玉狛A級隊員/木崎いとこ

■ ■ ■



「レイジさん、上に行ってあげて」
「ん、ああ………そうか」
 
 夕食の後片付けをしていたとき、何気なく迅がそういった。更に追い打ちをかけるようにカタン、と気にも留めなければ気づかないほど小さな音が上の階から聞こえ、木崎は目をあげる。ひとつ息を吐き出して、後片付けをしていた手をとめ、キッチンペーパーで手をぬぐうとエプロンを脱いだ。あとはやっておくから行ってあげて、という宇佐美の申し出にありがたく甘え、その足は彼女のもとへと向かう。
 きょとんと首を傾げる三雲隊の面々に、迅は笑いかける。そんなやり取りが遠ざかり、次第に耳に届くのは、やはりカタン、カタンという何かが落ちている音だった。


「名前、はいるぞ」

 ノックもなしに年頃の高校生の部屋に入るなんて、といつもの彼女なら軽くこぼすのだが、その叱責は飛んでこない。真っ暗な部屋の中で、何かが落ちる音だけが響いていた。部屋に入ってみると、今までカタンと聞こえていた音は、実はバサリだったということに気づいた。

「名前」

 肝心の少女の姿は目視した限りでは見つけられない。だが木崎は知っていた。目の前のベッドの上で盛り上がる布団の中にいることを。声をかければ大袈裟なほど震えたその塊の中から、そうっと覗くように弱った双眸が木崎を見つめた。

 彼女は、いつもこうして一人で怯える。

 ひとつ息を吐いて、木崎はその塊へと近づいた。足元には本が散らばっていたので、先ほどまでの物音はこれのせいだろうと推測する。ベッドに座り込むと、二人分の体重を支えるスプリングがきしりと軋む。布団ごとその身体を抱き寄せ、子供をあやすようにその背を叩いた。

「名前」
「に、いちゃん、」
「…大丈夫だ」

 歳を重ね、木崎のことを名前で呼ぶようになったが、時々こうして昔のように呼ぶ。そういう時はたいてい何かに対して怯えているときだ。甘やかすように背中をたたき続けているうち、彼女の方から自分の方へと体重をかけてきた。ずしりと人一人分の重みを感じてようやく彼女が落ち着いたのだと感じる。

「ごめんね」

 布団の隙間から掠れた声が聞こえ、返事の代わりにその背中を撫でた。
 いつしかこうして彼女が弱ったときに慰めるのが木崎の役目になっていた。イトコであることに違いはないが、彼女が身内をすべてなくしたその日から、本当の兄のように彼女を守ってきた。彼女を知る誰もが、きっと大規模侵攻で家族を一気になくしたトラウマなのだろうというが、木崎はそれだけではないことを理解していた。名前のこうした行動は、家族を亡くす前からたびたび見られていたので、その日からという例えは正確に言えば正しくはなかったのだ。
 何に対して怯えているのか、やはり検討はつかない。彼女は口を開かない。

「…もう誰もいなくなることはない」

 だが決まって、木崎はこう告げる。いつだったか、気休めにもならないこの言葉を告げた時、彼女の震えは収まっていった。未だって、安堵したように吐く息の音に、木崎の方も息を吐く。そろそろと布団の中から顔を出し、うかがうように木崎を見上げる双眸は、やはりいつもより落ち窪んでいるように思えた。

「レイジにいちゃん、」
「お前には、俺たちがいるだろう」
「――うん」

 そうして、名前は目をつむる。ゆっくりとその頭を腕で包み込むように自分の方へと引き寄せる。鍛え上げた筋肉の温かさに包まれ、名前はやはり安堵したように息を吐くのだ。

小さな自分が大人になるまで

ALICE+