在学中の要望通り、同じところで働いている私たちに1通の文が届いたのは、忍術学園を卒業してから半年が経った頃。所々に暗号を用いられた文は鉢屋くんから届いたもので、話したいことがあると呼び出しの内容だった。こちらの返事を問うことはなく、ただ待っていると、それだけの内容に勘ちゃんと顔を見合わせた。嫌な予感が、した。
どちらかといえば保守的な武家の忍者隊として雇われて、仕事の多くは情報収集だったり、情報の撹乱だったりが主で、自然と人付き合いからは遠ざかっていた。
私たちが知らなければ、報告することもないから。知らないでいられるならそれでいい。そうしてふたり、手を取り合って武家の影として過ごしていた。――だから、気付くことが遅れてしまった。あの学舎で過ごしていたみんなの情報は、少しだけ意図して避けていたから。
「……そんな、どうして」
私が知りたいさ、弱々しく呟く鉢屋くんは学園を卒業のあの日、最後に会った時よりも少し背が伸びていて、それから、とても窶れていた。私たちが分かるようにと不破くんの顔をした面の下はきっと、顔色も悪いのだと思う。
仄暗い瞳だけがぎらぎらとして、着物の袖から覗く手首や指なんて最低限の筋肉が残っているだけのような姿。不安定に揺れる背を押して、3人で木陰へと向かう。なんだか、このままでは陽の光に焼かれてしまうと思ったから。
けれど木陰に入れば、鉢屋くんの影は一層増したような気がして、勘ちゃんと目を合わせて眉を下げる。せめてこれくらいはと、水が入った竹筒を渡す。水がちゃぷりと揺れる竹筒を眺めて、は、と息を吐くような渇いた笑みを浮かべた鉢屋くんが私を、勘ちゃんを見る。心臓がいやにぎゅうとなった。
「気付いた時には、手遅れだった」
「うん、」
「手遅れ、だったんだ」
視線は重なっているのに、遠くを見つめるような瞳。記憶を辿って沈んでいく声音に、なんだか息が詰まる。怖い。けれどいま鉢屋くんの言葉を遮ると、なにも聞けなくなるような気がして。ただ耳を傾けていると、不意に片手が温かく包まれてぴくりと肩が揺れた。私を案じる勘ちゃんの眼差しに、細く息を吐く。落ち着いて、ちゃんと聞かないと。
「いつも綺麗な部屋が赤く染まっていて、それがあいつの、久遠の血だって気付いた時には、もう助からないって思った。当然なんだ、久遠も学園で学んでいたから、確実に死ぬ方法くらい知っているだろう?はは、皮肉なもんだ」
「はちや、」
「あのやさしい学舎で得たものが、」
あいつをころした、と呟いた鉢屋くんが俯いて、片手で顔を覆いながら深く息を吐く。そんなことないと言いたかったけれど、できなかった。だって私は、卒業してからの久遠ちゃんを知らないから。痛いくらいに握った手を、勘ちゃんは同じだけ握り返してくれた。
忍術学園という箱庭を出てから、初めての訃報。与えられる任務で命のやり取りは何度もしてきたのに悲しくて、それなのに涙は溢れないことが、より悲しかった。耐えるように奥歯を噛み締める。
少しの間を置いて顔を上げた鉢屋くんが、私たちの手にそっと目を細める。その表情からは悲しみも苦しみも読み取れなくなっていて、竹筒は開けられることなく私の手に返ってきた。
「お前らは、手を離すなよ」
「……当たり前、だろ」
「そうだな、お前らはずっとそうだった。……私はもう行く、これからちょっとした任務だ」
「ま、まって、鉢屋くん」
「うん?」
「せめて、これは持っていって」
常に持ち歩いている傷薬を鉢屋くんに押しつける。本当はなにか食べられるものを持っていたら良かったのだけれど、手持ちには水分しかなくて。それはさっき返されたばかりだから、その歯痒さに軽く唇を噛む。
「私には、不要だから持っていても勿体ない」
「いいから、持ってな」
「鉢屋くんが傷ついても、久遠ちゃんは悲しむだけだよ。ご飯も食べて、少しでも良いから寝て、休んで」
「知らせ、出してくれたら俺らも一緒に食べることもできるしさ」
「……考えておく」
「うん、それでいい」
目を伏せて笑った鉢屋くんが背を向ける。目を離せば消えてしまいそうな雰囲気が心配で、ふらりと離れていく鉢屋くんの後ろ姿が見えなくなるまで、私たちは手を繋いで見つめていることしかできなかった。
「勘ちゃん、」
「行こう、海」
手を引かれて、町中を進んでいく。勘ちゃんは時折、私を安心させるように振り向いて、繋いだままの手に少しだけ力を込めてくれた。
暫く歩くと、ふたりで借りている住処に辿りつく。雇い主のひとも知らない、隠れ家。中に入ってから気配を探るのはどうしようもない癖で、ふたりしかいないことを確認してからそっと息を吐いた。
草履を脱いで、居間に腰を下ろす。座布団の上に胡座をかいた勘ちゃんが、その膝に乗せてくれた。暖かい腕の中に囲われて胸元に頬を寄せる。とく、とくと心臓が動いていることが伝わって、体から力が抜けていく。
「もう、我慢しなくていいよ」
大きな手に背中をとん、と叩かれると閉じた瞼から涙から溢れてくる。卒業をしてから「忍びであれば感情を殺せ」と何度も言われた。お前は甘いのだと、何度も何度も繰り返される。できているつもりでは駄目で、ちゃんとできないと認められない。
それなのに上手く切り替えることができない私に、勘ちゃんは言ってくれた。「抱き締めて、隠してあげるから。海の気持ちは、ここに預けにおいで」そう言って、私が傷つかないように抱き締めてくれる、やさしいひと。大好きなひと。この温もりを失うなんて、私は絶対に耐えられない。
久遠ちゃんは、あの学舎で6年も同室でいてくれた大好きなお友達。やさしくて、さみしい雰囲気の女の子。卒業してたった半年で、彼女を喪うなんて思いもしなかった。実家に戻ると言っていたから、もっと気にかけていればよかった。ふたりだけの世界に閉じこもっていないで、目を背けていないで、振り返ればよかった。
久遠ちゃんを喪った、鉢屋くんの顔が忘れられない。きっと私も、勘ちゃんを喪ったらすべてが手につかなくなってしまう。恐ろしい想像にふるりと体が震えて、縋るように着物を握り締めた。指先が白くなるほど強く握って、置いていかないでと存在を確かめる。
「ね、かんちゃん、やくそく」
「うん、なぁに」
「おいて、いかないでね」
「当たり前。置いていかないって決めたから、いま2人でいるんだよ」
忘れたの、と勘ちゃんが笑う。そうだね、そうだったね。忍術学園の上級生になる前に、ふたりで交わした約束を勘ちゃんはずっと守り続けてくれている。私がひとりにならないように、そばにいてくれる。そばにいさせてくれる。
濡れそぼる目許に柔い感触がひとつ、ふたつ。少しだけかさついた唇が、涙を掬っていく。ごめんね、鉢屋くん。もう少しだけ、このひとの優しさを独り占めさせて。この涙が止まったら、もう独り占めにはしないから。
重たくなった瞼を上げて、ぼやける視界で勘ちゃんを見上げる。いつも上手に感情を隠している瞳に、弱くてずるい私だけが映っていた。
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絡まりたゆたう花弁の下