「苗!」


随分と慌てたような声で名前を呼ばれて振り返ると、寒い日に見るとさらに寒気を誘うような白銀の髪をさらりと揺らしたユキが、眉間に皴を寄せて立っていた。その様相はだいぶ慌ただしく、少しだけ驚いた。肩で息をしながら鋭い眼光を余計に尖らせたユキに、へらりと笑ってどうしたのと問いかければ、彼は怒ったような表情をして私に近づいてきた。ぐいっと腕を引かれて、無抵抗のまま彼の方に傾く。温かいはずのユキの手はどこかひんやりしていて気持ちがいい、とぼんやり考えていると、これまたカッカしたユキが「このバカ!」とデコピンしやがった。いたい。


「朝から変だと思ったらやっぱ熱あんじゃねーか!」


怒鳴るように声を上げるユキに、キーンと耳鳴りするように頭が痛くなる。自覚は薄かったが、そういえば朝からなんとなく身体が怠いような気がしていたし、なんとなく東堂くんの相手がめんどくさい気がしていたんだ。あ、東堂くんの相手がめんどくさかったのはいつものことか。訂正訂正。
それが熱のせいだとは思わなかったしそこまで辛くなかったから気づかなかったんだな。と考えるとユキは私ですら分からなかった私のことに気づいたのか、しかも私がユキにあったのって登校したときだけだったからその時に気づいたのか、すげーなコイツ。


「とりあえず保健室行くぞ!」
「でも私ゴミ捨ての途中で」
「端っこ寄せとけ、俺が後で捨てとくから」
「え、でも」
「いいから!」


素早い動きで私の手からゴミ袋を取り上げ、人の邪魔にならないように校舎側に寄せると、そのまま手を取られてユキは歩き出す。歩くというより早歩き。はやい! ユキのペース早すぎて、ふーふーと肩で息をしながらついていくのがやっとだ。部活を引退してから運動不足が否めない。
引っ張れて保健室につれていかれると先生はちょうど席をはずしているらしかった。


「先生―いないのか。…しょうがねえな。苗、ここ座れ」
「お、おう…」
「体温計は―ほら、これ」
「勝手に使っていいのかな…」
「先生いないしいいだろ」


差し出された体温計を脇に挟もうとボタンを外してシャツを掴むと、バッとユキは私に背中を向けた。その素早い行動に首を傾げつつ、体温を図り終えるのを待つ。一分後、ピピピ、という電子音が聞こえ再び脇から抜き取り、温度を確認する。その間中、ずっとユキは背中を向けていた。


「うわ」
「あ?」
「おおおお」
「何度だったんだよ」
「38度7分」
「はあ!?おま、なんでそんな元気なんだよ!?」
「通り越してハイになってるかも」


自分の体温を自覚した途端、急にだるさに襲われ、椅子に座る姿勢もだらんとなる。呆れたようなユキの目線にちょっと委縮しながらも、やはり途端に寒気に襲われ、腕を抱きかかえる。


「寒いか?」
「あー、なんか熱あるってわかった瞬間急に」
「いつもそれじゃねえか」
「溜息つかないでよ〜」


ユキは立っているから見上げると、一拍置いてユキの大きな手が私の目を覆い隠す。「ユキ?」問いかける。行動の意味が分からない。するとやはり一拍置いて、ユキは少し早口に、「先生呼んでくるからベッドで寝てろ!」と言って保健室から出て行った。
バッと手が目元から離れて、走り去る背中を見つめる。ちらりと見えた耳が少し赤い気がしたけれど、ユキ、何に照れてたんだろう。体温計挟むときに見えちゃったのかな、いやでもユキ後ろ向いてたけどな…。悶々と考えながら、でもユキの言う通りにしておかないと戻ってきたあとが怖いなからいそいそとベッドに向かう。ほんとなんで私こんなに元気んんだろう。8度あるのに。8度も後半なのに。


「先生少ししたら来るからそのまま寝とけって」


ベッドに入って、布団に潜り込んだとき、ユキがそう言いながら戻ってきた。綺麗な銀の髪が揺れ、「大丈夫か?」と大きな手が額に乗った。


「あち…」
「…でもユキの手きもちいいなぁ」
「だから!」
「え?」
「…なんでもねえよ」


何かを言いたそうに口を開いて、それから目を見開いて、閉ざす。気まずそうに顔を反らし、それから手が離れていく。
ひんやりとした手が離れていく寂しさに思わずその手を取り、再び額にもどした。


「あー…ユキの手は…このまま…ここ…」
「たく、俺の手は冷えピタか!熱の時につけて冷たくて気持ちいい冷えピタか!本物持ってきてやるから寝てろ!」


離れていく手が名残惜しい。ちぇーと息を吐いて布団の中にもぐりこむ。途端に全身に押し寄せる疲労感と睡魔に襲われる。

いつだってユキは真っ先に気づいてくれた。いつだってユキは手をとって先を歩いてくれた。私の方がお姉さんなのに、いつだってその立場は逆で。しっかりしなきゃと思いながら、甘やかしてくれるその存在に寄りかかって、いつだって。きっと私はユキがいなきゃ生きていけないんだろうなぁ。





「苗、冷えピタ――…寝たか。……手」


先生から使ってもいいからとさっき許可をもらったので、冷えピタを取り出し、苗の額にはってやる。それから、ふ、と苗の方へ視線を戻せば、熱くなってきってきたのか布団から手をだし、どこか宙を彷徨う手を掴んだ。すれば、ぎゅ、と控えめに握り返される。
いつも無意識に、無防備に。心をかき乱していく。顔に熱がのぼっていくのが分かって、ベッド横に置かれた椅子にどかりと座り込んだ。心臓が音を立て、俺を急き立てる。―乙女か。逐一行動にときめく少女漫画のヒロインか。
一年の差は大きくて、どれだけ傍にいようとしても、隣にいられる時間は短くて、苗の傍には俺じゃない誰かがいる。いつまでも傍にはいられない。苗の手を引っ張るのは俺じゃない。昔とは違うのに。当たり前のことなのに。



「ん――ゆき、なり…」
「……っ」

いつまでこうして傍にいられるのかと。引っ張っていけるのかと。
寝言のように俺の名前を呼ぶ苗を見て、何故か泣きたくなった。


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