「おはよー…」
「おはようってあんた…、朝練見ないと思ったら…」
「いやぁ、今日調子悪くてー…」

いつもいつでも元気いっぱいの美歌であるが、今日は珍しく不調のようだ。
朝練の時間も終わり、HRが始まるギリギリの時間に姿を現した彼女に、明日は槍でも降るのだろうかとつかさは心底驚いた。
酷い言われようだが、普段の彼女からは病気の類のものとは無縁の印象を受けるのが一つの原因だった。

「美歌が不調なんて珍しいじゃない…、どしたの」

のそのそと重い足取りで席に着く美歌の傍まで歩み寄る。
問われれば美歌は、んー…と生返事を返した。
確かに見ればあまり顔色が良くない。と、言うか血の気がない。
そこまで考えが至って不調の理由を悟った。

「なるほどね。今日はあんまり無理しないように」
「おー…、なにも言わずともわかってくれるか我が心友。心の友と書いて心友よ。」
「バカな事言ってる余裕があるなら大丈夫だわ。」

先程つかさが悟ったように、どうやら美歌はレディースデーのようだ。
つかさは自分の席の横に吊るした鞄をごそごそと漁り始め、目当ての物を手に取ると美歌の元へと戻ってきた。
半透明のピルケースを美歌に差し出す。

「ほら、痛み止めあるからとりあえず飲みな」
「忍びねぇな」
「構わんよ。」

何処かで聞いたことあるやりとりをぶちかましたところでチャイムが校内に鳴り響き、間もなくして教室に担任が入ってきた。
それを合図に散り散りになっていた生徒たちは、決められた席に着く。

−−−−−−−−−−−−−−−−

HRが終わって一限が始まる前の時間。再びつかさは美歌の様子を伺う。
さっきより血色が悪くなっている。同じ女子として如何に辛いか理解している為にいたたまれない。

「しばらく保健室行ってきなよ。先生にはあたしが言っておくし」

先程つかさが飲ませた痛み止めはまだ効いてはこないだろう。
ならば、せめて効くまでは椅子に座っているより横になった方が何倍もいい。

「オゴォ…、月に導かれし鮮血のカタストロフ」
「バカな事言ってないではよ行け。」
「…はい。」

つかさに言われ、美歌は教室を出て保健室に足を向けた。
もはや足を引き摺るようにして歩く美歌、今月のは一際重い。それは額に滲む玉の様な汗が物語っていた。
一限が始まるチャイムが鳴った。廊下には人っ子ひとり居ない。静寂の中自分の足音とそれぞれの教室から微かに授業が始まった気配がした。
誰もいない廊下に聞こえるのはそれらと美歌の苦しそうな吐息だけだった。
やっとの思いで保健室に辿り着き、扉の取っ手に手を掛けゆるゆると開けた。
中には女性の保険医が事務机に向き合って書類に何やら記入していた。
美歌が入ってきたのを確認すると、作業を中断して背もたれのある椅子をくるりと回転させた。
美歌は後ろ手に扉を閉めて保険医の傍まで寄り事情を話す。

「女の子は大変よねぇ。薬は?」
「飲みました。」

保険医は事務机から別の書類を引っ張り出してきて今度はそこにペンを走らせる。
おそらく、生徒の容体を記入する書類なのだろう。

「じゃあ効くまで寝てなさい。」
「お言葉に甘えまして…」

窓際の一番奥のベッドにのそのそ向かう。
片膝をベッドに乗せるとスプリングが跳ねた。
上履きを脱ぎ捨てそのまま力尽きる様にベッドに倒れ込んだ。
窓際のベッドだからか一際お日さまの匂いがシーツからする。
朝日が窓から零れる様に差し込む。うつ伏せの状態から空を眺めると白い日光が顔を刺した。
ポカポカの陽気もあってかまだ一限も終えていないのに不思議と睡魔が襲ってきている美歌は、本能に委ねて瞳を閉じた。
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どれくらい寝ただろう。ふ、と目覚めた美歌は気持ち悪さはあれど痛みが多少引いた事に気が付いた。

「せんせー…、一旦トイレに行ってきま…、す…」

シャッとカーテンを開けるとそこに保険医の姿は無く、代わりに宍戸が丸椅子に腰掛けていた。
居ると知らなかったにしろ彼の前ででかでかと“トイレ”などと発言してしまったことに赤面する。
宍戸はというと、物凄く驚いた顔をしていた。

「胡桃沢お前、どっか悪ぃのか!?」

慌てて駆け寄る宍戸に戸惑う。
男性に何と言えば良いものか…、ストレートには言えないこの事情。
ましてや、意中の相手に生理なんです。とは流石の美歌にも抵抗があった。

「あー、あの…あれだよ。貧血週間…?」
「貧血か…、大変だな大丈夫か?」

美歌の身を案じる素振りを見せるも、真意まで伝わったかは定かではないところだ。

「平気平気…、宍戸さんこそどうしてここに?」
「いやさっきの授業、体育でよ…」

言われて美歌は宍戸が制服姿でないことに気付いた。
短パンから延びる足の膝小僧に擦り剥きからの出血を発見して慌てた。

「傷自体は大した事ないんだけどよ、菌が入ったらマズイだろって思って来たんだけど、先生居ないんだよな」
「あ、まじかまじか!んーと、勝手に漁って大丈夫かな…」

そう言いつつも美歌は無遠慮に薬品棚を色々物色し始めた。
目的の消毒液を手にトレイの前まで来る。
トレイの中から綿ガーゼをつまみ上げ、それに液体を染み込ませた。

「簡単な消毒ならわたしがやるね!見せて。」
「お、おう…」

消毒液が滴るコットンを片手に宍戸を再び丸椅子に座るよう促した。
そして彼の目の前にしゃがみ込む…ところまでやって美歌はハッとした。
-わ、わたし…普通にしてるけど、宍戸さんの膝小僧消毒するんだよ!?-
何やら突然とんでもない事をしている様な気がしてドギマギする。
機械の様なガチガチな動作で一通り作業を済ます。

「ん、んな緊張すんなよ…。何か悪い事させてるみたいじゃねぇか。」
「だっ、だよね!?えと、消毒終わり!バンソーコ貼るよ!」
「おう。」

救急箱から大き目の絆創膏を取り出し封を切る。
大したことない動作のはずなのに、どうしても緊張してしまう美歌。
やっとの思いで宍戸の傷口に絆創膏を貼る。思わず一息吐いてしまった。

「は、はいっ!おしまい!」
「おう、サンキュな!」
「なんか、すごいキンチョーしましたハイ…」
「お、俺も…」

何てことないはずなのに宍戸相手だとそうはいかないな、と実感する。
また、宍戸自身もそれなりに意識しているようだった。
しばらく気まずい沈黙が続いた。しかしどちらもその場を離れようとはしない。
耐えかねてかそうでないか、沈黙を破ったのは意外にも宍戸の方だった。

「この間は長太郎が邪魔して悪かったな。あれであいつ悪気は無ぇんだよ。」

この間とは4人でテニスのダブルスをしたことだろう。
言われて美歌の脳裏にその時の事が浮かんだ。
‐女の子より俺の方がいい練習相手になるかと思って!‐
‐だって、メインは宍戸さんの練習ですから!‐
悪気は全くないのだろうけれど、美歌に対しての無礼な発言を鮮明に思い出す。爽やかな鳳の顔付きで…。

「宍戸さんが謝るようなことじゃないよー気にしないでー」
「おーい、棒読みになってんぞー」

美歌はあらぬ方向を生気の無い瞳で見つめている。
その様子を見て宍戸は盛大に吹き出した。
美歌にとってそれは、予想外の事でまさか笑われるとは思っていなかった(あくまで本人の範疇ではあるが)彼女は羞恥からか、顔に熱が集まるのを感じる。

「やっぱ、胡桃沢って面白いよな!」

それはどういう意味なんだと頭を捻る。
いつもバカばかりな美歌でも意中の相手からの“面白い”は少々引っ掛かるものがあった。
しかし、本当に面白そうに笑う宍戸を見て、そんな考えは吹き飛ぶのである。
‐今は、笑ってくれているし、これでいいや。‐