向き合う事の難しさ  





抱えるものが大きすぎた。
ただ、それだけの理由でお互いすれ違うようになってしまった。
初めに、わたしが逃げてしまったのだ。
わたしとギアッチョは謂わばお付き合いをしている関係だった。
最初は心地が良かった。ギアッチョ自身も不器用ながらに愛していてくれたいたと思う。
でも、そのせいでわたしは平和ボケをしていたんだ。
ある日、わたし達のチームメイトが姿を消した。
その数日後に変わり果てた姿で帰ってきたのを目の当たりにして、この世界の闇の深さを再確認してしまった。
大事なことを忘れてしまっていた。わたし達の様な人間に平穏はないという事を。
わたしもギアッチョ自身も、ソルベやジェラートのようになってしまう可能性が充分にあるという事を。
それを再認識してから、わたしは彼の眼をまともに見れなくなってしまった。
その日以来、わたしは心の内を隠す様にへらへらと笑うようになった。そうしながら肝心な事は、全部躱す。
暫くそうしてきたある日の事だった。
外は土砂降りの雨でその中、ギアッチョは任務に出ていた。
夜更け前にやっと帰ってきたと思ったら、いきなり床に縫い付けられてしまった。
ずぶ濡れの身体を気にするでもなく。髪から滴る水滴が、わたしの衣服を濡らしてもギアッチョは気にする様子は無かった。

「ギ、ギアッチョ…、どうしたの、風邪引くよ身体拭かないと、ほら。」

瞬間。今日初めて見た眼鏡の奥の彼の目に、獰猛な猛獣の様な光を見る。
蛇に睨まれた蛙のように身じろぎ一つ出来なくなる。
怖い。一体どうしたと言うのだ。
恐怖に似た感覚に支配され身動きが取れなくなったのも刹那、彼がわたしの首筋に顔を埋めることでそれは解ける。

「ギアッチョ、やめっ…!」

このままなし崩しになってはいけないと、直感した。
必死に肩を押して抵抗する。
女のわたしでは力で適わない。必死に押し返す手はギアッチョの大きな掌で完全に封じられてしまった。
そのままギアッチョはわたしの口を唇で塞いだ。
これは、愛し合う者同士がする甘ったるいそれではない。己の欲望を満たす噛み付くような…捕食するようなキス。
必死に抵抗するも、次第にねっとりとした舌が歯を割って這うように侵入してくる。
咄嗟に、彼の舌を噛む。
痛みで顔を離した彼は、怒りを宿した瞳でこちらを睨んだ。

「てめぇ…、やりやがったな。」

妙に落ち着いた声色なのに、目だけは落ち着いてなんていない。
口の端から少し流れている血を手の甲で拭って掴みかかってきた。
わたしはいよいよ本気で恐怖する。
ギアッチョは再び首筋に顔を埋めようとした。
普段よりもずっと無口な彼。普段よりもずっと乱暴なその手つきに、無意識に身体が小刻みに震える。
ギアッチョは首筋に唇を当てる寸での所でピタリと動きを止めた。
徐に身体を離してこう放つ。

「出てけ…」
「ギアッチョ、」
「オレの前から消えろ。」

その言葉を聞いて、心臓のあたりからスッと血の気が引いていく感覚がした。
一瞬だけギアッチョは悲しそうに目を細めたが、直ぐにその眼は鋭いものに変わった。
これ以上何かを言われる前にと、跳ねるようにしてそのままアジトを飛び出した。わたしはまた逃げたのだ。
外はまだ雨が轟々と降っている。冷えていく身体も気にならないくらいに、心が冷めている。
何も考えずに裸足で出てきてしまった。足の裏全体を水が覆う。
足を上げる度にぱしゃぱしゃと跳ね返る雨水はわたしの衣服の裾の色を更に変えた。

「あーあーあー、お前ぇら、ホント見てらんねぇな。」
「プロシュート…。」

後ろから声を掛けられ、振り返ると真っ黒な飾り気の一切ない傘を差すプロシュートが立っていた。
ぱしゃぱしゃと音を立て、わたしに近付いてくる。
隣までやってきて、少しわたしの方へ傘を傾けた。先程までわたしを叩いていた雨粒は、傘の上へ落ちて滑る。
彼は、どこまで見ていたのだろうか。
この様子だと、飛び出したわたしをわざわざ追い掛けてきてくれた様にも思えるのだけど。それは思い上がりだろうか。

「そんな怖ぇかよ。」

静かに、だけどしっかりと問い掛けられて。
喉の奥が詰まった。

「怖い。失った事があるから…、これ以上手に入れてしまうのが、どうしようもなく…怖い。」

自分の過去の出来事と、彼らの末路が重なって…怖い。わたしが住む世界は、そういった場所なのだ。
ギアッチョやプロシュート、仲間の彼らがそう簡単に死なない事は分かっているつもりだ。
そんなヤワじゃない。
でも、そんなものまやかしかもしれないと思わせるほどに、ソルベとジェラートは呆気なく終わった。それはもう、本当に呆気なく。
仲間達はそんな2人の末路を見て、怒りを燃やしたが。わたしは絶望してしまった。ただ、それだけだ。わたしは弱い。
静かにわたしの声に耳を*てていたプロシュートは、不意に口を開いた。

「誰だって失うのは怖いだろ。」

オレも、お前も。あいつもな。そう言ってぽん、と優しい手つきで頭に掌が乗せられた。
そのまま少し腰を屈めてわたしと目線を合わせるプロシュート。
真っ直ぐわたしの目を見て彼は言う。

「だけどな、手に入れる事を恐れるのとはまた別だ。」

パタパタと幾分か小振りになった様子の雨粒が僅かに傘を叩く音がする中、プロシュートの声はわたしの耳に染み込むように溶けていった。
ああ、わたしは大馬鹿者だ。弱いばっかりに、拒む事しか出来なかった。

「あー、泣くな泣くな」

そう言って少しバツの悪そうにするプロシュートは頭に乗せていた手をそのまま頬へと移動させ、親指で涙を拭った。

「まずいとこに来ちまったな…」
「え?」

ボソリと呟くように零したプロシュートの目線はわたしではなく、その後ろに向けられていた。
何事かと振り返ろうとすると、何者かがわたしの背後からプロシュート目掛けて拳を放つ。
その拳をモロに顔面に食らったプロシュートはそのまま後ろによろめいた。
何が起こったのか理解出来ないわたしは、プロシュートの方に駆け寄ろうも背後の人物の腕が今度はわたしの肩を掴んで引き寄せた。
見上げるとそこには

「ギアッチョ!」
「おい!プロシュート、てめぇふざけんな!!オレの女に手ぇ出してんじゃあねェぞッ!!!」

逃がさないと言わんばかりにわたしの肩を強く抱く。
そのままぐっと彼の胸の中に閉じ込められてしまった。
いつの間にか雨は殆ど雫を落さないほど緩やかになっている。
プロシュートは傘を畳んでギアッチョを睨んだ。

「ハンッ!だったら、最初から突き放すような事すんじゃあねぇぜ。」

畳んだ傘をそのまま投げ捨ててプロシュートは指の関節を鳴らした。
そのままお返しだと言ってギアッチョを殴り飛ばす。

「え…ちょっと、ふたりとも!」

混乱する頭はまだ全てを理解しきっていない。
慌てて水溜りの中尻もちを突いたギアッチョに駆け寄り、プロシュートを見上げると彼の方は然程怒ってはいないようだった。
寧ろどことなく嬉しそうに見える。

「結構本気でぶちかましたからよ。後で手当でもしてやれ。」

おー、痛ってェ。と先程殴られた頬を右手で押さえながら傘を拾ってアジトの方へと去っていった。
そのプロシュートの背中に心の中でありがとうと呟く。

「ギアッチョ…、大丈夫…?」

悔しそうに下唇を噛む彼をふと見ると、頬の色が少し変わっている。
彼は無言のまま手元に落ちていた眼鏡を拾って掛けた。

「オレの女に手ぇ出してんじゃあねェ…」

ボソリと呟いてみれば、ギアッチョはバッと音を立ててこちらを見た。
その顔は耳まで真っ赤だ。

「探しにきてくれたんだね。嬉しい。」
「…オレはよォ〜、プロシュートみてぇに器用じゃねぇし、女の扱いだって上手くねぇ。」

そう続けながらびしょ濡れの身体を起こして立ち上がった。
しゃがんでいたわたしの目線は自然と上へ向く。彼の背中しか見えない。

「今だって情けねェとこ見せちまってる。」

でもよォ〜。そう言うもその先の言葉は中々ギアッチョの口から出てこなかった。
しかし、彼の行動を見て大体は理解してしまったわたしは、その先の言葉を急かしたりはしない。
代わりにこちらから口を開く。

「ギアッチョ、ごめんね。」

立ち上がりその大きな背中にしがみついた。
わたしは、自分が傷つきたくないが故に大切な人を傷つけてしまっていた事に深く後悔した。

「怖かったんだ…、わたしッ…もうこれ以上失いたくなかった。だから…ッ」

言葉の途中、ギアッチョのお腹に回していた手をグッと掴まれて引き剥がされる。
グルッとコチラを振り返ったギアッチョの腕の中にそのまま閉じ込められてしまった。

「もう何も言うな。」

彼のその言葉は、否定的な意味ではないことは彼の胸の鼓動が教えてくれた。