放課後の、誰もいない教室で話す…男と女。
二人は小声で言葉を交わしていた。誰にも気づかれないように、ひっそりと。
「…で、どう?最近。つかさは落とせそう?」
「あの手この手で挑んでんねんけど、アカンわ。一筋縄では行かへんなぁ…」
「だから言ったじゃん。つかさは手強い、って。」
彼女は指を立て叱咤しつつ、忍足をのぞき込み念を押す。
彼は打ちひしがれたようにジッと視線を落としたまま黙り込んだ。
「そんな派手なアタックばっかじゃダメだよー?」
「…せやな……」
「軽く見えるのがイヤで覆そうと努力してるのはわかるけどさー」
ずばりと鋭く痛いところを突かれたようだ。メガネの奥に、驚きの色を映す。
そんな様子を見て、彼女は悪戯っ子みたいに無邪気に微笑む。
なんだか見透かされているような感覚が拭えなくて、胸の濁りが澄まない忍足。
「忍足だけに、押したり〜引いたり〜」
「…そんな言い方されると冗談なんか本気なんかわからへんねんけど…」
「飛んだり〜跳ねたり〜」
「いや、そういうんは岳人の方やから。」
「ツッコミを入れる元気があるなら、まだ大丈夫だね。」
彼女の落ち着いた発言に安堵し、深く息を吐く。
いや、ただ単に呼吸を調整するための溜め息だったのかもしれない。
「でもま、一理あるなぁ…」
「さ、そろそろ時間だよ。お互い部活行かなくちゃ」
「……なぁ、胡桃沢さんはなんで俺に協力してくれるようになったん?」
ドアに手をかけた美歌は呼び止められ、振り向く。
表情的には微笑んでいても、声をほとんど立てずに笑った。
「さぁね?」
遠く関係のない事を言うような声で返し、彼女はそのまま教室を立ち去った。
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各クラス、HRの時間はまばらである。
全員が集まるまでの間は、コートの整備など各々準備をしているのだ。
つかさは、いつものベンチに腰掛けて、お菓子の箱を開ける。
これから始まるハードな部活動を乗り切るための、ちょっとした楽しみでもある。
ところが彼女の筍型のチョコを横から掠め取る奴が現れた。
「おいコラなにやってんの。勝手に食べてんじゃないよ。」
「ウィッス」
鳥のくちばしみたいに口元を尖らせ、おどけた調子で言う美歌。
そんな彼女の額へ、つかさのチョップが炸裂した。
それでも伸びてくる手を避けると、美歌は甘えたねだるような目つきで見てくる。
「だいたい、あんたキノコ派でしょーが…」
「わたしはキノコ派である以前に甘いモノが大好きなのだよ、つかさクン。」
「何キャラだよ。」
美歌の相変わらずの様子につかさは呆れた。
そんな中…恐らくつかさには触れて欲しくないであろう話題を彼女は振ってきた。
「最近けっこー仲良くなってきてるんじゃないの?お・し・た・り。」
「はぁ?そんなんじゃないっての。」
そう言うとつかさは、コートの方に視線を向けた。
つかさの目線が手元から離れたのを見て、しめたと思い美歌はお菓子をヒョイヒョイ口元へ運んでいく。
「一緒に漫才してるみたいに盛り上がってるからてっきり歩み寄ったのかと。」
「違う違う、かわし方がわかってきただけ。なーんも盛り上がってないよ。」
「フーン…まぁ進むにせよ退くにせよ、一歩には違いないって事なのだよ、たけのこクン。」
「誰がたけのこだ、誰が」
「じゃっ、そろそろ自分とこ戻って準備始めるね。ごちそうさまです隊長!」
その言葉を聞いてつかさはハッとして手元を見やる。
そして持っていた箱の、中身のお菓子が半分くらい減っているのに気づいた。
咄嗟に立ち上がるものの、犯人の美歌はフェンスの向こう側へ逃走したようだ。
してやられた…とは思ったが、あえて咎める事はしないでおこう。
「さて、あたしも…」
つかさはベンチから立ち上がって、箒と塵取りを手に階段を上がる。
客席の整備も彼女の仕事。慣れた手つきで要領良く、ゴミを集めていく。
あらかた掃除を終え、コートに戻ろうとしたときだった。
最初に感じたのは靴底を擦るような感覚。
そしてバランスを崩して、地面へ引き込まれた。
体が突然、重力を思い出したみたいに。
次の瞬間には、視界がぐるりと旋回する。
体をぶつける度に階段というものが、尖った凶器のように思えた。
「つかさ!!」
聞こえたのは、お腹の辺りに深く響く声だった。
足音が近くなり、すぐそばに気配があるのを感じる。
肩を支えつつ体を起こされて、グッと瞑った目を開いた。
「大丈夫か、ケガないか!?」
忍足が、つかさを覗き込んで呼びかける。
心配そうに、顔を青くさせていた。
「あはは、ヘーキ、ヘーキ…」
それを見て、つかさは咄嗟に笑顔を取り繕う。
笑わなくちゃ。笑って、なんでもないんだと彼に伝えなくては。
強ばった笑いを口元に浮かべる。
心配をかけまいと立ち上がろうとするが、足が竦む。
傷が痛いからというワケではないが…体が吃驚しているのか、力が入らない。
あれ?とつかさは、またぎこちなく笑う。
「大丈夫ちゃうやん!」
忍足が声を荒げた。つかさはギクッと身を震わせ、きつく目を閉じる。
突然横抱きにされ、再び浮いたような感覚に彼女はハッとして、反射的に彼の肩へ手を回す。
「えっ、あ、忍足っ?」
「保健室行くで!ちゃんとつかまっときや。」
「へ…ちょ、おし、待っ…待ってって、忍足!」
「ええから」
反論する間もなく、忍足は彼女を抱えたまま走り出す。
つかさはどこを見ていいのかわからず、視線を泳がせた後ちらりと彼の横顔を盗み見た。
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保健室に着いた二人。どうやら保険医はいないようだ。
つかさは、丸イスに座りズボンを捲り上げる。
擦り剥いた跡や、打撲による青い痣があちこちにできていた。
「長ズボンで良かったわ。あんま血は出てへんみたいやし…。ホンマ、めっちゃ心配したで…」
幸いなことに、つかさが落ちたのは階段の低い所からであったこと。
それと、忍足対策だと言って穿いていた長ズボンのおかげで、大事には至らなかった。
彼はつかさの足元に跪き、慣れた手つきで消毒を始める。
「さすが。手際良いじゃん。」
さすが と言うのは、忍足の父親が大学病院の医者として働いているからである。
治療に手馴れているのも、幼い頃から父親の仕事ぶりを見ていたからだろうか。
「忍足、将来良い医者になれるよ」
「せやろか」
「医者になったらますます持て囃されるだろうね…」
「そうやっていつも茶化すけど、俺はつかさちゃんだけでええねん。」
忍足の吐息混じった声が、優しくつかさの名前を紡ぐ。
そういえば、さっきから『つかさちゃん』と呼ばれている。
そんなことをボンヤリと考えながら、つかさは足を動かす。
「…うん、もうそんなに痛くないみたい。」
「つかさちゃん、ホンマに良かった。大怪我しやんで…」
ぽんぽん、と忍足はつかさの頭を撫でた。
そしてそのままスルリと彼女の耳に触れ頬へ手を伝う。
気づくと忍足はメガネの奥で熱い視線をこちらに向けている。
さっきまで足の手当てをしていたのに、思ってたより距離が近い。
あ、これは…ヤバイやつだ。つかさも察していた。
頭ではわかっていても、体は硬直して動かない。
早鐘のように激しく心臓が脈打ち、頭がのぼせる。
彼の、吐息が、すぐそこに…。
「………っ、」
-ピンポンパンポーン…-
と、沈黙を破るようにして突然、校内放送のチャイムが鳴る。
二人の体が少し跳ねた。
「あっ、あ、もうこんな時間!忍足ホラ部活行かないと!」
つかさは咄嗟に忍足の肩をグイと押す。
彼の目を見ることはできず、顔を背けたままイスから立ち上がる。
少しよろけながらも、ドアを開けて背を向けたまま彼に謝礼の言葉を口にする。
「治療してくれてありがと!あ…あたし一応病院行くから、みんなには今日はもう帰った、って言っといて!」
保健室を出て行くつかさを見送って、ポツリと忍足は呟く。
「メガネ取んの、忘れとった…」