空が青みがかった黒色をしている。
高い建物が無く、遮るものがないからか、地面と空は有限に続いているように見える。
草原に寝転んで、星を見ようとしてもあいにく視力が悪い上に新月なもんだから、空が塗り壁のように見える。
この空はどこまで続いているんだろうか。

今日、立海は、負けた。

あの時のシーンを思い出すだけで、視界がさらにボヤボヤしてしまう。

「ねぇ、仁王さんよ、空が綺麗だね。」
「そうじゃのう。」
「空気が冷たいね。」
「今日の試合の後やけぇ、ちょうどいいぜよ。」

まぁ、確かに。
体温が興奮やら悲しみで上がりっぱなしだったから、物思いにふけるには丁度いいかな。
そういえば、空気は異様に冷たいのに風は吹いていない。無機質な感覚が私を襲う。
土の匂いもしない、むしろ薬品の匂い。エタノールと塩素の混じった嫌な臭い。

「みんな楽しそうだったね。」
「そうかのう。」
「うん、テニスを存分に楽しんでた。」
「名前は...。」


とここまで言って、仁王は黙ってしまった。と、いうより私の思考が停止したように無音が続く。
仁王は言葉を発したのか、発してないのか、分からない。
背中から草原とは思えないふんわりした感触が伝わってくる。そして真っ暗な中、深く深く落ちていく感覚。どこまでも落っこちていって、地面と一体になってしまうような。

突然右手を握られた。まるで落ちているところを助けられたような感覚。
仁王がここにいる。私も、ここにいる。

「名前は、ここにいるけぇの。」

何を当たり前のことを言ってるの。
そう言いたいのに、声が出ない。仁王の顔が見れない。どんな表情をしているの?教えて。

恐怖に駆られて、仁王の手を強く握る。
ゴツゴツしたしっかりとした手が、私をひどく安心させる。
私の指と指と間に仁王の指が絡められていて、そこから体温が伝わってきて手が熱を持つ。仁王の手はこんなにも暖かかったのか。
そしてそれを確かめるようにゆっくりと力を弱めて、握り直す。

「名前。」

この身体全体を包む暖かさはなんだろう。
仁王の手を握る右手とは裏腹に、人間の体温には程遠い心許ない暖かさ。
上がることもなく、下がることもない一定の体温。

「どこにも行かんでくれ。」

行かない、いかないよ。
私はずっと皆と、仁王と、一緒にいるよ。

また落ちる感覚。
でも手を繋いでいるから、恐怖を感じない。仁王と一緒なら、どこまでも。

視界が真っ暗な中、私の思考でさっきの草原のシーンを思い浮かべて今に当てはめる。
色は、ない。あの空間は空想だったのか、現実だったのか。

「ずっと、一緒やき。」

仁王がそんなこと言ってくれるなんて、嬉しいな。

「この先、目を覚まさないとしても。」

ああ、そっか、ここは。


――――――――――――――-


「名前は、楽しかったんか。」

左隣にいる名前に問いかけてみる。
名前は自分の負の感情を言葉にしない。
たとえ楽しくなくっても、取り繕って楽しかったというだろうと思っていた。

「楽しくなかったよ。」

名前は、迷いなく言った。いつもの、のんびりとして緩く抑揚のかかった声とは程遠い、感情のこもっていない端的な言葉。
体育座りをして出来た三角の間で手を組み、膝小僧の上で寂しそうに笑う名前の顔は、貼り付いていない本物。
細いセミロングの黒髪が冷たい風に乗って、サラサラと流れる。
柔らかいキンモクセイの匂いが右からする。もうそんな時期か。
辺りを見れば、造花のような花が地面にポロポロと落ちていて、少し萎れた花がオレンジ色の絨毯を作っていた。草原の黄色みの強い緑にオレンジが映える。

「……そうか、悪かったのう。」
「いいんだ。みんなが楽しければ、それでいい気がする。」
「気がするって、自信ないんか。」
「もちろんないよ。断言できないなあ。ごめんね、薄情だね。」
「いいんじゃ、そのぐらい言ったって構わん。」

名前はうーんと唸る。膝小僧へさらに顎を押し付けていく。
それが返事なのか、違うのか。

「だいたいお前さんは無理しすぎなんじゃ。」
「無理しないと、自己肯定できないんだよね。私はここにいるんだって自覚できないの。」
「ほーう。」
「なんでなんだろうね。」
「……お前さんは、ここにいるぜよ。」
「……うん。」
「お前さんがそれで自己肯定出来るなら、それでいいんじゃ。自分が自分を認めることも大事なり。ただな、忘れなさんな。お前さんのことを見ている奴はいっぱいおる。周りも見んしゃい。寂しい気持ちにさせてしまうぜよ。」
「……仁王も見てくれているの。」
「もちろんな、名前のことだからのう。だから、名前も俺を見てほしいなり。というか見んしゃい。」
「……どすとれーと。」
「おん、名前はそんな英語下手だったかのー。」

へへへと笑う名前は、言われた通りにこちらを見る。黒い瞳を持つ目は細くなっている。まあそういう見るではないが、この際どうでもいい。
名前の左頬を触る。少し前よりもコケた頬、それでも柔らかな肌触りが気持ちいい。
撫でられて気持ちいいのか、俺の左手に擦り寄りヘニャヘニャと笑う。ついでに俺も。

「仁王の手は安心するね。」

そういうと名前は両手で優しく、名前の頬を撫でる俺の手を包む。白くて熱を持った手が俺に温度を伝えてくる。

「そうか、嬉しい限りじゃ。」
「もっといえば、存在自体が安心するよ。」
「それはちと言い過ぎじゃなか。」
「そんなことないよ。私にはないものを仁王が補ってくれてる感じがして、すごく安定する。」
「ほー、なら俺はお前さんを離すことができんのう。」

両手で顔を包みこめば少しくすぐったいのか、ふふふと小さく笑う。
ほとんど俺の手で包みこめてしまう名前の顔は、間からだらしなくにこにこと笑っている。

「やだー、プロポーズみたい。」
「お前さんの言葉もなかなかむず痒いぜよ。」

こんな日常が、緩く続いていけばいい。

両手を名前の頬から離して、そのまま寝っ転がる。
秋の空はいつもに増して遠い。空に手を伸ばしてみると、自分がいかにちっぽけなのかを感じる。何も掴めない。もしかしたら、俺は隣にいる女の子すら掴めていないのかもしれない。名前がここにいるのかを確かめたくて、名前の髪を後ろから触る。

「名前、ずっと一緒やき。」

不安になって咄嗟に出た言葉。らしくない。


2019.05.16/2019.05.20
テーマ "褐色"
「かちいろ」と読みます。私も最近知りました。日本のお色です。
仁王視点は特にテーマなく書いてます。
最近ほのぼのかけてないから書きたい!!
日常的なお話を書きたい!!