献身、後日談
点滴スタンドをカラカラ引いて、時折すれ違う黒服の会釈に笑みを返しながら、深透は本部内の駄々広い廊下をゆっくりと歩いていた。目的である自身の執務室はビルの真ン中より少し上にあり、何にせよ地上からは遠かった。
「よォ、もう動いて良いのか?」
不意に後ろから声が掛けられ、ひょこりと横から中也が顔を出した。珍しくぽやぽやしていた深透は急な彼の登場に驚き、その薄灰紫の眼を不思議そうに瞬かせた。
「ぼーっとしてるとコけるぞ」
「んー……
転けないわよ」
「
如何した?」
「浴室から出てきたばかりなの。さっき」
「あぁ、だからそんなぼけーっとしてンのか」
「してないわよ」
「してるしてる」
ケタケタ笑い、中也は点滴スタンドを持っていない深透の左腕を取って軽く自身の腕を絡ませる。
「手前の執務室行くんだろ」
「中也は……あぁ、報告書の回収ね」
「ついでにサボりに来た」
「あら、私にそんな嘘が通じるとでも?」
「……チッ、包帯野郎から“無茶した”って聞いたンだよ。体調は
如何なんだ、異能の反動は、報告してねェ怪我は」
「多い、多いわよ」
じとりと上目遣いに睨みながら矢継ぎ早に詰め寄って来る中也に、深透は煩わしそうに顔を顰めた。
「此の点滴が終わればお終い。万全よ」
「……ふーん?」
「そう疑うのは
止して頂戴。そも、お前の方が重体だったでしょうに」
「そうか?」
「そうよ」
深透はそうツンと言い放ち、そっぽを向いてしまう。実際、“汚濁”状態の中也から太宰が離れた事に対して非常に焦っていたのだ。で無ければ本来の異能と違う、一歩間違えれば自滅しかねないような遣い方はしないだろう。
空気中の僅かな水分を頼りに反響定位で状況を掌握する所までは良い。しかし陸上の空間を、いくら擬似的で深透が通った道のみとは云え水中に近い状態にするのは至難。あの土壇場での発動は正直気合いと火事場の馬鹿力とも云える。
それでも可能にしたのは間違いなく深透が持つ元来の素質であり、繊細で洗練された操作力があってこその所業であった。
中也と太宰の為だから無茶をした、等と口が裂けても白状はしないが。
「報告書を回収したらさっさと自室に行きなさいよ。休める内に休むのも仕事だわ」
「手前が其れを云うか?」
「お互い様でしょ。それに私は次の仕事が入ってる、暇じゃあないのよ」
「明日直ぐ、とかじゃねェだろ。少し付き合えよ」
「
厭ァよ……あっ」
「莫ッッ迦手前!!何処が万全なんだよ!!」
「うぁあ」
何の前兆も無く、深透の鼻からぽたぽたと血が流れ落ちた。何処か痛い、怪我をした等では無いので単純に体内で循環させている異能の巡りが悪く、偶々鼻腔内が切れただけなのだろう。
情けない声と共に流れ落ちる血。廊下を汚してしまったなぁと呑気に考える深透の傍ら、中也はポケットから素早く白いハンカチを取り出して深透の鼻に押し当てた。
「んが」
「色気のねェ声だなぁ」
「
ほれはろーも」
「ったく、変な異能の遣い方すんなよ」
「
はれにひいはの」
「クソ太宰」
苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨て、中也は深透の腕に絡ませていた腕に力を込めた。
がっちりと拘束され、暗に「休め」と云われているような気がする。それが心配と、無事であった事への安堵から来るものである事に気付いた。気付いてしまった。
跳ねる心の臓の音が聞こえないように態と大きくずずっと鼻を啜り、仕方無く、深透は中也の強引な誘いに乗る為に絡んだ腕に身体を預けた。