「失礼しました」

ある日の夕方、部活のない日、榊に呼び出され職員室に寄ったつかさ。
いつも使わない西階段。一段降りるたびにオレンジに照らされていく足元を、つかさはなんとなく眺めながらゆっくり降りていた。
湿った空気がじわりと彼女の体を覆う。
肩に掛けたカバンを背負いなおして、三階へ降り立ったその時、女性の声が聞こえてつかさは何気なく顔を上げた。

「……だよねー」

ゾクッとして、身体がかたくなる。
余った机や椅子を収納してある、ほぼ倉庫と化した使われていない教室の方からだ。
そこは、生徒の間で”出る”とウワサになっていた教室でもある。
まさか…と耳を澄ますと、確かに空き教室から、女の話し声が聞こえてきた。

「つかさがそんな事を?」

そう自分の名前をこぼす声に、つかさは思わず身震いした。
だが、この声…聞き間違えるはずがない…。

「んー、なんだろ?わたしもわかんないや」

…間違いなく美歌の声だ。
でも、確か彼女は今日用事があるからと先に帰ったはず…。
つかさの頭の中に疑問符が満ち、声のする空き教室をこっそり覗いてみた。

「せやんなぁ。やっぱ女の子の心はわからんよなぁ…」
「あはは、どういう意味かな?ん??」

忍足の声を聞いた途端、嫌な予感が背筋を冷たく流れる。
二人が楽しそうに話しているのを目の当たりにして、言葉をなくす。
いや、声を出さなかったのは正解かもしれない。

「胡桃沢さんも頑張ってるやん」
「今のところ、目指すは打倒鳳!」
「それはわかっとるねんけど、そっからの調子はどないなん?」

あたしの事好きとか言ってたけど、美歌とも話したりするんだ。
これ以上聞いたら戻れない気がして、おのずと足は動く。
二人の声を背に、つかさはひっそりと逃げるように立ち去った。

どこか頭の端で、違う自分がこれ以上探ってはいけないと危険信号を出している。
だがつかさの思考の流れは止まらず、せわしなく働き始めた頭の中で、様々な要因が繋がり合う。
やがてつかさは、一つの仮定を導き出す。

美歌は忍足と、あの教室で幾度となく会っていたんだ。
あたしに黙って、約束をして。でなければあんなところで二人でいる筈がない。
でもなんで…?美歌は忍足に、宍戸との事を相談してる風にも見えたけど…。
忍足が美歌に乗り換えた?まぁ最近あたしに冷たいからそれも有り得るかな…。
つかさはそんな事を考えて、考えすぎて、その日はなかなか眠れなかった。

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「…西棟の使われてない教室」

翌日の放課後、いつものようにつかさは美歌と部活へ向かっていた。
頭の中でずっとモヤモヤしてるのはなんとなく嫌気が差すので、正直に聞いてしまおうとこの話題を出した瞬間に、美歌の顔つきが変わった。

「幽霊出るって、知ってる?」
「あ、あー、有名なヤツね!?知ってる知ってる」

美歌は若干言葉に詰まらせながら、そう返した。
よく通る彼女の声が、長い廊下に少し反響している。
響いているのは、つかさの頭の中でも同じかもしれない。

「じゃあさ、行ったことある?」

何か確信を持った様な口振りとも、そうでないとも取れる言い様に美歌の目は泳ぐ。
元々、心霊の類の話はつかさは良く話す。
故に、美歌にはこれがどっちなのか判断がつかない。

「う、うーん…肝試し程度に見に行った事は、あるかなぁ〜」

ここで、美歌は大きな間違いを犯した。
そもそも、心霊の類を美香は嫌う。
故に、肝試しなどするはずもない。
それだけでも不自然なのに、美歌は“行ったことはある”と答えた。
それは、過去を指す言葉であって直近を指す言葉ではない。
その返答を聞いたつかさは、眉根を寄せた。

「へぇ…最近は行ってないんだ?」

美歌が目線を泳がせて、指先をコソコソと遊ばせている。
つかさはそれを見ながら、とぼけるように声色を高めつつ尚も問いかけた。

「あ、いや…ま、まぁ…うん」

彼女の返答に、頭の奥がチリチリと熱くなっていくのを感じた。
ギュッと拳を握りしめて、歩を進めるのを辞めると、背中を曲げて歩いていた美歌が数歩先で振り返った。

「つかさー?」

突然歩を止めたつかさに、良からぬものを感じながらも平然を装って呼びかける。
暫しの沈黙の後、つかさはゆっくりと顔を上げ真っ直ぐ美歌の目を見て口を開いた。

「昨日、忍足といるところ見かけたけど、なんで嘘つくの?」

つかさは、そう喉から絞り出す。
それに美歌は大きく目を見開いた。
つかさは力なく睫毛を震わせ、眉を下げている…それは、悲しそうな…困ったような表情だった。
それを見た美歌が安堵とも緊張とも取れぬような表情で深く息を吐いた。
つかさに嘘をつくなんて、本当は美歌だってしたくないのだ。
いつの間にか2人だけになった廊下に、しんと静かな空気が流れる。
遠くの方で、どこかの部がランニングをしてる声が聞こえてくるくらいだ。

「あー…えーと、つかさのこと…話してた」

モゴモゴと、言いにくそうに美歌は告げた。

「つかさともっと仲良くなってほしいなって、思って、その…助言?みたいなこと、してたの…」

落ち着かないのか、頭を掻いたり足の爪先をひょこひょこ浮かせてみたり腕をさすったり…。
美歌はつかさの顔を見れず、ずっと下を向いていた。

「ふっ…なにそれ。」

そう漏らした声は鼻にかけて出た。
眉間は寄っているものの、無意識に口角が上がってしまう。
喜びや嬉しさで出た笑いではなく、怒りや呆れを通り越して笑ってしまっている。

「ご、ごめん…」
「あー、そゆこと?忍足と一緒になって、あたしのことからかってたんだ?二人して嘲笑ってたんでしょ?」

つかさは美歌の謝罪の言葉を無視して、なおいっそう低い声でまくし立てた。
そして自らを嘲るような冷たい笑いが唇を掠め、握った拳に力が入る。

「違うよ、わたしはつかさのこと心配で…」
「余計なことしないで!」

美歌が同情するような顔で言うもんだから頭に血が上るつかさ。
有無を言わさぬ勢いだが、その声は震えている。
気迫に圧された美歌は息が詰まったかのように立ちすくみ、すぐに言葉が出なかった。
つかさは戸惑っている美歌を尻目に、真っ直ぐ前だけを見て歩き始め、廊下の先の階段を降りた。
ようやくハッとする美歌だったが、振り向いた先には誰もいない。

「違うよ、わたしは…」

美歌の呟いた声は届かず、長い廊下にこぼれ落ちるばかりだった。