「籍、入れねぇか」
「……はぁ」
わたしが城戸さんたちと、ボーダーと出会ってからの期間が年齢の半分になった頃。
大学を卒業してからはボーダー本部の職員として働いていて、1年早く職員になっていた諏訪さんとは就職を機に同棲を始めていた。
幼い頃に両親を失ったわたしは、家族のような仲間がいるとはいえ、もう何年もひとりで過ごしていた。お互いの家を行き来することは何度もあったけれど、同棲の提案をされたときは本当に驚いて、悠一くんや桐絵ちゃんを巻き込む軽い騒動になったことを覚えている。
あのときは数年ぶりに忍田さんに怒られたけれど、その表情に安堵が浮かんでいることにも気づいて。もうずっと心配をかけ続けていたことが、そのときやっと理解ができた。
気づいていたのに『弱いわたし』を認めることに、こんなにも時間がかかった。わたしがみんなを想うように、みんなもわたしを想ってくれていることを、受け入れることも。
でも、理解ができたから。思わず泣いてしまったわたしに寄り添って、同棲するともう一度言ってくれた諏訪さんに頷くことができた。わたしはいつだって意気地なしなのに、諏訪さんはいつだって掬ってくれる。
それも2年近く前のことになるのだから、月日の流れには驚かされるばかり。5年前は、いま生きていることすら想像ができなかったから、余計に驚いている。
そんなわたしに、次は「結婚しよう」だなんて、本当に困ったひと。セキの意味が読み込めなくて、間の抜けた返事をしてしまったわたしを、諏訪さんはただ見ていた。急かすことも揺らぐこともなく、わたしが落ちつくまで、じっと。
「それは、その、結婚という意味でしょうか」
「まぁ、そうだな」
「それは、どうして……?」
テーブルを挟んで向かい合って座っている諏訪さんに気づかれないように、指先の震えを誤魔化すためにスカートを握り締める。諏訪さんは同い年の方と仲が良いから、二人暮らしにしては大きなテーブルに視線を落とそうとして、名前を呼ばれて動きを止める。
悲観的になりやすいわたしを、いつも繋ぎ止める声。視線を上げれば、ここ数年で出会った頃よりも落ち着いた髪色になった諏訪さんが、あの頃と同じように笑っていた。仕方がないとばかりに、雑に後頭部を掻きながら笑う諏訪さんの提案を拒めた試しがない。
弧月を手離したときも、同棲することを決めたときも、その瞳には同じ色が浮かんでいた。意気地なしなわたしの心を、そっと後押しするような視線を向けられると、なんだかむずむずとする。
諏訪さんと仲が良いみどりさんに相談すると、明るく笑って「あれはね、あんたを甘やかしたくて仕方がないってバカの顔よ!」なんて言っていた。冗談だと思っていたけれど、5年かけて本当だったと知った。それくらい、わたしは甘やかされている。
「家族になりてぇ、つーか……いや、間違ってねーか。俺と家族になろうぜ」
「かぞく」
「多分、同棲つったときも、同じことを考えてたんだよなァ。お前がずっと遠慮してっから」
「そんなことはないと、思うのですが……わたしなんていつも、頼ってばかりで」
「ガキの頃は敬語じゃなかったンだろ、お前。俺は敬語ばっかの羽由しか知らねぇけど、でも、たまに崩れる瞬間があるって気づいたら、もっと見てえなーって思った」
いまのボーダーになる少し前に、戦い方を教えてくれた師匠が亡くなって、それから背伸びをするように敬語を使い始めた。大人のなかに混ざりたくて、みんなの力になりたくて。それが癖になって、だれに対しても使っていたのに。
思い当たることがなくて首を傾げるわたしを置いてけぼりに、諏訪さんは「あと、」と話を続ける。
「俺らはもう、あんま現場には出ねえけど絶対安全ってワケでもねぇし。ウチの奴らは俺らのことを知ってるから連絡くれっけど、あー……普通に病院とか、今のままだと難しいだろ」
「でも、」
「んで、いろいろ言いはしたけどコレが一番大事な話な」
スカートを握っていた指は、もう解けていた。なんだかうまく力が入らなくて、目の前がぼやけている。この5年間でたまに起こる症状。そんなとき、諏訪さんはいつも「しょうがねーな」って目を細めて、わたしを見ていた。
ん、と差し出された手に誘われるように、わたしの手をそっと乗せる。大きくて、優しい手のひらから伝わる熱は、少しだけ震えていた。
「好きだから、一緒になりませんか」
ぎゅっと握られた手が、痛い。諏訪さんの敬語は仕事中に何回も聞いているのに、どこか片言に紡がれたその言葉に胸が詰まる。ぼやける視界が見え難くて瞬きすれば、ほろ、と涙が頬を伝っていく。
喉に詰まる言葉をどうにか伝えたくて、震えるくちびるを開く。わたしという重荷をこれ以上、背負わないでほしいのに。あなたはいつも、わたしの想定を飛び越えていくの。
「ずっと、しあわせになりたくなかったんです。しあわせだと思うたびに、悪夢をみて」
「おう、知ってる」
「でも、最近はずっとしあわせなのに、悪夢をみなくて。それがずっと、こわかった」
悪夢から逃げるように起きても、隣で眠る諏訪さんの手を握るともう一度眠れるようになった。
ふたりで食べるご飯が美味しくて、体重が増えると望ちゃんが喜んでくれた。お祝いに作ってくれた炒飯が美味しくなくて驚いてたら、諏訪さんが「加古が作る炒飯は大体マズい」なんて言い出して。そんなことを言われたのに、望ちゃんはご機嫌だった。
たくさん眠って、ご飯を食べて、諏訪さんと一緒に過ごしていたらいつの間にか悪夢を見なくなって。それに気づいたとき、怖くなった。わたしを掬ってくれたあなたに頼ってばかりで、一緒にいられなくなったらどうなるのかな、って。
それなのに、ほんとうに困ったひと。わたしが最近悩んでいたから、結婚なんて言い出して。自分から逃げ道を塞いでどうするの。
「起きたときに、お前がまだ寝てるって気づいた日はビビったわ。俺ってここで感動すんだなァ、って」
「感動、してたんですか?」
「そりゃするだろ、美味そうに飯食ってるときもヤバかったわ」
痛いくらいに握られている手を、同じくらい握り返す。押し入れに隠れるしかなかったわたしが、背伸びばかりしていたわたしが、もういいよって笑っているような気がした。失ったいのちは戻ってこないし、過去を変えることだってできないけれど。
「わたしも、すきです」
「……ン、それも知ってる」
「だからわたしの、かぞくになって」
当然、と笑って頷いた諏訪さんがわたしの隣にきて、胸元へ抱え込むようにそっと抱き締めてくれる。温もりに身を委ねるように、わたしは瞼を伏せた。
わたしはきっと、あなたを頼ったあの日に、しあわせから逃げる術を失っている。
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咲いた花びらが満ちるとき