ハッピーバースデー・マイボーイ


 ヨコハマ某所。大通りから少し外れた雑居ビルの一室で、青年は優雅に紅茶を嗜んでいた。
 窓はきっちりとブラインドが下げられており、室内は寂しくて薄暗い。ブラインドの隙間から僅かに溢れる陽の光と天井に吊るされた裸電球だけが明かりの頼りだ。

「……」
「どうした?」
「いいえ、別に」
「当ててあげようか」
「結構よ」
「何故悠長にしているのか、気になるのかな」

 その言葉に深透は口の端をきゅっと吊り上げて笑う。まばたきもせず、目の前に座るピアノマンを見ているだけだ。
 大抵の人ならばその無言の圧に耐えきれず、その視線から逃げようとするのだが彼は違った。ただ淡々と、紅茶椀ティーカップから香るベルガモットを楽しんでいる。

「急かしたい訳じゃないの。あなたが気まぐれな方だとは聞いていたから」

 深透は座っているパイプ椅子の脚に乗せた靴先へ視線を落としながら、暇そうに指先で毛先をくるくると遊ばせている。そんな子供らしい様子にピアノマンは微笑んだ。

「光栄だね。鯱嬢レディオルカが私の事をご存知とは」
「その呼び方止めてくれる?」
「似合いの異名だと思うよ」
「止めてってば」
「はいはいレディの仰せの通りに」
「……巫山戯るなら早く用意して」

 二人の間にある机には新品の札束が積まれている。どれもピアノマンが製造した偽札であり、彼曰く「失敗作」だ。今は茶菓子が机の上を占領していて、それらは全て机の端っこに追いやられてしまっているが。

 深透はお茶会をする為にピアノマンのを訪れた訳では無い。彼が造る完全偽札スーパーノートを受け取りに来たのだ。
手土産にお気に入りのインスタントの紅茶とそれに合う茶菓子を持って来たはいいものの、ピアノマンは飄々と「あと一押しが足りなくてね」と微笑むだけ。深透が訪れてからピアノマンは既に二杯の紅茶を飲み終えているし、壁に掛かっている時計の長針はもうすぐ一周してしまいそうだ。
 今日受け取らなければ来週の任務に支障をきたす。故に深透は仕方なく、本当に仕方なく彼が仕事を終えるのをじいっと待っているのだった。

「そんなに慌てなくとも今日には渡せるさ」
先刻さっきも同じ事云ってたじゃない」
「ははっ!そうだった」

 不満気にむすくれていても何も解決はしない。
それは深透も分かっている。だがピアノマンの言う「一押し」が何なのか、それを理解出来る程彼女と彼の間に親交は無い。

「……善いよ、もう善い」
「おや、拗ねちゃったかな」
?」

 薄々勘づいてはいた。
――「受取はひとりで私の職場へ来るように」
そんな指定をされて何も構えない方が難しい。
 駆け引きは深透のけだった。観念して両の前腕をゆるく上げれば、ピアノマンは可笑しそうにくつくつと肩を震わせた。

「誰を暗殺るの?」
「おいおい!いくら極悪非道なマフィアとは云え、年下の女の子にそんな恐ろしい真似させる訳無いだろ」
「あら。私が何をしてるかは中也から聞いてるんでしょ」
「勿論」

 空になった紅茶椀ティーカップをコトンと机に置いて、その細い指で自身の顎を撫ぜる。

「私たちはこれからある“調査”を行う。その事実を知り、その上で何も知らないでいて欲しい」
「……おぁ」
「なんだその気の抜けた声は」
「いえ、だって、えぇ……?」
「誰も彼もが暗殺を期待してる訳じゃないって事さ」

 深透は首を傾げて、ぱちぱちと眼を白黒させた。

「“調査”の黙認、で合ってる?」
「あぁ。この事は中也にも、レディの所の隊長や首領にも知られてはいけないよ」
「じゃあ何で私に話しちゃうのよ!」
「知らないのは不義理だと思ったから」

 室内が薄暗いせいで分かりにくいが、裸電球に淡く照らされたピアノマンは「内容は教えられないけどね」と目を細めた。
歩き始めた幼子を見守るかのような声音と視線。彼がポートマフィア幹部の席に近い人であると、誰が信じようか。
 気恥ずかしくなった深透は自身の頬に熱が集まるのを隠すようにパッと俯いた。

「……承知。云わない」
「よし、善い子にはご褒美を渡さないとだね」
「子供扱いしないで、要らない」
「要らない?レディはを受け取りに来たんだろ」

 引き出しを開ける音に続けて紙の擦れる音。
 ぽやぽやする頬を冷ますように両手を当てながら、恐る恐るピアノマンの方を見れば、机の上には目的の完全偽札スーパーノートが置かれていた。


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