不幸になりたいわけではないけれど、幸せにもなりたくなかった。遠くない過去に取り零したいのちを、目を背けたいのちを差し置いて人並みの幸せを掴むだなんて、ゆるせなかった。

わたしに出来ることはどれだけ苦しくても、ただ思直に前へと進み続けることだけ。そう思って、歩み続けた茨の道。優しい同僚たちは休んでも良いのだと伝えてくれたけれど、それは第一次侵攻から数年経ち、たくさんの仲間が増えてからも変わらず根底に残り続けている。

大学の講義が終わって、本部へと向かう道すがら。
不意に背中から声をかけられる。振り返らなくても分かる、諏訪さんの声に一寸詰まった息を細く吐き出した。むずがる心臓を宥めるように、胸元の生地を緩く握る。それから微笑を貼り付けて、振り向いた。笑顔を作ることだけは、得意だから。

「こんにちは、諏訪さん」
「おう、今日はこのまま本部か?」
「はい、非番ですけれど特に予定もないので」
「はぁ?非番ならちょっとは休めっての」

明るい色をした髪を雑に掻きながら片眉を上げる諏訪さんに、少しだけ肩を竦めてみせる。そうすると溜息を吐いて、「俺も今日は本部で任務」と歩き出すから、続いてわたしも足を動かした。隣に並んで歩き出した歩幅は小さくて、また心臓がむずむずとする。

口では「休め』と言いながらも、彼は決して強制はしない。わたしがボーダーにかける想いと、戦わずにはいられない性分を分かっているから。その理由も、きっと。だから気にかけながらも、わたしが苦しくなる前に折れてくれる。それを申し訳なく思うと同時に、甘やかされているとも思うけれど、今のわたしには手放すこともできなくて。

「諏訪さん」
「ん?」
「この間お借りした本、もうすぐで読み終わるんです。また別の本をお借りしても良いですか?」
「お、早いな。次はどんな本が良いんだよ」
「そこはまた、諏訪さんにお任せします」
「まじか、文句は聞かねぇからな」
「ふふ、頼りにしてますよ」

だれかの優しさに触れるたび、わたしが見捨てたいのちたちが忘れるなとばかりに、冷たく凍えるような悪夢を見せる。その影響でひどく眠りの浅いわたしに、いろんな本を貸してくれたのが諏訪さんだった。

今までトリガーを握るばかりで、娯楽で小説を読むことがなかったわたしにはどの小説も新鮮で、物語の世界に没頭している間だけは現実のことを少しだけ忘れられた。眠れない夜の過ごし方を知って、物語を追っている間に知らず知らず眠たくなって、そうしてまた、悪夢を見る。

諏訪さんの優しさに触れているうちに殺されるのなら、それで良いのかもしれない。風に揺れる髪を押さえて、そっと目を伏せる。悪夢を見ない日は、きっと来ないから。




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傷つきたかった少女