嘘吐きとアリア 1
あれから一週間が経つが、珠音は目を覚まさない。
毎日六つ子は代わる代わる珠音の病室に訪れていた。
「一松、また居たのか。」
病室の戸をガラリと開けて入って来たのはカラ松。
手には見舞いの花を携えていた。
対する一松は、ほぼ毎日彼女の病室に足を運んでいる。
そして、一日の殆どをこの病室で過ごしている様だった。
丸いパイプ椅子に座って、何をするでもなく珠音の傍らに佇む。
カラ松は、窓際の花瓶から古い花を抜いて、新聞紙に包んだ。
珠音は、奇跡的に一命は取り留めたものの頭部を強く打った様で未だに目覚めない。
このまま目覚めない可能性も大いにあり、目覚めたとしても最悪不随になる箇所があるかもしれない…と、現状は絶望的だった。
主治医が言うには、大切なのは眠っている相手に呼び掛け続ける事だと言う。
だから、毎日六つ子達は代わる代わる病室に訪れては色々な話を珠音に聞かせたり、呼び掛けたりを繰り返していた。
カラ松も一松も例外ではない。
「俺…、コイツに酷い事言っちゃったんだよ」
一松がボソリと呟くも、カラ松は振り返らない。それは、彼のプライドを傷付けない為だった。
「ブラザー、俺は花瓶の水を入れ替えてくる。」
ポン、と一松の肩を叩き病室を出て行こうと引き戸のノブに手を掛けてカラ松は一言放った。
「大丈夫さ。珠音はきっと目が覚める。だからその時はちゃんとお前の口から謝るんだぞ。」
そう言って、一松の猫背に向かって微笑みかけてから病室を出ていった。
「珠音…、起きろよ。俺、まだお前に何も言えてない。」
シンと静まる病室では、どんなにか細い声だろうと響いた。
しかし、珠音が答えることはない。
一松の言葉は独り言のように、反響して消えた。
しかし、彼は語り続ける。
「大切なものって…、無くしてから気付くものなんだね…」
返事が無いのをいい事に、一松は饒舌に話し出す。
それは、面と向かっては到底言えないような事。
嘘吐きな彼は、本人を目の前にして、本心を晒す事がなかなか出来ない性格をしていた。
「俺さ…お前の事が嫌いなんだと思ってたよ。俺には、兄弟しか居ないから、お前が楽しそうに皆と打ち解けていくの見てて…焦ってたんだ。兄弟達を、取られてしまうんじゃないかって…」
「お前が毎日話し掛けてきて、イライラもした…。でも、それは…お前にイラついてたんじゃなくて、素直に答えられない自分に対してイラついてたんだって…、今なら思うよ。」
「俺、初めてだったから…。女の子にあんなにアプローチ掛けられたの…、だから、本当は嬉しかったんだよ。」
ぐっと…一松は、込み上げるものを堪えた。
「俺さ…、お前が好きなんだよ。だから…」
お願いだから、目を開けて何とか言ってくれよ…。悲痛の言葉は彼の口からは出る事は無かった。
何故なら、それは涙で埋もれてしまったから。
“おはよう!一松くん!!”
彼女の声が頭の中で反響する。
どうして、一度でもこの言葉に返事を返さなかったんだ。
どうして、一度でも彼女の事を受け入れてやれなかったんだ。
一松の心は後悔で一杯だった。
「おはようって…言ってくれよ…」
珠音の手を取り、それに額を当て懇願する様に絞り出した声は、果たして眠っている彼女に届いているのだろうか…。
「一松、今日兄ちゃんと飲まね?」
「…やめとく。」
おそ松の誘いを断り襖を開けて部屋を出ていく一松に、おそ松は頬を人差し指で掻いた。
「あれは、まぁた珠音ん所行くな…」
熱心なのも良いけど、息抜きしないとお前が壊れちゃうよ〜などといつもの調子を崩さない。
おそ松は、言葉こそは軽いものの真剣な目を一松が出ていった襖に向けていた。
一松は、珠音の病室に向かう前に必ずあの路地裏に訪れて子猫の様子を見ていた。
何も知らない子猫は、一松の掌に擦り寄る。
「珠音。コイツは無事だよ。」
憎たらしい程元気さ。
そう言うも猫を撫でる手付きは優しい。
「お前の目で早く確かめろよ。コイツも待ってるよ。」
暫く猫を可愛がった一松は、その重い腰を上げて路地裏を出た。
ふと、花屋の前で足を止め店の中に入る。
(鉢植えはNG…、椿、シクラメンもダメ…)
最低限のマナー程度の知識はあれど、正直一松にはどの花がいいのか全くと言っていい程分からなかったのだが、一つ目に留まる花があった。
それは、桃色の胡蝶蘭のプリザーブドフラワー。ドーム状のガラスケースに収まったそれが酷く目に留まって離れない。
何となく手に取って、何となくそのままレジを通したその花を手に病院へ足を向けていた。
何となく、プリザーブドフラワーなら枯れないだろうと…そんな気持ちで手に取ったその花の花言葉など一松は知る由もない。
病院の受付に名を言い、通して貰う。
ガラスケースを片手に、珠音の病室の引き戸をいつも通り開けた。
「…っ、珠音…。」
彼女の見舞いに行く前にいつも通り猫の面倒を見て、いつも通り病院に足を運んだが、一ついつもと違うのが
「おはよう。一松くん。」
そこにはベッドに横たわる珠音ではなく、優しく微笑みかける彼女が居た。