春告げるかねと嵐

 覚束無い足取りの老婆に案内され、連れてこられたのは先程までいた場所からそう遠くない一軒の家だった。灰色の混凝土コンクリートを重ねただけの箱、これを家と呼んで良いものか。ただ他と違うのは、その家には鍵穴の付いたドアが人の侵入を拒んでいる事だ。

「あ、あたしは何も知らない、知らないんだ……」
「知らないというのは時に悪い事よ。さぁ行って、御婆様。悪い事をしたのだから逃げなくちゃ」
「お嬢ちゃん、は」
「お前は青い髪の女を此処へ連れてくるを果たした。私はお前に着いてきた。それだけの話でしょ」

 既に深透の視界に老婆は映っていない。
少女の髪で作られた細い細い紐を握り、老婆はゆっくりと後退って、そしてまた骨と皮だけの脚で来た道を戻っていく。
ずりずりと引き摺るような足音が聞こえなくなり、代わりに扉の向こうで微かに聞こえていた物音が大きくなった。深透は素早く視線を動かす。近くにある物は混凝土、何処かに繋がる太い鉄パイプ、それから建物の隅に溜められた吸殻と塵芥。

 杖を握る手に自然と力がこもる。臭気に混じって、仄かに潮の香りが風と共に深透の頬を撫ぜた。懐古を覚えるその香りに、少女は髪を不自然に揺蕩わせた。
心の臓がとくとくと早鐘を打ち、血が、異能が體内たいないを巡ってゆく。

「分からないものね」
「どうした、嬢ちゃん。迷子か」

 扉が僅かに開き、向こうに居た者が来訪者を伺う。そこに居たのが青い髪の少女だと分かり、扉はゆっくりと開かれた。顔を出したのは無骨な男で、彼は小綺麗なセーラー服に身を包んだ深透を訝しげに見ながら、腰にあるをガシャリと鳴らした。

「いいえ。老婆からね、此処に行くようにって」
「……それで?」
「此処に私が探してるものがあるんですって」
「ほぉん。何を探してんだ」
「愛を」
「そりゃまた大変だな」

 部屋の奥から嘲笑う声が聞こえた。しかし、深透は動じず至って真剣な眼差しで目の前の男をじぃっと見ている。男は品定めするように少女の髪から服と手に持った高価そうな杖、頭の先から足先までを見た後、「入れ」と家の中へと促す。
 その時だった。

「其奴ら人攫いだぜ。分かってんのか」

 その声は頭上から降ってきた。
唐突な第三者の登場に、男の意識が一瞬そちらへ向かう。その隙、ほんの一間。深透は反射的に扉を蹴り飛ばし、男が腰に付けたそれに手を掛ける前に彼女の持つ杖先がずぶりと男の鳩尾へ的確に刺さった。

「ア?何してんだ手前」
「あーあ、せっかく作戦立ててみたのに」

 深透の杖先に押され、背中から倒れた男の後方から銃口が覗く。ちらりと見えた室内は薄暗く、充満していた埃臭さが甘い煙と共に開け放たれた扉から漏れた。
 二発の銃声、それと同時に何者かが深透の腰を前から手早く掴み、横へと身体を引く。弾道から外れた二人の背が混凝土の壁にドンッとぶつかり、互いを視認する暇もないまま、殆ど同時に身を屈めた。

「ッげほ、痛ったぁ……」
「阿呆か?」

 その銃声を皮切りに、更に数発、数十発が二人の近くに撃ち込まれていく。杜撰で脆い混凝土が壁では心もとない。だが銃弾は辺りを掠めていくだけだ。
 深透は視線だけを真横にやり、直ぐに前へと戻す。
隣に居るのは鋭い眼光に似合わない幼さを残した少年だった。自身の腰を掴んでいる手は未だ離れて居ないことに気が付いて眉間に皺が寄る。杖を構え直すのに少し身動けば、何を思ったのか少年の空いた方の手が深透の肩を抑えた。

「女の子は優しく扱うように云われてないの?」
「誰にだよ」
「紳士のマナーでしょ」
「俺が紳士に見えンのか」
「男の子なら紳士でありなさいよ」

 話している間にも放たれる銃弾の数は増えていく。
やがて銃声も収まる頃には、不揃いな混凝土の地面に焦げた臭いと共にたくさんの穴ぼこが出来ていた。先程まで微かにあった人の気配は無く、代わりに背にしている家の中からは異国語と母国語の怒号が交互に飛び交うのが聞こえる。

「三つ数えたら突入する」
「手前が仕切んな」
「私は正面、お前は上」
「……いや俺が正面だ」
「よろしい。ひぃ、ふぅ、み!」

 その号令で少年は素早く身を翻し、少女は悠々と三メートル程飛び上がる。凄まじい衝撃と共に辛うじて扉が付いていた玄関、それから薄い瓦が敷かれた天井が轟音を上げて吹き飛んだ。

「ックソが!!」
「男の方を狙え!!」

 少年に向けられた銃口が火を吹き、少女に向けられた拳が振り下ろされる。そう広くは無い室内に瓦礫が飛び散り、砂や灰が混じった埃が舞い上がる。
 深透は眼前に迫った拳を杖でいなし、そのまま男の腕の下に滑らせて空いたその脇腹へと杖先を突き刺す。ずぶん、と服と一緒に杖先が皮膚の内側へとのめり込み、生暖かい体液が吹き出すのを深透は

「おいで」

 言葉に合わせて指を鳴らせば、男のものだった体液はと形を変える。時折泡を弾けさせながら、触手を模したソレは後方でただ呆けるだけの男の両眼を無情にも穿った。


「随分趣味の悪ィ異能だな」

 いつの間にか銃撃は止んでいた。振り返れば少年の足元には役目を終えた薬莢と、それから男が二人転がっている。
 コツンと頭に何かが落ちてきて、見ればそれは混凝土の破片だった。顔を上げれば自身が空けた天井から陽が射していた。その眩しさに目を細めながらも、緩慢な指先で揺れる髪を耳に掛ける。

「そうね」

 するつもりの無かった肯定の言葉に頬が緩み、杖を持っていない方の手で口元を隠すように覆う。くつくつと振るえる喉を抑えながら少年の言葉を待つが、一向に何も言う気配が無い。不思議に思い、深透は首を傾げながら彼を伺った。

「どうしたの」
「……何者だ、手前」
「深透」
「そうじゃねェ」

 もう部屋とは呼べない室内の、半分ほど残った影の中。薄暗くとも鮮明に分かってしまう。少年の眼は爛々と輝いて深透を見ていた。
一歩、そして一歩。先程とは比べ物にならない程の威圧を含み、彼はゆっくりと目の前に得体の知れない少女へと近付く。彼にも場に似合わない麗らかな陽が当たり、初めて、互いの視線が合う。

「わぁ」
「ンだよ」

 少年の甘橙々オレンジの髪が陽の光を反射して煌めいている。思わず感嘆の声が零しながら、両手で杖を抱いた深透は食い入るように彼を見た。
まるで宝石を見付けた少女のように、砂糖菓子を貰った少女のように無邪気に笑った。

「お前、綺麗ね。きらきらしてる」
「はァ?頭イカれてんのか」
「褒めてるのに」
「……もういい、気ィ抜けた」
「変なの」

 呆れたように少年は、中也は肩を竦めてから自身よりも少し高い位置にある深透の手を取った。
不意に握られた手、それから中也を見て深透はぱちぱちと目を瞬かせる。

 その眼には中也しか映っていない、そう錯覚するほどだ。たった今起きた事を忘れたのだろうか。少しでも目を逸らしたら負けたような気がして、彼女の双眸を見詰め返す。
 薄い灰が掛かった紫色、中也はその色を形容するものを知らない。だが、彼女の言った「綺麗」という言葉が似合うような気がして。一瞬湧き上がったその言葉を掻き消すように、中也は自身の名と共に吐き出した。

「中原だ」
「お名前?」
「あぁ」
「中原。覚えた」
「そりゃあ良かったな」

 繋いだ彼女の手は冷たい。血潮の温もりを探してぎゅうと握ってみる。親指の腹で手首の脈がとくとくと動いているのを確認する。

「……何してんの?」
「冷てーから。死人みてぇ」
「女の子は皆末端冷え性なのよ」
「それが嘘だって事くれェ分かるわボケ」
「ふふ、異能力者だからだよ」
「ふぅん。そういうモンか」
「嘘だけど」
「クソが」

 額に青筋を浮かべ暴言を吐く中也に、深透は楽しそうにけたけたと笑った。肩を揺らす彼女の振動が繋いだ手を伝う。あまりにも馬鹿らしいやり取りに毒気を抜かれ、先程まで感じていた彼女への疑心が萎んでいく。
 目の前にいるのはただの少女だった。
得体は知れずとも綺麗に笑う、何処か浮世を離れたひとりの少女だった。