玉狛A級隊員/木崎いとこ

■ ■ ■



 言ってくれなきゃ分かんないじゃない、と激昂した小南のその言葉が、いつまでも名前の心に突き刺さっていた。
 もはや古い付き合いになりつつあり、恐らく同性の中では一番に気を許しているであろう小南にさえ、自分は心を開けていないという事実に直面して自然と気が沈む。何をするにしても小南のあの表情がチラついてやる気が起きない。ハァ、と深いため息をついてからのろのろと帰り支度を始める。いつもなら絡んでくる明るい犬飼も防衛任務のため不在だったので、それこそ暗い気持ちを抑えることができない。名前は独りが苦手だったし、感情が落ち込んでいるときこそ誰かといれば気も紛れるものだったのだが。同じ学校に通っているボーダー隊員の同級生はもう一人いるが、あらふね、と心の中で呟いてもう一度溜息をつく。彼の隊も今日はこのあと任務に入っていたはずだ。こういう日に限って二人ともいないとは。もちろん、ボーダーの仲間以外に友達がいないわけではないが、彼女たちはこの時間は部活動に勤しんでいるのでいない。
 帰ろうと思い立ったのは、そうこうして30分以上すぎた頃だった。しかし玉狛に戻れば小南と顔を合わせることになるだろう。はやく会って謝らなければと思う反面、そうした勇気が持てず、ぐずぐずと踏みとどまっている。―言ってくれなければ分からないと小南に言われた瞬間、名前は何も言えなくなってしまった。あんたはいつもそうやって誤魔化して、いつもそうやって何も見せてくれない、小南にそう言われて、ショックを受けたのはやっぱりそう見えるのか、と事実に直面したからだろうか。



「……あ」

 ぐるぐる考えが回って、いつのまにか玉狛支部へ帰る道とは反対方面へと足を進めていた。目の前に建てられた看板には、警戒区域進入禁止、の文字が書かれていたのに気づいて深いため息をついた。だがその文字が見えにくくなっていることに気づいて、不意に空を見上げた。学校を出た時にも既に日は傾いていたが、もう太陽は顔を見せておらず、月明り、キラキラ輝く星空の下にいたので、ああなるほど、あたりが暗いから文字も見えにくくなっているのか、とぼんやり考えた。
 
「女子高生がこんな時間にこんな場所にいたら危ないよ」

 ぽん、と肩を叩かれ、咄嗟に身を固くして振り返る。隊務規定違反になるため一般人にトリガーを使用してはいけない。生身では、どうすることもできない。
 だがその声が自分にとってよく知っていたから、すぐに硬直はとける。

「迅、さん」

 ほっと肩を下ろして、その名を呼べば彼はいつものような笑みを浮かべて、それから名前の目を見てから眉尻をさげた。そこで名前はバツが悪そうに顔を背けた。彼にはきっとこの未来が初めから視えていたのだろうと思ったら気まずくなってしまったからだ。

「変な人もうろつく時間だし、何かあってからじゃ遅いぞ?」
「――……だって」
「みんな心配してる。帰ろう」
「…帰れないよ、だって」

 いつになく優しい声色に、居たたまれなくなって背を向ける。「小南が」その名を出され、名前はびくりと肩を震わせ、うつむき加減に迅を振り返る。迅は、微笑みを携えていた。

「小南が一番心配してるよ」
「…っ」
「ほら」

 緩く手を握られ、引き寄せられる。―名前は、昔から迅の目が苦手だった。未来を見通すように、すべてを見透かされるような気がしたから。

「小南だってわかってるさ。全てを言うことだけが友達じゃない。ただ……そうだな、少し寂しかったのかもしれないな」

 思わず目を合わせられなくて俯けば、迅の大きな手は、名前の冷たくなっていた手を包み込んだ。

「小南は名前のことが大好きだからな」
「私だって」
「うん」
「私も、小南が大好きなの。優しくて、素直なあの子が、大好きなの」
「…うん」
「だから時々怖くなって、あの子の前だと自分の全てが嘘のように思えて、何も言えなくなってしまう。自分を見せたら、嫌われちゃうんじゃないかって。こんな嘘ばっかの自分を、あの子が好いてくれるはずないって、」

 そ、と、いつも女性隊員にセクハラを繰り広げるその手が、優しく頭を撫でる。その手が幼いころに母親にされたような、父親にされたような、そんな既視感に胸が疼く。

「小南がそんなこと思うか?」
「…思わない、と思いたい」
「だろ?まあ小南だけじゃなくて、みんなそんなこと思わないよ。俺たちだって、名前が大好きなんだから」
「…なんか、迅さんが言うと信用できないなあ」
「ひどいなあ、俺はいつだって本心でしかしゃべってないって」

 手を引かれ、歩き出す。迅の手が温かいからだろうか、自然とためらいはなくなっていたし、はやく小南の顔が見たくなっていた。

「ねえ、迅さんには見えていたの?」

 ふと問いかければ、彼はゆるく笑う。

「これでお前たちは今まで以上に仲良くなれる、そう視えたよ」
「迅さん、」
「ん?」

 月明りが美しく照らし出す世界の中で生きていた。何を戸惑うことがあって、何を危ぶむことがあったのだろう。何を不安に思って、何をためらうことがあったのだろう。いつだって世界はこんなにも美しくて、こんなにも優しく在ってくれるというのに。

「…ありがとう、迅さん」
「…とりあえず、早く帰って小南にもそう伝えてやれ。な」
「うん」

 玉狛につく頃にはすっかり辺りは暗くなっていたが、不思議と恐怖心が生まれなかったのは、手を引いてくれる温かい存在があったからかもしれない。


「小南、その」
「名前、その」
「いつもありがとう!」
「今日はごめん、!」
「あれ?」
「な、なんであんたお礼なんて言ってるのよ」
「だって迅さんにそう伝えてって…、あ、いや、そうじゃなくて…」
「……」
「……えっと」
「……」
「私、優しくて、素直で、そんな小南が大好きで、だからこれからも…一緒にいて…」
「……」
「小南…?」
「こ、こっち見ないでよ…!…ばかね、私だって…あんたが、名前が大好き、だから。言いたくないことは言わなくていいし、そりゃ、寂しいけど、でも、好きだってことには変わりないから、…そんなのこっちのセリフよ、名前、一緒にいてね…」



いつか見た夢の先

ALICE+