騎虎の勢い下るを不知第十話



毎日みっちり課題を出されるわ、毎日教師がしっかり謹慎と課題をやっているか確認の為家庭訪問してくるわでそろそろ発狂しそうな知輝の元に、今日は別の訪問者がやって来た。
家中に鳴り響くインターホンの音が来訪者を知らせる。

「なんや!!!センコー、何か言い忘れか!?課題追加か!?」

半ば自棄だ。
独り言にしては大きい独り言を言いながらドスドスと廊下を踏み鳴らす知輝は、そのままの勢いで玄関の扉を開ける…が、そこには少々驚いた表情の寒咲が立っていた。

「か、寒咲さん!?」

モニターをろくに確認せずに玄関まで来た為、来訪者が誰なのか把握していなかった知輝は玄関先に立ってる人物を認識すると今度は彼女が驚いた。
おつとめごくろうさん。そう言って、手に持った紙袋を軽く掲げて歯を見せて笑う寒咲を知輝は慌てて招き入れた。

「なかなかに大変と見た。」
「いやはや…、お恥ずかしい。」

先程玄関まで自分を出迎えた知輝の様子を思い返して、寒咲は笑った。
知輝は、寒咲が手土産に提げてきた紙袋の中身を皿に出しながらキッチンからリビングのソファに座る寒咲に声を掛ける。
寒咲が持ってきてくれたタルトタタンを皿に盛り付けるついでに一緒に自分が作ったモザイククッキーも添えて出した。

「おっ、クッキー美味そうだな」
「もう、家の中おったらすること無くて…課題ばっかで脳みそ沸騰しそうやし気分転換に作ったんですよ〜」

退屈しのぎに作り始めたら拘り出してしまい、皿の上に乗るクッキーはなかなかの出来栄えだ。
クマ、ウサギ、ヘビ、クモ…とさまざまな形のクッキーが並んでいる。

「へぇ…、凝ってるな。」
「クマが田所で、ヘビは金城、クモは巻島でウサギが今泉でー!」

クッキーを指さしながら、解説をする知輝に微笑ましく思う寒咲は中からひとつを摘まみ上げる。

「あっ…」
「じゃあ、これは?」

寒咲の指に摘まれるクッキー。
それを形取る動物はトラだった。

「…鳴子」

聞いた寒咲は、笑ってそのクッキーを皿に戻した。
青春だねぇ、心の中で独り言ちるもこの二人、とてつもなくもどかしい。
寒咲の目から見て、どう考えても想い合っているようにしか見えない二人だが、要素が色々重なって距離感が生まれてしまっている。

「お前の事だからどうせ、例の騒ぎは自分の所為とか思ってんだろ?」

言われ、ぐっと黙る知輝。
テーブルを挟んで向かい側に立つ彼女をチラと見て寒咲は視線を外した。

「思い詰め過ぎて、今後自転車部との関わりは一切絶とうとしていると見た。」

事件の日、鳴子に告げた一言を思い出して知輝はギクリとする。
全てお見通しといった感じの寒咲は、徐に皿からクッキーを持ち上げる。

「お前さ、それで本当にいいのか?」

クマの形のクッキーが、寒咲の口の中に放られた。
知輝は未だ視線を落としたままだ。

「お前が一年の頃からオレはお前を知ってるけど、自分の為に喧嘩した事無いだろお前。」

皿と一緒に出された麦茶のグラスから、水滴がテーブルに落ちる。
溶けた氷がカラン…と音を立てる音がやけに部屋に響いた。

「他の目がキツいのも分かってるけどよ、お前を理解してくれてる人まで拒絶していいもんなのかね」

その言葉は知輝の心に確かな重みを与えた。
それは静かな部屋に溶けてゆく。

「迷惑かけたくないとか思ってんだろうけど、迷惑かけず生きていける奴なんて居ないぞ。」

オレだって迷惑かけまくってる。
そう歯を見せて笑う寒咲を見て、知輝は眩しいと思う。
その眩しさには覚えがあった。
今みたいに屈託なく笑う顔を、知輝はよく知っている。

「自転車部は、紛れもなくお前の居場所だろ?…まぁ、直ぐには整理つかねぇと思うけどよ。」
「…いや、寒咲さんの言う通りやと思います。」

また一枚、皿からクッキーを摘み上げた寒咲は、それを見詰めた後知輝の方を見た。
彼女も視線を感じ、寒咲の方へ視線を向ける。

「あとな、三日間は難しかったけど、三日目だけは学校に頼んで一日補習無しにしてくれるよう掛け合ったからインハイ見に来いよ。迎えに行くから。」

言い終わり、寒咲は指に摘むトラのクッキーを知輝に見せるようにして掲げた。

「約束、したんだろ?」

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「迎えに来たぞ」

約束の日、寒咲はワゴン車を走らせ知輝を迎えに来ていた。
家の前に停められた、車体に身体を預ける寒咲は、玄関口に出てきた知輝を視界に捉えると満足気に笑う。

「来る気になったみてぇだな」
「…約束、やから。」

そう零す彼女に、約束ねぇ…、と独り言ちるも俯きがちな知輝の耳にその意味深な言葉は入っていなかった。
ワゴン車に乗り込み会場に向かう。
移動中、寒咲の口から一日目、二日目の結果を聞いて知輝の心中は穏やかでない。
何せ今日は三日目だ。
インターハイ最後の日、この日ゴールを割ったジャージがインターハイを制する。
それは、チームメンバーを全員残す必要が無いことを指していた。

「鳴子…頑張りや…」

知輝は、走るワゴン車の中から移りゆく景色を眺めながら祈るような気持ちでぼそりと呟いた。

「すんません…わざわざ…、あの…レース…」
「ん?あぁ、いやいいよ。この時間なら充分ゴールに間に合うしな。」

時刻は既に選手がスタートラインを切った後だ。
一日目二日目の様子を事細かに説明してくれる寒咲に感謝しかなかった。

(そうか、一日目スプリント…取られへんかったんやな、鳴子。)

三日目のレース中継をラジオで聞きながらの束の間のドライブ。
今年こそ、総北の総合優勝をと願う者は少なくはない。
ワゴン車が富士の麓まで来たあたり、知輝が口を開いた。

「寒咲さん、ウチここで降ります。」
「ゴールで待っとかなくていいのか?」
「山で…声を掛けたいなって。」

あの人、山苦手やろ?ここまでたどり着いたらきっと相当しんどいと思うから。
そう言って笑う知輝に、寒咲は笑を返した。

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インターハイ三日目最終局面。
リタイアした金城と、平坦を全力で引いた田所の想い。
それ以外は全てかなぐり捨てて、残りの三人を引いて鳴子は山を登る。
しかし、一つだけ…、彼の中で捨てられないものがあった。

(レース中やぞ…)

スプリンターでありながら鳴子はチームメイト三人を引いて山を駆け上っている最中、自嘲気味に鼻を鳴らした。

「なんで今になって…チラつくんやろな。」

レース中の怒涛の様な三日間。
死に物狂いでペダルを回してきた彼は、欠片も脳裏を過ぎる事は無かった顔が、今この土壇場になって浮かんでいた。

(今生の別れやあるまいし…)

そろそろ限界が近い脚に鞭を打ち、自分を騙し騙し皆を引いているがやはり

(心残り…てやつやろな。)

結局この三日間、彼女の姿を見ていない鳴子は、唯一の気がかりがそれだった。
あの時の約束を、彼は忘れてはいなかった…が、今はレース中。
私情は捨てるべきだと、頭を振って前を見た。

「章吉!!!!!」

名を呼ばれ目を瞠る。
聞き違えるはずの無い声が響き渡った。
それは、今、一番聞きたいと思ってた声。
正面、目の端に捉えた金色。
周りの観客に混じってキラキラ輝く金髪。
彼のド派手なクライムを見せ付けられて沸き立つ観客とは真逆に、心底心配そうな顔をする知輝がそこに立っていた。
鳴子は頭で考えるよりも先に身体が反応し、腕を上げる。

「見とけよ!!!ワイの事だけ見とけ!!!」

言われ、弾かれたように手を出す知輝。
すれ違いざまに触れ合った手のひらは、子気味のいい音を鳴らした。

「熱い…」

彼の手のひらは、燃えるように熱かった。
それに充てられたのか、知輝の手のひらにも熱が残っている。
彼女の手のひらが熱いのは、きっと勢いよくハイタッチを交わしたという理由だけではない。

「アカン…アカンよ。」

恋をしないと心に決めたのに、彼女の決心はグラついていた。
いや、もうとっくに揺らいでいたのかもしれない。

「なんて、勝手なオトコなんよアンタ。」

滲む視界を正すようにぎゅっと目を瞑った。
彼の言葉が脳内にリフレインする。

「あんなん見せられたら、好きになってまうやん…。」

気付けば手のひらだけでなく、熱は顔まで移っている事に気付くも、それは咄嗟に彼の名を叫んでしまった羞恥心からだと言い聞かせ、頭を振った。
しかし、彼女の足は、彼の過ぎ去った道をなぞるように走っている。

「坂道…、しんどいな…っ」

重い足を上げて精一杯坂を登る。
今、彼も同じ道を走っている事実を噛み締め、上がる息と胸をおさえた。

(アンタ、こんな道みんな引いて走っとんやな…)

鳴子 章吉という“猛虎”は、彼女の心の中を暴れるように掻き乱す。
もう遅い。
もう後戻りは出来ない。
それを理解した知輝は、唯只管険しい道を駆け上がった。