「好き」

 それはある日のちょっとした放課後の話だ。日誌に今日の出来事をせっせと書いていた私の頭上から、突然その爆弾は投下されたのである。数秒ののち、私の思考は完全に停止した。彼の口唇から漏れた好き、という言葉の意味さえも分からなくなって、ピシリと音を立ててかたまる。

「え、あ、え?」

 もちろん突然すぎたその言葉の爆弾を私は上手に処理することができず、思わず情けない声しか出せなかった。いやいやだって聞き間違いに決まってるし、ここは軽くスルーするかはたまた聞こえなかったふりをするべきだろう。

「なァ聞いてンの?」

 私のこの反応は予想の範疇だったのだろうか。彼は元来よりつり上がったまゆをさらに釣り上げ、更に言えば人相の悪さがにじみ出た瞳で私を睨み据える。ひ、ひえええ。正直のところ非常に怖い。その視線から逃れるために俯いたら自分で書いた文字の羅列が頭に飛び込み、またまた大混雑だ。
 彼、荒北くんと私は単なるクラスメイトで、ぶっちゃけたところ接点はないに等しい。インターハイで優勝しちゃうこともあった我が校の自転車競技部に所属する彼は目立つし、柄の悪さが際立ってある意味インパクトが強い。そんなことで私は彼のことを知ってはいるのだが、まさか荒北くんが私のことを知っていて、そして、間違いや自惚れでなければ好き、だなんて。

「おいなんとか言えよ」

 気まずい空気を先に破ったのは、冒頭と同じように頭上からふってくる荒北くんの非常に不機嫌そうな声だった。ひ、ひええ。ごめんなさい。シャーペンを強く握り締めたらば、前の席がガタンと揺れ、思わず顔をあげた。―気のせいでなければ、その顔が真っ赤に染め上げられている気がする。私は思わず瞬いた。

「あ、荒北くん…」
「…ンだよ」
「か、顔…赤いよ…?」
「っせ!ンなことどーでもいいから、俺になんか言うことナァイの?」
「えっ」

 しどろもどろ話しかければ、彼は私にガンつけたままの態度でそう聞き返してきた。い、いうこと? カセットテープを引っ張ったときのように、頭の中がこんがらがってきた。
 とりあえず態度と顔色が合ってない気がする。間違いなく。私の気のせいでなく。そしてそんな顔でにらみつけたら、私だって顔が熱くなる。

「え、えっと?」
「俺、なンつった?」
「え、あ、と……す、ス…キ…」
「あーあー聞こえねェ」

 勘弁してくれ。語尾がもにょもにょと聞き取りづらいのは仕様だ。三白眼が相成って彼の目つきはさらに悪く見えるのかもしれないが、じっと見つめられると非常に怖い。そして態度も悪い。
 くるりとシャーペンを回して、息を吸った。別に愛の告白をするわけではない。彼の言った言葉を復唱するだけなのだ。

「え、と…好き」
「……ッ」
「え、な、なんで荒北くんが顔赤くすんの!?」
「るせーな!バァカ!!」
「った!」

 言われた言葉を言い返しただけなのに、彼はさらに紅潮し、顔をそむける。それから素早いスピードででこピンされた。いてえ。すさまじくいてえ。左手でデコを抑えていると、彼が立ち上がる気配を感じたため、また顔をあげる。

「ンなの柄じゃねェんだヨ!察しろ!!」
「へ」
「お前が!!好きだっつってンだよ!!」

 歯をむき出しにして吼えるように愛の告白をされた私は、握りしめていたはずのシャーペンが手から滑り落ち、何もつかまない空いたその手を強引につかまれ、引っ張られ、気付いたら薄い胸板の彼の中にいた。

「好きだヨ、名前チャン」

 かすれるような、何かを狙うような、そんな声色が耳元で聞こえる。

「なァ」

 自転車競技というものはカロリー消費がすさまじいと聞くが、この胸板は卑怯だ。うすすぎる。というか彼は全体的にうすすぎる。のに、全身が包み込まれていうことを聞かない。

「返事、チョーダイ」


君色に染まる

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