「ん?」

恵と二手に分かれて洋館の中を探っている時だった。3階を見て回っても特に何の痕跡もなし。残穢もあるが辿れるほどくっきりしてはいない。途中で「チューしよ…ねえチューしよ……」と話しかけて来た呪霊を「ごめん、俺人間専門だから…」と言って一体祓ったが、それ以外特に呪霊もいない。
ただ篤也の報告書にあった通り、不気味さとは別に何だか違和感があるのはわかる。何だこりゃ。

「見た目より随分でっかい物件なんだな。奥行きがあるのか」

恵に15分後に集合なんて言ったけど、15分で回り切るのは結構キツそうだった。まあでもあいつのことだから律儀に15分後に玄関にいるんだろう。多分1階だけなら15分で回り切れる。かっこつけて2階も3階も一人で見回ると言ってしまった、先輩風吹かしすぎたか。
腕時計を確認するとすでに11分が経過している。まだ3階しか回れてない。
やっべー、一回恵に連絡入れるか。そう思って3階の廊下でスマホを取り出した時だった。

「……たすけて」

……今女の子の声が聞こえた気がする!間違いない、か弱い女の子の声だ。可哀想に、助けてあげないと。と同時にさっきの篤也の報告書とは別にオカルトマニアのサイトにあったコメント欄の投稿を思い出した。確か、子どもの声が聞こえたという内容だった。

「待ってろ」

声が聞こえたのは廊下の突き当たりの方。大きめのドアがある。見回りながらずっと気になっていた部屋ではあるが、最後に見ようと後回しにしていた。
そこにいるのが本当の女の子なら嬉し……助け甲斐があるというものだが、そんな単純な話ではない気もする。まあいい、行ってみるか。そんな軽い気持ちで俺は廊下を駆け抜けて突き当たりの扉を開いた。

「助けに来たよ、もう大丈…夫」

主寝室も他の部屋同様薄暗く、変色したカーテンやキングサイズはあろうかというベッドが当時のまま設置されている。マットレスやカーテンなど布製品は変色して黄ばんでいるが、恐らく高級なものなのだということだけはわかった。ただ不自然に置かれた大きな姿見だけが気にかかる。

「たすけて」

鏡の前に女の子はいた。
俺と同じ亜麻色の髪をハーフアップにした女の子。
俺に背を向けて屈み込んだ女の子は、手で目元を覆いながら泣いているらしかった。

「たすけてぇ…」

珍しい髪色と姿に思わず立ち止まる。いつもの俺ならこの子どもを抱き上げてもう大丈夫だよ、何があったの、さあ帰ろうと連れ出すだろうに、今はそれが出来ない。

「たすけてよ…」

いや、だって、これは……

「おれがなにしたっていうんだよ……!」

そう言って顔を上げた子どもが振り向いて俺を見上げた。知ってる。この顔。

「……俺?」

途端に嫌な記憶が頭の中に蘇る。年の離れた4人の兄と父親、それから母親の顔。

『何やあの髪色、気味悪いわ』
『ヘラヘラしおって、身の程を弁えられへんのか』
『女やったらもう少しは役にも立ったやろうにな』
『お前なんかいらん、邪魔や。俺の目の前に立つな』

罵られ何度も末兄に髪を引っ張られ虐げられた。女みたいな顔、と頰を打たれた。術式を持たぬのなら出ていけ、と蹴り飛ばされた。

『お前、視えているな?』

父親がそれを咎めなかったこと、母親がそのせいで死んだこと。俺の術式に親父が勘付いた瞬間、掌を返した家の人間ども。あんな家…俺は、二度と……

「名字先輩!」

背後でドアが蹴破られる音がして俺は振り向いた。玉犬と一緒に恵が部屋に飛び込んでくる。閉めた記憶のないドアはいつの間にか閉まっていたらしい。恵が少し焦った様子で俺を見上げる。もう一度目の前の鏡を見ると、さっきまでいたはずの子どもはいなくなっていて、その鏡には俺の間抜けな顔が映っていただけだった。
ああ、クソ、やられた。気分悪。

「……おう、恵。何してんの」
「いやこっちのセリフですよそれ。集合時間10分も過ぎてるし、電話も出ないし何かあったのかと思いました」
「……エッ…あ、本当?」
「本当?じゃねぇよ」

恵に突っ込まれて俺は腕時計を確認した。
時計の針はさっきから進んでいない。…あれ?俺の時計壊れてる?…そんなはずない、ついこの間電池を入れ替えたばかりだ。言うても国産で名のあるメーカーだし。

「悪い、時計止まってるわ」
「……何やってんですか」
「ごめんごめん。思ったよりここ広くてさ、3階回ってるだけで時間過ぎちゃってたらしい。心配して来てくれたんだな、ありがとう」

俺が何とか平静を装って恵に笑いかけると、恵はキョトンとした顔で俺を見上げてから目を逸らして小さく頷いた。
俺は自分の背中を冷や汗が伝うのを感じて恵から顔を背ける。動揺されているのが恵にバレるのが嫌だった。……俺は完璧なろくでなしでなければならない。

「いえ、呪霊はいましたか?」
「…ああ、いた。つーか多分ここ、もう既に呪霊の領域の中」
「は?」

変だと思ってはいた。スマホに着信なんて入ってないし、鏡の前にいたのはガキの頃の俺だし。時計は止まっている。外界からの情報が遮断されているから、多分そういう領域だろう。

この不完全な生得領域はどこまで広がってるかわからない。俺だけなら特に問題ないが、恵も引き摺り込まれてしまっている。さっさと祓除して出た方がいい。

「…妙な術式使ってくるから気をつけろよ。コイツ祓うまで出られませんチキチキレーススタートってことだな」
「……言ってる場合ですか」

恵がうんざりした様子で俺を見た。恵と2人で領域に閉じ込められるのはこれで2回目だ。
俺はポケットに手を突っ込んで、件の鏡を蹴り飛ばして割った。割れた鏡の破片が床に散らばる。

「こういう鏡に気をつけろ。自分のトラウマやら弱点やらを映し出すらしい。間に受けるなよ」
「…ってことは、名字先輩は見たんですね、その鏡」

恵の言葉に俺は黙った。ああ、見たさ。クソ気分の悪い昔の自分の姿。兄貴達に虐められてか弱い女の子みたいに泣いてる自分。俺の居場所なんてあの家にはない、そう言われてたことと、無理矢理家に引き戻された時のことを思い出して一瞬動揺した。こんなんで動揺してるなんて1級呪術師失格だよ全く。

「見たよ」
「大丈夫ですか」
「また俺の心配?お前意外と余裕だね」

わざと戯けて首を傾げて見せると、恵は無表情のまま口を噤んだ。何か言いたげな顔を見下ろして微笑むと、恵は少しだけ俯いて目を伏せる。玉犬が恵に擦り寄った。

「日下部先生が言ってた違和感の正体ってのは多分コレ。こいつ祓ったらとりあえずは落ち着くと思うぜ」
「本体を探しますか」
「つっても相手の領域の中だからなぁ。ほっときゃ俺らを喰いに来るんじゃ……」
「名字先輩、あんなところに鏡ありましたっけ」
「ん」

恵の指差す方を横目で見る。
さっきまで何もなかった場所に、姿見が出現していて俺は目を丸くした。やれやれ、今度は何が出るのやらだな。とりあえずあの鏡もぶっ壊しておくか、なんて思った時だった。

「恵?」
「……は?」

黒髪の長髪にポニーテールの女性が鏡の中から出てきて、まるでそれが当然のこととでも言うように恵に手を振った。くるんと巻いた毛先が特徴的な美人だ。え、可愛いななんて呑気にその女を見ながらちらりと恵の様子を伺うと、当の恵は驚きのあまり固まっている。
……何、この女は恵のトラウマかなんかか?

「恵、こんなとこで何してるの?私随分探したんだよ」
「…津、美紀」
「もう、危ないことしちゃダメでしょ。五条さんとまた何かしてたの?」
「……なんで、ここに」
「そうやって五条さんと危ないことばかりしてるから、私が酷い目にあったんだよ」

女の最後の一言に恵の顔が青褪める。額には冷や汗が浮かんでいて、付き合いの短い俺ですら恵が動揺しまくっているのは目に見てわかる。
……何だ、お前の方がやっぱり余裕ないじゃん。

「恵のせいだよ。恵が私を巻き込んだんだよ。恵のせいで私、ずっとあの病室でひとりぼっちにされたんだよ…!」
「……っ」
「酷いよ」

まるで実在しているかのように振る舞う女が恵に手を伸ばして近付こうとするので、俺はそれを遮るように女に手を差し出す。ばち、と視線が合って女は瞬時に手を引っ込めた。……俺には触られたくないらしい。
へえ、なかなかの美人だ。恵の彼女か何か?

「……あら?」
「お姉さん綺麗だね、恵もいいけど俺と遊ばない?」
「ええっと…」
「それに恵、なんかわかんないけどビビっちゃってるからさぁ、勘弁してやってくれよ。あと多分俺の方が上手だよ、色々と。試してみます?じゃまず手始めに服を脱いでもらっていいすかね?」
「……ちょっと何を言っているのか…私は恵の姉ですけど?」

困ったように笑う津美紀という女性は、差し伸べた俺の手をやはり取らずに頬をかいた。姉?へえ、恵って姉ちゃんいたんだ。可愛いな、俺の好みのタイプではないし恵と顔も全然似てないけど。でも恵は何も否定しないから、多分本当に恵の姉ちゃんの姿をした何かなんだろう。
ビビって動けなくなるくらいだからこの姉貴と恵には何かあるんだろうな。

「…おい、真に受けるな。偽物だ、わかってるだろ」
「……恵?聞いてるの?」

俺がぼそっと背後の恵に声を掛けると、恵は小さく頷いた。……まあ、話は後で聞くか。心配そうに恵に声を掛ける自称姉の津美紀という女。さっきまで酷い言葉を恵に投げかけていた癖に。俺はその女に向けて掌印を翳した。

「あのさー、俺はバカな兄貴どもと違って女殴る趣味ないから。ホントに、それだけは先に断っとくよ」

津美紀という女を回し蹴りで吹き飛ばす。一応ガードされたが俺の方が力が圧倒的に上だ。津美紀は洋館の壁に吹っ飛んでめり込んだ。しかしその姿はすぐに消える。

「お前の姉ちゃんべっぴんだね。彼氏いる?」
「…いません。……寝たきりです」
「ああ、そういうこと。……無神経だったな、悪かったよ」

寝たきりかあ、そりゃキツイな。俺はてっきりもう死んでるのかと思ったよ。でもまあ寝たきりのはずの姉貴がまるで何でもないように普通に現れて責め立てるように話しかけてきたら動揺するか。あの内容だって恵にとっては心当たりがないわけじゃないんだろう。
確か恵って親いないんじゃなかったっけ。よく知らないけどそんなことを少し前に本人が言っていた気がする。だから姉とたった二人の家族ってことか。

「…生きてるなら、いつかまた会えるさ」

よく知りもしないで無責任なことを言うもんじゃない。それはわかっている。だが恵と出会って1ヶ月、コイツのこんな動揺した姿は初めて見た。表面的であっても、励ましの言葉くらいかけてやりたくなるのが先輩というものだ。

俺はそれだけ言うと現れた鏡を蹴っ飛ばして破壊した。パリン、と割れたその破片からじわ、と血のような液体が染み出して床にシミを作る。うっわ汚ねぇ〜、と内心吐き捨てているとじわりとそのシミが浮き上がってきて泥のような塊になった。気色悪ィ。

「へえ、お前が本体?良い術式持ってんじゃん」

にょき、と手足のようなものがそこから生える。俺はすぐに足に呪力を込めてそれを思い切り踏んづけた。ばき、と嫌な音がして床のフローリングが割れたのがわかる。

「ただ動きがノロい、それじゃ0点だけどな」
「……名字先輩」
「わかってるよ」

部屋の隅からまた血のような粘性のある液体が飛び出してくる。なるほど、この部屋自体が呪霊本体ってこと?まあ何でもいい、さっさと祓って飯を食いたい。胸焼けするくらい食いまくりたいな。

「今日は焼肉がいいな」





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