片膝をついて、彼女の肩に手をおいた。しゃくり上げた震えが直に伝わり、いたたまれない気分になった。
 彼女の中には彼女の両親の形見であるワクチンが残されていた。抽出すれば、おそらく、これから起こる可能性のあるバイオテロが防げるかもしれない。だがそれは彼女に心身ともに負担をかけることにつながる。
 それでなくても、両親の真実を知り、尊敬していた兄の死を見取ってきたまだ13歳の幼い少女には、酷な話だった。

「もし君が―名前が頷いてくれるならの話をしてもいいか」

 涙が溢れる緑色の瞳は、まっすぐ自分だけを見つめて、小さく頷く。口は真一文字に結ばれ、見ていて痛いほど噛み締められていた。その頬に指をよせ、涙を拭えば、ぐすりと鼻を鳴らした。

「俺は…君の兄にはなれないが、変わりにはなれると思うんだ」
「おにい、ちゃん、のかわり、?」
「ああ、そうだ。レックスはこの世で一人しかいなかった。君の愛したレックスは一人しかいない。そして、もう…いない」
「………」
「俺はレックスにはなれない。残念ながら、俺はレオンでしかないから。…だから君の兄自体にはなれない。――けど、変わりにならなれる」
「……かわり」
「レックスのかわりに君を守り、レックスのかわりに君を愛する。そしてレックスのかわりに君の成長を見届ける。これが君に頷いてほしい話だ」

 ぐすぐすと鼻をすすりながらレオンの言葉を復唱する彼女の英語は、いつもよりも拙く感じた。レオンの手が再び肩に戻り、名前は俯く。
 どうしていいかなどわかるはずもない。ずっと傍にいて名前を守り、いつも正しい道を敷いてくれていた兄はもうこの世には存在しない。自分のせいで死んだ兄の最後は、きちんと看取ったから、理解はしている。
 ただ実感がいつまで経っても湧いてこなかった。研究所につれてこられ、検査をされている今でさえも、すべてが夢であったことを望んでしまっている。何本も注射をさされ、血液をとられ、そんな痛みさえ乗り越えれば――きっと夢から覚めれば家で兄が待っているはずだ。今日は何をしたとかどんなことがあったとか、そんな他愛もない話を笑いながら聞いてくれるはずなのだ。でもいつまでたっても、この夢が覚めることなどなかった。兄は死んだ。自分のせいで醜い姿となって、この世から消えたのだ。もう正しい答えを教えてくれる人なんかいない。誰もじぶんを守ってくれない。ひとりでなんか、生きていけない。
 おそるおそる顔をあげ、レオンの顔を見た。真摯な表情でじぶんを見つめる瞳は、兄のそれと同じ色をしていた。青色の瞳。自分の、大好きな色。その色の奥は、兄のような優しさがあふれていた。兄の顔が脳裏をよぎり、胸がいっぱいになり、声は震えた。

「…おにいさんがわたしの傍にいてくれるの?」
「ああ。傍にいる」
「おにいさんが、私を守ってくれるの?」
「もちろんだ。どんなものからも君を守ると約束するよ」
「おにいさんが私を――愛してくれるの?」

 問いかければ、レオンは優しく微笑んだ。それが質問に対する肯定だと分かってしまった途端に、溢れるのをやめた涙が、再び堰を切って流れ出す。
 声をあげて啼いた小さな少女の体をそっと抱きしめた。細い体を折ってしまわぬように、まるで溶けて消えてしまう雪に触れるかのように優しく包み込めば、少女の手が彼の服袖を掴む。

「おにいさん、ずっと、傍にいて。私を一人にしないで…」
「中々に最高の口説き文句だな。俺がこんな可愛いレディを放っておく野暮な男に見えるのか?」
「うっ、ふふ、えへへ」

 冗談を混じりに返せば、名前は泣きながら笑った。まだ幼い、愛らしい少女の表情に、自然と頬は緩む。

「二人で乗り越えていこう。一つ一つ」

 柔らかな頭に手を置いて、ゆっくりと撫でてあげれば、名前はやがて小さく頷いた。明けない夜がないように止まない雨もない。悲しみが癒えることは永遠にないだろうが、それでも前に向かって歩き続けることはできるのだから。


2014/05/13

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