季節外れの青い春第九話
「お礼するどころか…余計険悪になってしもたな…。」
自宅に帰ってきた知輝は、渡し損ねてしまったクッキーを鞄から出した。
自嘲気味に言葉を漏らしながら、そのラッピングを解いていく。
「…これで、良かったんや。」
中身を一枚手に取り、己の口まで運んだ。
「あれ…、ウチこんなしょっぱく作ったやろか…」
よくよく考えればこれで良い。
一度振った相手に手作りの菓子を渡すなんて事もなかった。
強いて言えばちゃんと言葉であの時はありがとうと伝えるべきだったが、状況が状況で言えなかったのが心残り。
しかし、それももう言うことはないのかもしれない。
「ほんま、アホやなぁ…」
自室で一人肩を震わす知輝の声は、誰にも届かずそのまま消えた。
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翌朝の登校。
知輝はある程度の覚悟をした上で学校に赴いた。
昨日の乱闘騒ぎが教師陣の耳に届いていないはずがない。
なんらかの処分が言い渡される事は明白だった。
「退学も…あるかもしれんな。」
呑気に下駄箱で靴を履き替える知輝だったが、廊下を歩く担任に案の定呼び止められそのまま職員室に連行される。
職員室に入るとそのまま教師はデスクを通り過ぎ、その奥の校長室の扉をノックする。
中に入ると校長がチェアに腰掛けていた。
「大河 知輝さん。何故呼ばれたのか分かりますか?」
「おおよそ…」
校長にソファに座るよう言い渡され、知輝はソファに腰掛けた。
「昨日の他校との乱闘騒ぎ。大河さんからも事情を聞かせて頂きたい。いいですね?」
口元で両手を組む校長の問い掛けに、知輝はゆっくり口を開く。
事の顛末を目の前の人物に話し出した。
「自転車部のみんなは今回何も関与してません。全てウチが原因で…乱闘も、ウチ一人の問題です。自転車部はインターハイ控えてます、せやから!処分はウチだけで!…お願いします。」
「結論を早まるのはよしなさい。」
校長に咎められ、知輝はぐっと息を飲む。
俯く知輝を前に、校長は徐ろに口を開いた。
「昨日自転車部のみなさんが直談判にいらっしゃってね。全部聞きました。」
知輝は言われ、ハッと顔を上げる。
「顧問のピエール先生も、ご一緒でしたよ。」
信頼されてますね
そう言って、朗らかに校長は笑って見せた。
「しかし喧嘩は喧嘩、大河さんは1ヶ月の停学処分となります。」
「停学…、退学や…ないんですか…」
「おや、大河さんは学校を辞めたいのですか?」
「いえ…」
「自転車部の皆さんに感謝しなさい。本来ならば退学ものの騒ぎです。」
彼女が退学にならない代わりに、夏休みが入るまでの一ヶ月間の学校生活は自宅謹慎。
それと、夏休み中もみっちり補習に参加する事が条件で、それを飲むのであるならば退学処分にはしないとの事だった。
「あの、校長…、自転車部は…、インターハイに出場できますか。」
自分の処分など、その条件を飲む事で軽くなるのなら安いものだ。
しかし、今知輝にとって一番気掛かりなのは自転車部になんらかの処分はあるのかどうか。
彼らは無事にインターハイに出場できるのかどうか…そればかりだ。
彼女の問い掛けに校長は優しく笑って答える。
「うちは自転車強豪校です。出てもらわないとこちらが困るってもんですよ。」
校長は、組んだ手を崩し歯を見せて笑う。
その一言で、知輝に伸し掛かっていた肩の荷が一つ降りるのを感じたのだった。
「寒咲さん、すんません。停学処分食らって自宅謹慎解除までバイト禁止令出てしまいました。」
知輝は、帰宅後玄関で電話を肩口に挟んみながら靴を脱いだ。
この時間は自宅には誰もいない。
玄関で通話する知輝の声は、廊下に響くだけだった。
既に親の職場に学校から事情が説明されているだろう。
仕事から帰ってきた親にどやされるであろう未来の自分を思い浮かべ知輝は気持ちが萎えるのを感じた。
おっと…と、肩からずれ落ちそうになる携帯を構え直すと受話器から寒咲の声が聞こえてくる。
『大体の事情は金城から聞いてるよ。派手にやったそうだな。』
「い、いやぁ…、ハハ」
乾いた笑いを零しながら二階へ続く階段を徐に上っていき、自室のドアを開けるとベッドの脇に鞄を置いて、そのままベッドに沈み込む。
『こっちは気にしなくてもいいけどよ。お前、大丈夫か?』
「いや、まぁ、一ヶ月も働けないとなると稼ぎが〜とはなっちゃいますよねぇ…ほんと」
ベッドにうつ伏せになりながら、脚を左右交互に曲げて遊ばす。
同時にこれから長らくロードに触れられない退屈さをどう補っていくべきかとぼんやり考えていたら、再び寒咲の低い声が知輝の耳に届く。
『いや、そうじゃなくて…お前自身が、だよ』
「えっ、ウチ…ですか…?」
見当違いの寒咲の言葉に知輝は、半身を起こしながら問い返す。
『いや…、なんでもない。とりあえず店の事はいいから、しっかり課題済ませろよ、山ほど出てんだろ?』
「うっ、今から頭痛いですわ」
ははは、と寒咲は笑いを零した後、断りを入れて通話を切った。
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彼女が謹慎中だろうと日常は進む。
ましてや、自転車部はインターハイまで残された時間は少ない。
毎日激烈にハードな練習をメンバーは熟していた。
そんなある日、寒咲がインハイに向けての備品を届けに自転車部に赴いた時だった。
「寒咲さん。今日部活終わったら店行ってええですか。」
金城から備品を運ぶのを手伝うように言い渡された鳴子が、神妙にそう言うもんだから寒咲は段ボールを抱え直し口に咥えた楊枝を摘んで取る。
「いつでもいいぜ。待ってるよ。」
そう言って、また楊枝を咥え直して機材を部室まで運んでいく背中を鳴子は黙って見ていた。
「よっ、部活お疲れさん。」
店内から赤いピナレロを見つけ、店先へ出る寒咲は、部活を終えた鳴子に労いの言葉を寄越し、缶コーヒーを投げた。
投げられたコーヒーを取りこぼしそうになりながら慌てて受け取る鳴子を他所に、寒咲は店の扉を全開にさせる。
「立ち話も何だから、中入れよ。今日は客もいねぇし遠慮すんな。」
言われ、缶を握り締めた鳴子は店内に足を踏み入れた。
店にパイプ椅子を出してきた寒咲は、そこに鳴子を座らせ、自分はレジカウンターに凭れ掛かる。
「んで?今日はどうした?」
懐から自分の分の缶コーヒーを出してプルトップを倒した。
カシュッと子気味いい音が響くも、鳴子の表情はどこか浮かない。
その様子を見て、寒咲はコーヒーを喉に流しながら眉を上げた。
「…大河の事だろ?」
言われ鳴子は、お見通しですか…と笑った後、ぽつりぽつりと話し出した。
「…センパイ、謹慎処分やって聞きました。インターハイ…見に来る事は…」
俯いた赤色が揺れるのを、寒咲は横目で見る。
店内は静かだ。
静かな空間に、寒咲の静かな声がしかししっかりと発せられる。
「難しいだろうな…」
ハッキリと言われ、鳴子はぐっと息を飲んだ。
飲んでからバッと顔を上げる。
「なんとか…!なんとか、インハイ見に来てもらう事は出来んやろか!!!」
必死な瞳。
普段勝ち気な彼からは想像がつかない程に、その瞳は不安に揺れていた。
「お前から言ってやんねぇのか?」
「いや…、色々とあって…ワイからは…。ワイが出来ることっちゅうたらインハイでド派手な姿焼き付けさすくらいしか、無いです。…約束やから。」
尻すぼみになる鳴子を見て、寒咲は目を閉じて笑を含んだ。
…約束、ね。
「インハイ…、来るようにだけ…それだけでいいんで、なんとか!」
「心配しなくても元々引きずってでも連れてくつもりだよ」
そう言い、カウンターに缶を置いた寒咲は鳴子の傍に歩み寄ってその肩を優しく叩いた。
「だから、お前は約束果たす事だけ考えてインターハイに集中しろ。」
そう言って握られたままの缶コーヒーをひょいと摘み上げ、栓を開け鳴子に手渡す。
手渡されたそれを暫し見詰めた後、フッと息を零した後、缶を傾け中身を一気に飲んだ。
「寒咲さん!おおきにでした!踏ん切りがつきましたわ!」
そう言って店を出ていく背中は、先程とは見違える程自信と希望に満ちていた。
「…青春だねぇ。」
その背中を見送りながら寒咲は、カウンターに置いた缶を手に取り残りを飲み干して一言零したのだった。