酷い暑さだった。8月もお盆を過ぎたというのにまだ暑さは健在だ。近年稀に見る猛暑である。14時というこれまた暑い時間帯に外に出ているのは間違っている、と今更ながら後悔してしまうが、自分の都合でこの時間に約束をしたのだからもうどうしようもない。

ああ、そういえば、メディアは酷暑だなんだと騒ぎ立てていたなぁ。言葉を変えて、現実が変わるなら幾らでもこねくりまわしもするけれど、そんな怪奇現象を人間が起こせる訳もなく。いや、個性が当たり前の超人社会ならもしかすればそんな個性も有り得るのかもしれない。


公園の木々が、生温い風でゆらゆらと揺れる。
きらきらと日光が反射する。
青空が恨めしいほどに眩しい。

前に、この暑さは地球から人間を絶滅させようとする一種のメッセージじゃないか、と何処かのラジオで言っていた。確かに地球にとっては害でしかない人間ではあるが、本当のところは誰も知るよしもないのだろうなぁと思う。
座っているだけで汗が滲んでくる暑さのせいで、よくわからない思考回路に陥っていたそのとき、ごつんと頭に何かが落下した。

「い、っ」

当たりどころが悪く、痛さに呻く私を尻目に、申し訳なさそうに彼は笑った。

「悪い。絵心。缶ジュース冷たかったから、つい…」

絶対に許してやるものか、と思いはすれど、彼の好意でもあったのでどうにか押し止めた。

「言い訳はいいです。…飲み物ありがとうございます」

ばっさりと言い切りつつも、差し出されていた缶ジュースを受け取って礼を述べた。結露した滴が指先に伝わって地面に落ちた。冷たい、と感じる。

「うん、ごめん。どういたしまして」

通形くんは、にこりと笑った。汗だくになっている彼のその顔は、驚くほど爽やかだった。
自分にはおおよそ出せないような、そんな。
それを人柄だと、人は言うのだろうけど。

「で、今日私を呼んだ理由はなんですか?」

プルタブに指を掛けて開ければ、カシュ、と小気味良い音が聞こえる。ごくり、と一口目を喉奥へと流し込めば、体の熱が少し奪われるのを感じた。
通形くんも、同じように開ける。通形くんの手では缶ジュースも小さく見えた。

「…んー、秋を探そうかと思って」

「秋?」

ぽかん、と口を開けた。
通形くんはそれ以上説明する気はないようだった。

この人は、誰かに聞いたのだろうか。

「…いいですよ」

缶を傾け、全て飲み干す。目の端にまだ理解していない顔をした相手を捉えつつ、立ち上がって屑かごに缶を入れに行く。
私が了承しなければ他のプランもあったのかもしれない。それはそれで惜しいことをしてしまったかもしれない。
ぐっと背伸びをしてから、「先ずはショッピングですね」と続ける。「え、ショッピング?」と、思わぬ言葉だったのか反芻した相手の手首を掴み、「着いてきて下さい」と急かす。

通形くんの吃驚した顔は、面白くて好きだ。あの普段の自信ありげな顔よりかはずっと。私の小さな自尊心を満たしてくれるからだろうか。



*


多くの店が一つの店舗に入っているモールへ着くと、握っていた手を離す。自動ドアが2つ開けば、夏の暑さなど気にならないほど冷房がよく効いていた。

そういえば、一年生の林間学校の前。買い物に来ていた一年生が敵と遭遇したと言っていた。もしかしたら、出会うかもしれない。通形くんを横目に見れば少し険しそうな顔をしていた。

「敵連合に遭遇しても、ルミリオンさんと私が居ればどうにかなりますよ」
いえ、どうにかしましょう。必ず。
「…うん。頼りにしてるよ。絵心」

端から見れば薄ら寒い会話かもしれないが、ヒーローの卵としては持っておくべき意識でもある。雄英高校NO.1の実力者の彼なら尚更のことだ。そして、ヒーローを目指す私にとっても。まあ、個性を発動しての活動は、校外活動中に限られるのだけれど。


通形くんに説明しないまま、ふらふらと歩きつつ、目に止まった女性向けの服屋に足を踏み入れる。

「え、そこに入るの、絵心?」
「そうですよ」

女物のために通形くんは入り辛そうにしていたが、それはそれ。これはこれだ。言い出しっぺなのだからこれくらい付き合ってもらわなければ。

「服が一番早く先取りしてるんじゃないですかね。ほら、色味がもう秋でしょう?」

と声を掛ければ、通形くんは感心したように近付いてくる。その警戒の解き方は少し心配になるが、この際気にしないでおこう。
袖の長さだけではなく、色味、質感、材質、柄等にも特徴があるのだと説明すれば、なるほどと感心したように言った。

「今年の流行りに乗りたいなら、店が推してるものを買ったらいいだけですけどね」

今年は何だろう。
80年代に流行したものがまた台頭してきたか。パリのベイクドカラー、フラワー柄、ベロア、ファー。ウエストでメリハリをつけるタイプだろうか。
気になったデザインのワンピースを手に取り身体に当てる。身長がいまいち足りないなぁと思いながらも、後ろを振り返る。

「似合いますか?」

そう尋ねた。似合わなくても良かったし、率直な感想でよかった。単にコミュニケーションをとろうとしただけだった。
しかし、目があった彼に、即座に目線を反らされる。
そんなに目を背けられるほど似合わなかったのかと一瞬思ったが、か細く「…似合うよ」と漏らした彼の耳の赤みに、思わず全身の汗腺が緩むのを感じた。

「…っ!」

慌てて服をもとあった場所に戻す。ガチャン、と大きな音が出ていた気がするが気にしている余裕はなかった。

「じゃ、じゃあ別のところに行きましょう」

そそくさ、と店を後にする。
それはもう素早く。
━━通形くんを置いてきぼりにして。

それに気付かないまま私は歩き続ける。途中柱に据え付けられた鏡に映った自分の顔を見たが、なんとまあ酷いこと。驚きである。こんな顔一度も見たことがない。

そうだ、ジュースを買おう。冷やせばきっとなんとかなる。来るときは奢ってくれたことだし、お返しをしなければ。




自販機の前まで来るときには、心音は些か落ち着いていた。350mlのペットボトルに入ったお茶を2本買う。一つは自分の頬に当てる。これで赤みが引けばいいのだけれど。

きょろ、と辺りを見回す。随分遠くまで来てしまった。一旦戻るべきか、ここに居るべきか。はたまた、迷子センターに駆け込むべきか。
思案しつつ、自己嫌悪に陥る。
照れたからと言って、逃げるのは良くなかった。
反省するしかない。
本当にこんなところはポンコツなのだから。
通形くんに申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

ああ、と項垂れながら自責の念に苛まれていたところで、背後から「絵心!」と呼ぶ声が聞こえた。その声の主に体を向け、頭を全力で下げる。

「通形くん、ごめんなさい!」
「…良かった。…此処に着いたとき、敵の話もしてたから…」

心配したと語るその目の優しさと、発された言葉の重みに、ぐっと持っていたペットボトルを握りしめた。

「ごめんなさい、軽率でした」

もう一度、謝罪をする。
敵も頻繁に出没していることを踏まえて、行動しなければいけない身にも関わらず取り乱して。通形くんに心配も掛けてしまった。

「あ、いや!大丈夫。ほら、絵心とも会えたわけだし。そうだ、次はどこへ行く?」

そう言って通形くんは私に手を差し伸べた。通形くんの相手を思いやれる言動に、唇を一度噛み締める。
彼のように気持ちの切り替えが上手くなりたい、と願いながら、彼の手の中に、ペットボトルを納めるようにして置いた。きょとんとした彼を置いて、出口に向かって歩き出す。 外を指し示しながら、笑顔をつくる。

「次はあそこに行きましょう」





*


近頃は生ゴミを食い漁るというか人間界に入り浸っている感も否めない烏が、かあかあと鳴いた。日は段々と沈み、茜色と暗闇の境目が綺麗に見える。

「もう、こんな時間だね」
「色々探せました。有難うございます、通形くん」

焼き芋を頬張る。ほくほくとした感触。コンビニも先取りしてるなぁ、とぼんやりと思いながらもう一口食べる。食べ歩きはしない派だが、今日は特別だ。

「あのさ…絵心」

通形君も同じように食べる。大きな口だ。
言い掛けて、沈黙。彼の沈黙は珍しい。いつも、何かしらの話題提供をしてくれることが多いのに。
少し待つも、彼の言葉は続かなかった。
その代わりに私が口を開く。

「…通形くんのおかげで今度の絵画の参考になるものありましたよ。今日は誘って下さって、有難うございました」
「え、」

皮を剥き、袋のなかに入れる。綺麗に剥けると嬉しい。もう一口、ぱくり。
今日は、本当にイメージの膨らむ良い機会になった。薩摩芋をテーマにするのもアリだ。


「いつ、私が悩んでるって気付いたのか、なんて尋ねるのも無粋でしょうね。君は、人を良く見ているから」


すごいと思ってるんですよ。これでも、と付け加えておく。私からの手放しの賛辞など正直有り得ないのだが、今日は特別だ。色々と。
この一ヶ月、10月に出品予定の絵画の構図やモチーフ、材料や、材質に至るまで何一つ納得がいかなかった。質も大切だが、納得が出来るものが出来上がることをを信じて、ひたすら手当たり次第、思い付くままに製作した。しかし、どれひとついまいちな出来だったのだ。
もう三年生で、高校生として出品できる作品はそう多くない。卒業製作にも取りかからなけばいけない。もちろんそれ以外の案件もある。
この外出は、そんな渦中にいる私にとって、貴重な機会だった。

薩摩芋から目を離し、いつまでたっても返事がない通形くんの顔を見る。


「…絵心…恥ずかしいな…バレてないと思ってたのに…」


顔を赤く染めながら、観念したように通形くんは溜め息を吐いた。
正解を言い当てることができたので、自然と笑みが漏れる。


「まあ絵心ちゃんに掛かれば、どんな謎もちょちょいのちょいですよ。優しい通形くんだから分かった、というところでもありますけど」


なんて軽口を叩いてから、最後のひとくちを頬張る。胃は満腹を訴えていた。帰ってからのことを考えると、今日は夕飯を作らなくてもいいか、と思う。

「あ、じゃあ、此処で。態々此処までありが…」

「絵心」

「はい?どうしました通形君」


通形くんに呼び止められ、帰り道に歩きかけていた足を制止する。
ひゅう、と風が吹いた。冷ややかな風。もう、秋風だ。




「勿論、絵心が切羽詰まってたから誘った、っていう理由もあるんだけど。……絵心と一緒にいたかっただけ、って言ったら怒る?」




尻窄みの声で、彼は言った。
暗くなったと言えど、彼の顔は赤く染まっているように見える。

ああ、どうしようもない。あのとき落ち着いたと思っていたのに。怒ればこの状態を回避できるとでもいうのだろうか。



「……怒り、はし……ませ……んけど、」


絞り出した答えに、彼の雰囲気が和らぐ。


「……よかった。うん、よかった。じゃあ、またね。絵心」


通形くんは、そう言って小走りで去っていった。
送り届けてくれた感謝よりも、今は取り残された気分が勝るのを感じる。

ああ、次はどんな顔して会えばいいんだろう。
今日の自分は変だった。浮かれていた。

火照った頬を、秋風が冷やしてくれるまで、家の前で蹲っていた。