きみに捧ぐ愛


「のぅ、深透」
「なぁに」
「中也を好いておるのか」

 紅葉の唐突な言葉に、深透はぱちぱちと眼を瞬かせてから首を傾げた。まるで言葉の意味を分かっていないのか、「すい、すい……?」と聞いた音を反復している。

「好き。わかるか?」
「そこまで阿呆じゃないわ」
「お前の好きなものは」
「珈琲かしら」
「嫌いなものは?」
「ビニール傘。ねぇ、この問答に何の意味があるの」

 深透の手元で万年筆の先がヂリと鳴り、記載途中の書面にインクが飛びはねた。着物の袖で口元を隠しながらくすくすと笑んでいる紅葉を一瞥する。楽しそうに彼女は続けた。

「ならば中也のことは」
「愛してるわ」

 寸分も迷いのない応えだった。
ついに堪えきれなくなったのか、紅葉は掛けていたソファの背もたれを叩きながらひぃひぃと息を切らしている。怪訝そうにしながらも「紅葉も愛してるわよ」と追い打ちを掛ける深透の声音は真剣そのものだ。

「もぉー……埃立つからソファ叩くの止めて下さる?」
「ひぃ、ふふ……はぁ、変な奴じゃのぅ」
「変ではないでしょ。ご存知?犬も愛を喰うわ」
「それは菓子にもならぬよ。違うか?」
「あら紅葉姉様ったら」

 深透は万年筆を走らせていた手を止めて、膝に掛けていたブランケットを肩に羽織ながらゆっくりとした動作で紅葉の隣に座る。ギィ、と彼女の重さ分だけソファが鳴いた。
ほぼ同じ高さにあるふたりの視線が交わる。一方は淡い灰が曖昧に混ざった紫、もう一方は濃ゆい桃に朱を落とした赤。

「私の愛は私の戒律ルール。前にもお話したでしょう」
「下らぬものよなァ。それさえ忘れてしまえばお前もわっちと同じ席におったろうに」
「空論はしてよ」
「愛は好かぬがお前の愛は佳い」
「はいはい」

 呆れたように肩を竦めてから深透は紅葉に寄り掛かった。はらりと深透の髪が紅葉の方へ垂れる。その深海色の柔い髪を指先で梳きながら、紅葉はまた可笑しそうに肩を揺らした。

「それで?中也への“愛”とやらはお前の戒律か?」





 目の前のカウンターでパンケーキを咀嚼している中也を見ながら、深透は先日の紅葉との会話を思い出していた。
朝食には遅く、昼食には早い頃合。二人は骨董屋の愛蘭アイルランドキッチンに射し込むぽかぽかの陽の光を浴びながら、緩慢に流れる時間の波に揺られていた。

「……ンだよ」

 あまりにも熱心に薄灰紫の双眸が見詰めてくるものだから、痺れを切らした中也は眩しそうに目を細めながらじとりと彼女を見詰め返す。

「眠いの?」
「いや、眠くはねぇ。陽があったけぇ」
「久々よね。朝ゆっくりできるの」
「最近まともに布団にも入れなかったからなァ」
「私も。今日は休み?」
「ん。深透は」
「夜から任務よ」
「どっちだ」
「幹部候補生くんには関係ないものよぉ」
「教えてくンねぇの」
「暗殺」
「素直か」

 中也は備え付けのカウンターに肘を立てながら他愛ない笑みを零した。それから深透の淹れた珈琲を飲んで、皿に残っていた最後の一切れをぱくりと頬張って。

「……ねぇ中也、愛してるわ」
「おー知ってる」
「お前は私に愛をくれないの?」
「おー………ア?」

 何事も無かったかのように、深透は使ったフライパンを洗い出す。蛇口を捻って出てきた水は数匹・・、くらげの形を模したそれらは、彼女が謳う言葉に合わせてふよふよと周囲を漂っている。
瞳孔は横に伸びていて視界には水と洗剤、それから汚れたフライパンしか映っていない。彼女しか成し得ない方法で、水を異能でって器用に洗い物を片付けている。

 中也はぼーっとその様子を見ながら、頭の中で彼女の言葉をゆっくりと反芻した。
「お前」――自身の事だ。
「私に」――これは深透。
「愛を」――花弁よりも軽い言葉。
「くれないの?」――これは初めて云われた。

「……今のもう一回云ってくれ」
「どこから?」
「始めから」
「悠悠と遊遊に――」
「そっちじゃねェ」
「愛してるわ?」
「その次」
「野暮な子ねぇ」
「……マジか」

 澄ました表情かおで洗い終わった皿に残った水を浮かしているが、化粧をしていないその頬は紅を乗せたように赤い。

「おい、ちょっとこっち座れ」
「厭ァよ」
「いーから来いって」

 中也の瞳がきらきらとしているのは陽に反射しているからだけではないだろう。どことなく嬉しそうな、無邪気な少年の頼みを断れるはずもなく、深透は渋々と空いていた彼の隣のカウンターチェアに腰を掛ける。

「深透」
「なに」

 お行儀良く膝の上に置かれた深透の手に、そっと中也の手が重ねられる。抵抗はしない。彼のされるがまま、指を絡め取られた深透はぶっきらぼうに、自身の名を呼ぶ彼に応えた。
それが精一杯の照れ隠しだとわかり、中也は彼女に優しく問いかける。

「俺は手前に何をやればいいんだ?」
「何も要らないわ」
「そうかよ」

中也はくつくつと笑いを堪えながら続ける。

「手前が吐く愛は無償だ。独善的で、答えを求めない。それが深透が異能を遣う時の戒律ルールだからだ」
「……そうよ」
「手前の異能は俺よりもだもんなァ」
荒覇吐かみさまと比べないで頂けるかしら」
「ははっ」

 深透が肩に掛けているブランケットの端を掴み、居心地悪そうにしている彼女が逃げないようにぎゅうと包み直す。中也は満足そうに鼻を鳴らして、それからちょんと膝同士をくっ付ける。

「他人から愛を求めねェ手前が?」
「うるさい。答えは要らないってば」
「俺ァな深透、手前を好いてんだぜ」
「知ってる、知ってるから少し離れて」
「いンや知らねぇよ。愛だ何だ抜かしてはいるが、手前のそれは異能有ってのモンだ。人を人として見れねェ深透が、人間の情の機微を理解わかるわけねぇだろ」
「……お前が人間を語るの?」
「手前からヒトを捨てた奴がよく云うぜ」

 今日ばかりは深透の意地悪むじゃきな言葉も気にならないらしく、そっと彼女の頬に指先を滑らせながらご機嫌良く口角を上げた。ぶわりと彼女の髪が浮き上がり畝ねる。何か言いたげにしている唇をそっと親指の腹で撫ぞりながら、中也は少しだけ深透の方へ身を乗り出す。

「もっと分かり易く云ってやろうか」
「遠慮するわ」
「深透」
「いい、本当にいいから」
「手前が求めなければ良かったんだ 。そうすりゃあ俺は何も返さなかった。ただ深透の傲慢あいを受け取ってやるだけだったさ」
「中也、ねぇ待って」
「愛してる。存分に溺れてくれよ」

 じわりじわりと二人の距離が縮まる。互いの視線が、吐息がゆっくりと交わる。深透が少しでも身動けば、首筋を撫ぜる彼の指先にふっと力がこもる。
 ちぅとわざとらしくリップ音を立てて、心底愛おしいものを見るように深透へ目線を向けた後、再度二人の唇が重なった。

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