだと思ってる?だとしたら心外だ。
「読書家だよ、俺も。あの系統好きならゴールデンスランバーとかもいいんじゃない」
「別に好きではないですけどね。名作って言われてるから読んだだけですし、後味悪かったんで」
「わかるよ、俺も好みではないな。最後叩きのめされて権力に屈して終わるもんな」
「…何か他におすすめとかあります?」
「んー……そうだな。俺の好きな本でもいい?」
背負っていたスクールバッグを肩にかけ直してがさごそと探る。今でも読む、俺のお気に入りのそれを恵に手渡した瞬間、恵は目を丸くした。
「恋愛小説ですか」
「あ、読んだことある?」
「いえ、ないです。少し前に映画化されたやつですよね。…タイトルしか知らないです」
「そう。良い話だよ」
恵がすんなりと受け取ったので、俺は財布とペンケースとノート2冊しか入っていない、尚のこと軽くなったスクールバッグを背負い直した。
控えめにチャイムの音が鳴るのを聴きながら「あ、遅刻だ」と言うと恵が「さっさと靴履き替えないからっすよ」返してきた。言っとくけどお前も遅刻だからな。
「遅いぞ、名前」
「うーす、すんませーん。もう世界史始まってんのー?」
「始まってるっス!名字くん席について」
「へーい」
2年の教室に着いて引き戸を開けると、パンダに軽く叱責されて俺は片手を上げて「すまんすまん」と頷いた。真希は俺のことなんてどうでもよさそうだし、棘は何やらノートに絵を描いている。ひとりで絵しりとりをしているらしい。何で俺ばっかり怒られて棘が怒られないのか謎だ。
真希の後ろ、パンダの隣の自分の席に座ると、新田ちゃんが黒板にまた板書を始めたので俺はなるべくゆっくりと準備をして席に着いた。
「朝弱いならいい加減寮に住めよ」
「ヤダ」
「家が遠いせいで遅刻してんだろ、寮なら俺や棘が起こしてやるのに」
「それがヤなの」
隣に座るパンダのn回目の提案に俺は首を振った。
学生寮に住むのはゴメンだ。あそこ壁薄いし、同期や後輩がウロウロしてる場所で寝食ってのもどうにも落ち着かない。俺はこう見えて結構繊細なんだよ。
「大体、寮住んだら部屋に女連れ込めねーじゃ……あいたっ!!」
「くっだらねぇことばっかり言ってないでいい加減真面目に授業受けろ、エロ猿」
真希が振り向いたと思った瞬間、思い切り俺にデコピンをかましてきたのであまりの痛みに悶える。痛ェェ!!!
「痛ぇ……お前馬鹿力なんだからもうちょい力加減考えろやゴリラ」
「あ?お前もゴリラなんだからちょうどいいだろ」
「ツナマヨ」
「は?俺悪くないし」
「今のは名前が悪い。女にゴリラはダメだ」
「事実だろ」
「コラ!喧嘩しないっ!何でいつも名字くんは禪院さんと喧嘩ばっかりするんスか!」
「いや喧嘩吹っかけてきたの真希の方っすけどね」
俺が反論すると真希は俺を一睨みして頬杖をついて黒板に黙って向き直った。おい優等生ぶってんなよ、座学はテストの点数だけで言えば俺の方が余裕で上なんだからな。
忌々しく真希を見つめると棘とパンダがくすくすと俺達を見て笑っている。真希とのこういういざこざは別に今に始まったわけじゃない、座学なんて出てれば日に1回はこういう衝突はある。
どんな女も丁重に扱うことをモットーにしている俺だが、真希と真依だけは別だ。こいつと言い真依と言い、揃いもろそって違うベクトルから俺を攻撃してくる。理由はわかっている。マジで嫌われてるわけじゃないってことも。まあ要するに鼻につくんだよ、俺が。
「ま、いいや。真希ノート見せて」
「お前今私に何されたかわかってんのか?」
「いいから見せろ。さもなくば揉むぞ」
「殺す」
「やめて」
「こら名字くん!また禪院さんに構ってアピールやめるっス!」
「だからどこがっスか?」
俺のツッコミに棘が笑いだして、とうとう授業が崩壊し始めた。困り顔の新田ちゃんを見兼ねた真希に俺は胸ぐらを掴まれて今度こそ「ギブギブ、俺が悪かったからやめて、仲良くしよう」とウインクするとようやくその手は離された。本当に乱暴な女だ。まあそういうところも嫌いじゃないけどさ。
「今日はアテネ民主政治についてっス。平民の台頭に伴い、重装歩兵が国防の主力となった為、参政権を要求しドラコンの立法が……」
場が少し穏やかになったところで新田ちゃんは教科書を読み上げ始めた。やれやれだ。そこでポケットに入れっぱなしだったスマホが震えて、俺はすぐに手に取った。
サオリちゃんから来ていたメッセージには『ごめん。もう会うのやめたいの』というもので。
真希との小競り合いなんてどうでもいい。がっくりと俺は机に突っ伏すしかなかった。
「またヤり捨てられた……俺の何がダメなの?」
「セックス下手なんじゃない?」
傷心の俺はあっさりと2限目をサボった。職員室のふかふかの椅子に腰掛けている五条先生の隣に、勝手に丸椅子を持ってきて話しかけている。俺がサボっているというのに五条先生は咎めるどころか相談に乗ってくれる良き教師だ。言い換えると同じ穴の狢とも取れるが。
サオリちゃんと絶対にセフレを続けたかったわけではないけど、昨日の今日でこれはきつい。俺何かしたかな。独りよがりだった?でもいつも気持ち良いって言ってくれるし、昨日もサオリちゃんのペースに合わせて抱いてたつもりだったんだけど。
え?潮吹かせて良がらせたけど、俺下手なのか?じゃあセックス上手いって何?基準は?セックス上手い下手の国際基準とかある?
「でも最初は割とみんな"名前くんもっともっと♡"って感じなんだよ?時間が経つとみんな離れていくんだよね」
「ああ、それなら簡単。君に飽きたか、君以外の本命の男が出来たかのどっちかだよ」
「……そういうもんなの?」
「そういうもんでしょ」
「女ってマジで難しい」
「わかる」
五条先生は目隠しをつけたままうんうんと頷いた。あんまりこの人に理解されすぎるのも困るが、俺のこんな話を普通に聞いてアドバイスをくれるのなんて五条先生くらいだ。伊地知さんに相談したら真っ赤になってたし、猪野さんは「俺彼女いるからそういうのよくわからん」と言って毎回流されるし、七海さんに至っては「君はもう少し真面目に真摯に生きなさい」と説教を垂れてくる始末である。
「俺飽きられたのか……」
「マジな話すると、君がいつまでも彼氏になってくれそうにないから関係をやめたんじゃないの。女の子って好きになってくれてるうちは可愛いけど、切り替えた瞬間に五ェ門みたいに一刀両断にしてくるじゃん」
「すごいわかる。またつまらぬものを斬ってしまっ……え?俺ってつまらない男なの?」
「だから名前が遊びでいる限り、その関係を長く続けたがる女の子はいないと思うよ。好きなのに彼女になれないって虚しいからね」
「……はーん」
五条先生の言葉に感心しながら頷いた。さすが俺より12年長く男やってるだけはある。それに五条先生が言わんとしていることは俺にもわかる。でも彼女とか恋人とか、そういう関係になりたいと思える子は正直出会ったことがない。恋人は欲しい、憧れるし、募集中だけど。
だけど正直言うと俺はセックスをして身体が繋がる瞬間だけが好きだ。あの時だけは心も身体も満たされる。
デートしたり付き合ったりの楽しさもわからなくはないが、それは目に見えない。だがあの快感だけはいつも本物だ。
「……サオリちゃんも俺のこと好きだったのかな」
「少なくとも嫌いではないでしょ。でもアレじゃない?彼氏出来たんじゃない?」
「…そっか。まあそれなら仕方ない」
ふう、と息を吐いて俺はスマホの画面を見つめた。『わかった。何かしたのならごめん。今までありがと』とサオリちゃんに返事をして画面を閉じる。来るもの拒まず、去るもの追わず。ここで俺がしつこく彼女を求めても困らせるだけだ。なら綺麗に終わらせてしまった方がいい。
そんな俺をいつの間にか目隠しをずらして見つめていた五条先生とばっちり視線が合った。
「君のその切り替えの良さって本当"良くも悪くも"、だよね。あんまり傷ついてないように見えるのは他にも仲の良い子がいるから?」
「…さあ?五条先生こそ、そこまで女の気持ちがわかるのはそれだけ泣かせた女がいるから?」
「さあねぇ」
クックッと喉の奥で笑う五条先生を、俺も目を細めて微笑みながら見つめる。
「……お喋りはこれくらいにしようか。最近真面目に高専来てるんだって?偉いじゃん。それなら授業も出なよ」
「傷心にサボりはつきもの」
「その傷はもう癒えたんだろ?」
「……先生こそ、恵を放置してないで見てやれよ」
「僕だって好きで放置してるわけじゃないし、大事なとこはこれでもちゃんと押さえてるんだよ。それに優秀な先輩達がいて恵もそこまで退屈はしてないんじゃない?」
「いいの?俺悪いこと教えちゃうよ」
「いいね、寧ろ年相応の男にしてやって。ムッツリだから」
じゃ、僕任務だから。そう言って五条先生は立ち上がるとひらひらと手を振って去っていってしまった。
するとまた俺のスマホが震えてメッセージを通知する。
『名前くんて、本当何もわかってない』
サオリちゃんから来たメッセージ。その一文を読んでスマホをまたポケットにしまう。既読だけつけて返事はしなかった。俺は五条先生のふかふかの椅子に勝手に座って、黙って目を閉じた。
わかってない、か。わかってないことくらいわかってる。でもごめん、君が求めるものを俺は君にあげられない。ごめんね。
だからいいんだよ、これで。
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