「これ、名字さんの字だろぃ?」―と、隣の丸井くんに言われた。いきなり授業中に話しかけられ、しかもそれがテニス部の人気者の丸井くんであったから、私の心臓はバクバクしていた。それは細切れにされた紙の一部で、確か現文の時間の際、感想を書かされたやつだった。首を少し傾げながら覗き込む。に、と整端な顔を緩めた。…だから、心臓に悪い。とん、と指で指された文字の羅列は、確かに私の文字だった。目を瞬かせる。やっぱり、丸井くんは笑っていた。


「ちげえ?」
「う、ううん。私の、字だけど、」
「やっぱり」


 机に肘をついて、顔を支えながら、こちらを見ていた。窓から差し込む光に、彼の明るい髪色がキラキラと光って綺麗だ。
 先生の声に乗っかって、丸井くんは楽しそうに笑った。


「俺さ、名字さんの字、わかるんだよな」
「は…?」
「どういう意味か、分かる?」


 …残念ながら分かりません。ぽかん、と口を開ける。自分でも間抜け面だと思うくらいだ。
 人気者な丸井くんの隣の席になったのは偶然で、席替え当初はもの凄い羨ましい〜というような視線を浴び続け、最近ようやく慣れてきたくらいだった。今までは特に会話することもなかったし、ただ隣の席の住人、というような印象だったと思う。向こうは。なのに急にこんなこと言われたって目を瞬かせるくらいしか出来ない。丸井くんはいったい私に何を求めているのだろうか。
 先生の声が響いている。あ、ノート取らなきゃ。視線を黒板に戻せば、「…わかんねえの?」、再び意識を丸井くんの方へと引っ張られた。


「なに、が?」
「だから、どーして俺が名字さんの字わかるかってコト」
「わ、分からない、けど…てか丸井くん、授業…」
「…なー。名字さんは彼氏とかいんの?」
「は?な、な…!?」
「あ、しーっ。先生にバレちゃうぜ」


 急にそんなこと言われたら誰だって呆気にとられるだろう。思わず出かかった大きな声を出しそうになると、丸井くんはそのままの態勢のまま、人差し指を口にあてた。そういう些細な仕草でも絵になる、って、すごいな。


「で?いんの?いないの?」
「なん、で…そんなこと、」
「気になるじゃん」
「そうでもないと思う…」
「俺は気になる。で?」
「…いないけど」
「お、マジで?」


 どうしてこんな恥を露呈しなければならないのだろう。しかも授業中に。さっきから先生がチラチラとこっちの様子を窺っているのがわかる。ごめんなさい、先生。


「じゃあさ、俺なんてどう?」


 あくまで、軽い声で。じゃあジュース買ってきて、なんてノリで言われたから、思わず耳を疑った。そして今の話は聞かなかったことにした。「…名字さーん?」未だ丸井くんの丸っこくて大きな瞳は私の方へと向けられていた。そろそろ穴が開く。


「…まだ何かあるの…?」
「や。だってまださっきの返事聞いてないだろぃ」
「返事?」
「だーかーら。 俺じゃダメ?」
「へ?」


 折角、聞こえなかったふりをしたというのに。ドキドキ、という鼓動が、直に伝わる。もう、ノート半分近く取れてない。なんて、余計なことを考えていないと、死んでしまう。ドキドキが半端ない。


「俺の彼女になりません?」


 キーンコーンカーンコーン。
 タイミングよくチャイムが鳴った。丸井くんは相変わらず笑っていた。

 考えといて。
 そう、口はかたどった。


「…あれ名前、どうしたの」


 休み時間になった。寄ってきた友達は、きょとんと首を傾げる。


「え?な、なにが?」
「―顔、真っ赤だけど」


 だとしても、超人気者でクラスの中心人物な人からあんなこと言われれば、誰でもこうなると思います。

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