苦手なものは、たくさんある。知らない人と話すことだって、みんなみたいに綺麗に笑顔を浮かべることだって、わたしには難しくて。人の視線に囲まれると、息苦しくて仕方がない。
じわじわと縄かなにかで首を絞められていくような感覚が、常にわたしにはあった。上手く息のできないまま、どうしたって慣れない世界で生きていくのだと、そう思っていたのに。
本部の長い廊下をあてもなく歩く。習慣のようなもので来てしまったけれど、任務もなければ見知った人もいない。今日は帰ってしまおうか、なんてラウンジのほうに足を向ければ、向かい側に見えた姿にとくりと胸が鳴る。
「公ちゃん?」
「ん、」
「本部に来てたんだね、ひとり?」
「なんとなく。でも、もう帰る」
そっか、と頷いた犬飼が、なぜだかそのままわたしの隣を歩いている。向かい側から来たのなら、来た道を戻ることになるけれどいいのかな、なんて。思うだけで口に出さないのは、どんな理由でも一緒にいられることが嬉しいから。犬飼の斜め後ろで、緩みかけた頬を隠すように俯く。歩幅を合わせてくれる優しさが、こそばゆかった。
「今日はもう、個人戦とかやらないの?」
「なんか、気分じゃない」
「そっか、じゃあいっしょに帰ろ」
「任務は?」
「今日は非番の日!ちょっと顔出して帰るつもりだったんだよね」
裾を弄っていた指が大きな手に包まれて、そのまま引かれて歩く。前まではわたしを気遣ってか、あまり直接的な接触はなかったのだけれど、最近は少しだけ違う。大切なものに触れるように優しく触れてくる手を、少しだけ握り返せば、犬飼が肩越しに振り向いて目を細めているのがわかる。それがなんだか気恥ずかしくて。
「ま、……前、見て」
「はいはい」
熱くなった頬を押さえながら、空いているほうの手でぺしりと腕を叩けば、犬飼は肩を竦めて前を見る。てのひらは未だに包まれたままで、わたしたちの間で揺れていた。てのひらから伝わる温もりに、少しだけ肩の力を抜く。
他人の温もりは、じつは少し苦手で。できれば触れたくなんてないけれど、犬飼だけは別だった。自分のせいで姉を失ったわたしは、温もりを厭いながら、温もりを求めている。それはきっと犬飼も同じで、だから、居心地が良かった。
「いぬかい」
「んー?」
「いつもありがと、すき」
最近になって、豊かになったね、と言われるようになった表情が、自然と笑みを浮かべているのがわかる。おれも、と少しだけ口角を上げる彼にそっと寄り添えば、チョコレートの甘い香りがした。わたしがチョコレートを好きだと知ってから、犬飼が食べているところもよく見かける。かわいい。
きゅう、と鳴る鼓動と、その奥で凪いだ心に身をゆだねる。わたしはきっと、犬飼といる時がいちばん自然体だ。
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恋愛速度、君との歩調