崩れる均衡第七話



『ワイ、諦めへんで!!!いつか、そんなん気にならんくらい好きにさしたる!!!!』

布団に包まってバクバク鳴る鼓動を落ち着けようとする知輝は、放課後の彼の台詞が脳内を駆け巡っていた。
熱でもあるのではないかという程、顔が熱い。

(こんなん…、聞いてない)

頭まで布団を被った知輝は、枕を抱いて目を閉じた。
考えない様にすればする程脳を占めるのは赤色ばかりで、知輝は困惑する。
落ち着くどころか、鼓動は速くなっていくばかりだった。

「はい、37.8度。熱あるやないの。今日は学校休みや。」

翌朝起こしに来た母が、知輝の異変に気付き、体温を計らせるとそこそこの高熱を出していた。

「オカン、今日仕事やから、アンタ一人でなんとかしぃや。」
「そんなご無体な〜」
「ふざける元気あるなら平気やわ。」

学校に連絡は入れといたるわ、と言い残し知輝の母は部屋を出て行く。
熱で節々は痛むわ頭は鉛の様に重いわで何も考えられない知輝はそのまま飲まれる様に意識を手放した。

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「えっ、大河センパイ、今日休みなんすか」

その日の放課後、部活の為に部室で着替える鳴子は、何となく隣で着替える田所に今日は彼女は見学に来るのか尋ねた所、彼女が学校を休んでいる事を知る。

「風邪だとよ。」
「何か悪いもんでも食うたんでっしゃろか」
「腹壊して発熱も、アイツなら有り得ねぇ話じゃねぇな」

ガハハと豪快に笑う田所はひとしきり笑った後、何かを思い出した様に小さく声を上げた。

「そうだ赤頭、頼まれてくんねぇか?」
「は?何を?」
「担任からプリント預かってんだがよ、お前が大河の家まで届けてくれ。」

ごそごそと田所は自身のロッカーからプリントの束を取り出し、鳴子に手渡す。
思わずそれを鳴子は受け取るが、数秒考えた後狼狽えた。

「い、いやっワイ、センパイの家知らんし!」
「オレ知ってるから教えてやるよ!」
「…オッサン、何でそんなノリノリなんすか…」
「面倒だからに決まってんだろ!オレは忙しいんだ」
「しんっじられへん!!!!」

ぎゃいぎゃい騒ぐ鳴子を他所に、着替え終えた田所は耳を塞ぎながら部室を出て行った。

「オッサンの地図分かりにく過ぎやろ…」

部活の練習を終えた鳴子は、田所から預かった地図を頼りに知輝の家まで向かっていた。
何とか辿り着いたものの、インターホンを押すのを少し躊躇う。
昨日の今日で気まずさがないと言ったら嘘になる。
暫く家の前で右往左往するがやがて…

「ええい!押したれ押したれ!」

意を決しボタンを押すと、家の中に呼び鈴が鳴り響く。
しかし、暫くしても応答がない。

「…お?家の人、留守かいな?」

もう一度押そうとボタンまで人差し指を持っていった所で家の中からドタバタと凄まじい音が聞こえてくると、シーンと静まり返った。

「…センパイ…、死んだか…?」

少し間を置いて玄関の扉が開かれる。

「あ″ー、鳴子…?」

玄関の扉に凭れる様にしてドアを開ける知輝は額に冷えピタとマスクを着用していて、実に辛そうだった。

「あれや、オッサンに頼まれてプリント届けに来たんやけど…、センパイ、大丈夫か…?家の人は?」
「ん″ー、ありがと…。オカンもオトンも仕事で、ウチしか居らんねん」

玄関でクロックスに履き替えた知輝が、プリントを受け取りにヨタヨタと外まで出てくる。

「フラフラやんけ!…大丈夫か…?熱は?」
「朝計ったっきり…、さっきので起きたから、計れてない」

見るからにまだ熱は下がっていないだろう知輝を目の前に、用事を済ませたからとこのまま立ち去る事が出来ずにいる鳴子。

「家の人、いつ帰ってくるんや」
「あ″ー、多分、22時過ぎんと帰ってけぇへんなぁ…」

それを聞いてしばし頭の中で思案する。

「…センパイが…、良ければやけど…、ワイ、家の人帰るまで居ろうか…?」

言いにくそうにする鳴子だったが、申し出はとてもありがたいと知輝は感じる。
立っていることも辛い現状では、一人で居ても食事もろくに摂ることが出来ない。
それを分かっていての申し出だろう。
知輝も考える事はあったのだが、朦朧とした意識の中で正しい判断がつかない。
鳴子の申し出を受け入れた。

(まさか、こんな形でセンパイの家の敷居を跨ぐとは…)

一応、彼女の家に行く前にコンビニに寄って粗方の物は用意していた事をナイス自分と心の中で自画自賛する鳴子。

「あの物言いやと、何も食うてへんねやろ。出来合いのモンやけど、お粥とかあるで、食えるか?」
「…痛み入る…、食器、台所の棚の中にあるー…」
「わかった。ちょっとだけ台所借りるで」

知輝を彼女のベッドまで運んだ後、コンビニの袋を提げて鳴子は台所へ向かった。

(付き合うてないのに、彼女の家に出入りすんのはなんか、変な感じやな…)

レトルトのお粥を袋から出して容器に移し、レンジにかける。
ササッと済ませて彼女の自室へ戻った。

「ほら、センパイ、起き上がれるか?」
「んー…」
「あと、熱計っとき、体温計どこや?」
「そこの…ペン立てに刺さってるー」

もぞもぞ起き上がってお粥を鳴子から受け取りお粥を口に入れる知輝を見て、食欲はある様で安心する鳴子。
言われた場所から体温計を抜き取って彼女が食べ終わるのを待った。

「あー、38.2度や…高熱やん。こら明日も学校無理そやな…、とりあえず薬飲んで休んどき」
「んー、ごめぇん…」

言われ、ベッドに身を沈める知輝。

「鳴子って…下におる…?」
「弟が二人おる」
「どうりで…面倒見ええよな…」
「それも多少あるけど…」

センパイだけやでそう言おうとするも、寝息が聞こえだしてやめた。
胃にモノを入れたからか少しだけ顔色が良くなっている。

「はよ、元気になりや」

そう言って鳴子は、眠る知輝の髪をひと撫でした。

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「アンタ、あの赤髪の子彼氏?」

仕事から帰ってきた母が、娘の様子を見に来た頃には鳴子の姿は無い。

「ちょっ、そんなんちゃう!!後輩や後輩!!」
「大分顔色良くなってるやん。ちゃんとお礼しぃやアンタ。様子見とってくれたんやろ?」
「…うん。」

幾分か冷静に物を考えられるまでには回復した知輝は、よくよく考えてみるととんでもない事を彼にさせてしまったのではないかと自覚する。
母はそんな娘の様子を横目で見て、体温計を渡した。

「もいっかい計っとき。」

母から体温計を受け取り、腋に挟む知輝。
ベッドの脇に腰掛けた彼女の母は、知輝のおでこに貼られた冷えピタを剥がす。

「なんか、アンタらワケありっぽいけど、お礼はちゃんとせなあかんで」
「…うん。」

新しい冷えピタを貼り替えて貰ったところで体温計は計測終了の電子音を鳴らした。

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あれから熱が下がったり上がったりを繰り返し、漸く登校できるようになるまで一週間かかってしまった。
まだ多少の身体の怠さは残るもののこれ以上休むと本気で成績に響く。
重い身体に鞭を打っての登校。
教室に入れば、クラスメートが心配して駆け寄ってくる。

「知輝ちゃん!おはよう!大丈夫?」
「何か悪いものでも食べたんでしょ〜」
「知恵熱や知恵熱!!いくらウチでも腹壊して熱出すとか無いわ!」
「知恵熱?…何か考えるような事があったってわけね?」

友人に言われ、知輝はギクリとする。
鋭い…鋭いぞ…友人。
そんな友人に知輝は笑って誤魔化した。
席に着いて、鞄を机の横のフックに掛ける。
開かれた鞄から覗くラッピングされた袋を見つめて知輝は溜め息を吐いた。

(お礼って言っても…何て言えば…)

告白の申し出を断った挙句、熱に浮かされあろう事か振った相手を家に上げてしまったことに申し訳なさと後悔しかない。
授業中も頭を抱えてうんうん唸る知輝を横目に、田所はコイツ大丈夫か?と少し心配した。

「課題のプリントやってきたんだろうな?」

放課後、担任に職員室に呼び出された知輝はプリントを提出しているところだった。
空欄なく埋めれたプリントを見た担任は驚いたように目を瞠った後、口を開く。

「熱出て体調崩してる方が成績上がるかもな」

嫌味をこれでもかと言う程含んだ一言を聞き流し、知輝は職員室を出た。

(嫌味言いよって…腹立つわ…)

怒りをぐっと堪えて教室に荷物を取りに行こうと足を前に出した所慌てたクラスメートが知輝に駆け寄ってきた。

「知輝ちゃん!!!!」
「どないしたんや、そんな慌てて。」
「大変…、自転車部に…っ、自転車部が、大変なの!!!」

その慌てぶりに徒ならぬ状況を瞬時に察すると、知輝は友人の両肩を掴んた。

「落ち着き、何があったん?」
「あ、あのね…、他校の人が…今自転車部で」

“他校”、“自転車部”そのワードを耳に入れた知輝は、反射的に駆け出していた。
その背中を不安そうに眺める友人は、祈るように手を握る。