すれ違う二人 後編  




静かになった部屋の中で、テーブルに無造作に置かれた資料に目がいった。
ギアッチョは、幾分か冷静になった頭で考える。
まず、一番初めに浮かんだ言葉は“やっちまった”だった。
そして次に浮かんだのは、部屋を出ていく直前のなまえの顔だった。

「なんで、お前がそんな顔するんだよ…」

なまえが最近根を詰めていた事を、ギアッチョは知っていた。それは何もギアッチョだけでなく、チームの誰もが理解していた事だ。
なまえはこのチームに女手一つでよくやっている。そもそも、彼女を足手纏い等と思っている者は本人以外には居ない。
そう、ギアッチョ以外にもなまえを気にかけている人物は他にもいる。その事を突き付けられてしまって、ギアッチョは酷く苛付ついた。
ギアッチョは立ち上がって自室の冷蔵庫の冷凍室を開ける。
そこには、お洒落な箱。彼女が以前、嬉々としていつか絶対行く!と話していたジェラテリアの名前が書かれたラベルが貼られている。
ギアッチョは、彼女が今日オフだと言う事を知っていたし、このタイミングは絶好のタイミングだと思っていた。そう、思っていた。

「クソッ!!!」

そのままギアッチョは、冷凍室の引き出しを手を使わずに足で乱暴に蹴り閉めた。



「…何やってんだろ。わたし。」

理由を聞くべきだった。とただ只管なまえは後悔していた。
頭に血が登ってしまい、自分自身も思ってもないような事まで彼にぶつけてしまった事に更に自責の念に駆られるも、彼は大してダメージは受けてないんだろう事にまた悔しく思う。
まず、そもそもなまえは、ギアッチョ本人にそういう対象に見られているとは毛程も考えていなかった。
その事に虚しさすら感じる。
今日はもう自室に帰って温めのシャワーを被って寝てしまおうと考えたなまえは下の階にある自室に向かうため階段に足を掛けた。
すると前方からメローネが階段を登ってくるのが見えて、慌てて自分の顔を服の袖で拭う。

「…何やってんの?」
「いや!ギアッチョに明日の任務の事伝えてきたとこ!」

なまえの存在に気付いたメローネは訝しげにそう問うが、彼女は何もなかったかの様に答える。
メローネは事の顛末は知らずとも、ギアッチョがひっそりジェラテリアの箱を持ち帰った事を知っていたし、その顔が浮かない事に少し疑問を抱いていたが、プロシュートと一緒になまえが帰宅してきた事と関係あると考えたメローネは、そこまで察しておいて別にいいかと放っておいた。
しかし、今現在三階からなまえが降りてきて、本人の口からギアッチョ≠フ名前が出たとなると先程の彼女の涙の理由は彼が大きく関わっていると踏んだ。

(ああ、なるほど、だいたいわかった。)

メローネはその性格からか周りを良く観察している。それに加え、分析力も秀でていた。
故に、なまえとギアッチョの置かれている状況を聞かずとも大体把握してしまった様だった。

「なまえさ、これから部屋に帰るんだろ?ちょっとでいいから付き合えよ。」

メローネはなまえに片手をクイと傾ける仕草をしてみせた。
付き合えと言うのは所謂“晩酌”の事を指しているようだ。
イタリアーノには似つかわしくないその親父臭い動作になまえの頬が少し緩んだ。
そして、ギアッチョと比較的仲のいい彼なら相談相手になるのではないかと考え、晩酌を了承したのだった。
そのまま彼の部屋へUターンする。メローネの部屋は、丁度ギアッチョの部屋に面していた。

「どうぞ。連日の任務であんまり片付けられてないけど」

メローネが部屋の扉を開けてなまえを招き入れる。
彼の部屋に足を踏み入れたのは初めてだったが、片付いていないだなんてとんでもない。
凝った間接照明に、アロマポット…、意外にもお洒落なインテリアなどで飾られた部屋は、必要最低限の家具や生活用品しか置かれていないギアッチョの部屋とは対象的だった。

「テキトーに座ってて、オレ酒持ってくるから」

そう言ってメローネはキッチンに消える。
適当に座ってろと指示を受けてなまえは部屋を見渡した。
ソファはなくラグの敷かれた部屋にはローテーブルとベッド、その向かいにパソコンの乗ったデスクといった配置。
腰を落ち着けられそうな場所がベッドくらいな事に気付いてしばし戸惑う。
少し考えてから、ベッドには腰掛けずその下のカーペットの上に腰を下ろした。
それからすぐに、ワイングラスとボトルワインを手にメローネがキッチンから戻ってくる。
ベッドではなく地べたに座るなまえを見て、メローネは目を細めた。
そして、自分もその隣に腰掛け、ローテーブルにグラスとボトルを置いた。

「ギアッチョと、何かあったんでしょ」

単刀直入に、メローネから切り込まれて心臓を掴まれる感覚に陥ったなまえは目を見開いて彼を見た。
そしてその後、すぐに表情を緩める。

「メローネって、ほんと勘がいいよね。」
「正確に言うと、勘ではないけどまぁそういう事にしといてやるよ」

言うと、メローネはなまえの目の前までワインの入ったグラスをテーブルの上にすべらせた。
グラスを取ることもせずそれをじっと見つめるなまえ。

「ギアッチョを怒らせちゃったんだよね…でも、イマイチ理由が分からなくて…」

聞きながら、何処を見ているのか虚空を眺め何を考えているのかわからないメローネ。その表情は恐ろしく無表情だった。

「なんで怒ったか教えてやろうか?」

そう言い、彼女に顔を向けるメローネ。
その言葉にも感情というものが見受けられず、なまえは一瞬背筋を凍らせた。

「め、メローネ…?」

何を思ったのか、メローネはゆっくりとなまえに顔を近付けていく。
彼の魂胆が読み取れない彼女はただただ脳内でパニックを起こしていた。
うだうだと思考を巡らせる内に彼の顔は徐に自分の顔に近付いてきてとうとうキスをされると認識し、なまえは瞼をギュッと閉じた。

「…ッ、抵抗…しないのかよ。」
「…?」

彼の言葉の真意を確かめようと目を開こうとしたのと同時に、己の額に激痛が走る。
遅れて彼女の視界が開けると、険しい表情のメローネが飛び込んできた。
どうやら額の痛みはデコピンのようだ。

「い、痛いんだけど…」
「ギアッチョはもっと痛かったと思うけどな」
「え…?」
「アンタさ、もうちょっと女としての自覚、持った方がいい」
「…ど、どういう…」

頭の上に疑問符をたくさん浮かべるなまえを見てメローネは小さく、そして長くため息を吐いた。
ゆっくりとテーブルにあるグラスに手を伸ばし、少し傾けてから彼はなまえを見てこう放つ。

「なまえってさぁー。妙にガードが固いくせに、中途半端に無防備で見てらんないんだよな。」
「…はい?」

メローネの発言の意図を読めず今度は間抜けな声を出すなまえは、唯々首を傾げていた。
その様子を見て、ギアッチョも苦労が絶えないな。なんて正に他人事の様な事を考えるメローネは、同時に目の前の女はどこまで言えば全てを理解するのか試してみたくなった。
が、ギアッチョの名誉にも関わると考えて踏みとどまる。
代わりに、彼女にカマをかけようと試みた。

「その割になまえ、やたらとギアッチョを気に掛けてる様だし。」
「きっ、気に掛けてるってかそりゃ喧嘩になったら気になるって言うか…ッ!ホラッ!明日だって平行任務に就く訳で気まずいの嫌なだけって言うか…ッ!!」

ほんの出来心で探りを入れてみると、思った以上の反応が返ってきてメローネは一瞬目を丸くした。
王道中の王道。これぞテンプレートな焦り方をするなまえを見て、ああ…なんて分かり易いんだろう…。と頭まで抱えたくなる。
今更だが、メローネはギアッチョとなまえが互いに好き合っている事はもうかなり前から察していただけあって、これでギアッチョも気付かないのだから彼も相当だと先行きを案じた。
他のメンバーが彼女らの事に気付いているかは分からないが、少なくともプロシュートは気付いているだろう。
彼も彼でメローネとは違った視点で周りを良く見ている。
にも関わらず、彼女を連れ出したのだ。
一体どんな意図があったのか、メローネには理解が出来ない。

「…言えることは。」

メローネが静かに発した言葉は、静まり返った部屋に妙に溶け込んだ。
ぼんやり壁紙を見ながらゆっくりと流れる時間を感じた。

「ずるずるやってたってしょうがないだろ。思う事あるなら、本人に言ってやるのが一番だとオレは思うぜ?」

手の中にあるグラスをくるくる回すとチャプと音を立てて揺れるワイン。
彼の手の中にあるワインはもうほとんど無いのに対し、なまえの目の前にあるワインは入れた時の状態のままだった。
すると隣で動く気配がしたなと認識すると、カタンとテーブルのグラスが持ち上がるのが目の端に見えた。
そのグラスは直ぐに空の状態で元の位置に戻る。
それを捉えて、メローネは目を閉じて静かに笑みを浮かべた。

「メローネ、ありがと。」
「おう。」

そうとだけ告げて、なまえは部屋を出ていく。
ゆっくりと閉まる扉の音を聞いて、メローネは手の中にある少量のワインを胃の中に流してから二つのグラスとボトルを片付けにキッチンに立った。



メローネの部屋を後にして、なまえは自室へ続く階段には足を向けずそのまま向かいの部屋の前まで行って刹那の戸惑いを見せた後、その扉をノックした。
思いの外、その扉が開くのが早くてなまえは豆鉄砲を喰らった様な顔をする。

「…よう。」

先程訪れた時と同様、玄関から身を乗り出し扉を支えるようにして開けるギアッチョの姿があった。しかし、あの時の様な不機嫌な態度は無く、バツの悪そうな様子だ。
お互い何となく気まずい雰囲気になってしまっている。

「あ、あのね…えーと。さっきは」

ごめんね。そう伝えようとするも、その言葉はなまえの口から出ていく前に飲み込まれてしまった。
気まずさからギアッチョの顔を見ず、寄木張りで出来たフロアの床と玄関との境目に視線を落していた彼女は自分を襲う衝撃に一瞬戸惑う。
なまえは背中越しに、カチャリと玄関の扉が閉まる音を聞いてから遅れて自分は彼に抱き寄せられている事を理解した。
理解したと同時に早鐘の様に鳴る心音とどんどん熱くなる体温に、どうか気付かないでくれと無理な願い事を頭の中で三回程唱えた頃に漸くだんまりだったギアッチョが口を開く。

「さっきは…、悪かった。それと…」

この時程、なまえが時の流れを遅く感じた事は無かっただろう。実際はほんの数十秒程度の間だったのだが、彼女にとってそれは数分の感覚だった。
そのほんの少しの時間に耐えることが出来なかったなまえは、慌てて彼の胸を押して身体を離そうとする。
そして、今ギアッチョがどんな表情をしているのか確かめる為に顔を上げた瞬間、唇に感じる柔らかい感覚が彼女の頭を一杯にする。
今度は何をされたのか一瞬で理解できたなまえは、混乱する頭の端では、あぁ、彼の唇は意外と柔らかいんだな。なんて考えていた。
成す術無くただされるがままだった彼女から、ゆっくりと顔を離すギアッチョ。
漸くギアッチョの表情を見る事が出来たなまえは、やけに真剣な表情の彼に心臓を掴まれた。

「Ti amo」

彼女にとっては長い沈黙が破られる。
彼から放たれたのは愛の言葉だった。

「うそ…」
「嘘吐いてどーすんだよ。」
「だって、ギアッチョ、」

嫌われてしまった訳ではない事を理解して、安堵から涙するなまえ。
それを見てギアッチョは、少々狼狽えた。

「ずるいよギアッチョ、」
「な、何がだよ。」
「だって、謝らせてくれないなんてぇ」

なまえは嗚咽を漏らしながら言葉を紡ぐ。
その全ての音に濁点が付いた言葉一つ一つに耳を傾ける彼は、優しくなまえの頭に手を置いた。

「バカが。お前は何も悪くねぇだろ。謝る必要なんてねェよ。」

右手で頭を撫で、左手で落ち着かせる様に背中を撫でるその手つきは普段の荒っぽい彼からは想像もつかないものだった。
なまえが落ち着くまでその行為はずっと続いたし、ギアッチョは何も言わない。いや、言わないのではない。これ以上何を言っていいのかわからなかった、が正解だった。
その不器用な優しさに、なまえは静かに唇を噛み締めた。
そして、幾分か落ち着いてきた頃に漸く口を開く。

「ギアッチョ…わたしもね、」

顔を上げ、へにゃっと笑うなまえ。
赤くなった目尻に皺が寄るのを見て、ギアッチョはああ、好きだ。と再び実感した。