あの日、鉢屋くんと再会してから1年と少しが経った。あれから何度か顔を合わせたけれど、鉢屋くんの顔は沈んだままで、ただ流されるまま生きているように見える。それでも、生きてくれていることが嬉しい。

最後に会ったのは2か月くらい前で、鉢屋くんは変わらず「またな」と言ってくれたけれど、難しいかもしれない。結局私たちも鉢屋くんを置いていくことになりそうで、申し訳なくて、うんと心配で胸が痛くなるけれど、もうどうしようもない状況に身を置いていた。

同じ隊にいた先輩が、とある任務で失態を犯した。主にも損失があるような取り返しのつかない失態に、切り捨てられたのは私たちだった。――ううん、私だった。

失態を犯したとしてもそれなりに経験を積んでいたひとより、まだ経験も浅くて目立った能力もない私が切り捨てられるのは当然のこと。勘ちゃんは私を庇おうとしてくれたけれど、いくら勘ちゃんが優秀でも状況は覆らなくて、それどころか巻き込んでしまった。

「行こっか、海」
「うん、……ありがとう、勘ちゃん」
「どういたしまして」

月の下で、額を重ねて笑い合う。私を抱き締めてくれていた腕が離れていくのが名残惜しいけれど、これから戦うには不要な温もりだった。優しくて、大好きな勘ちゃん。

上級生になる前の、あの日と同じくらい泣いて拒んだのに、「ひとりにしないって約束だからね」と頷いてくれなかったひどいひと。結局その手を振り払えなかった私は、もっとひどいけれど。

切り捨てられて、近いうちに報復を受けることは分かっていたから、逃げる時に目立ちそうな髪は何日か前に短く切った。黒い忍び装束に身を包んで、口布を上げる。視線を重ねていちにの、さんで城を飛び出して森の中に身を隠した。

今日の任務が偵察なんて嘘ばっかり。ふたりで忍び込んですぐ、異変に気付いた。ずっとずっと、警戒していたから気付けたことだった。敵対している城に情報を流すくらいなら、そのまま殺してくれたらよかったのに。追手を振り切るために駆ける。職場には戻れないから、別の方向へと足を動かした。

木々が茂る、暗い森のなか。背後から飛んでくる暗器を交わして、弾いて、距離だけは詰められないように撒菱を巻き、勘ちゃんは万力鎖を振るった。私たちが風上に立てた時には、鉄線に仕込んでいた毒粉まで撒いた。在学中、久遠ちゃんが調合を教えてくれた即効性の毒。

使えるものはなんでも使ったけれど、多勢に無勢。限界はどうしたって、私たちのほうが早くに訪れる。動かし続けていた脚が縺れる。肺が痛い。流れる血を誤魔化す余裕なんてとっくになくて、緑を濡らす赤に追手を撒くことができない。私より速く走れるのに、大丈夫だからと後ろにいた勘ちゃんの呼吸に異音が混ざっている。

「勘ちゃん、」
「ぅ、ん……わかってる、よ」

森を抜けたって、この傷では逃げ切れる確率は低い。飛び退きながら振り向いて、懐から最後の焙烙火矢を出す。こんな状況なのに勘ちゃんと目が合って、口布の下でもう、と笑った。

ひどい怪我なのに、勘ちゃんまで笑って私を肩に担ぐ。久々知くん直伝の焙烙火矢を放ると、爆風を浴びながら大木の洞へと飛び込んだ。この洞がなかったら、崖から飛び降りるところだった。

これで逃げられるだなんて思っていない。少しだけ、時間を稼ぐことができればそれでよかった。血で濡れた装束が肌に張り付いて気持ちが悪い。ひゅうひゅうと息をする勘ちゃんが、私を抱えたまま崩れ落ちる。血が足りなくて顔色が悪い。

「庇わないでって、言ったのに」
「……もう、体が勝手に、動くんだよ」
「ごめんね、勘ちゃん」

口布をずらして、顔にかかる髪を指先で退けて、その頬に触れる。瞼は半分くらい閉じられていて、不安定に揺れる瞳。体から流れる血が止まらない。勘ちゃんの命が、私のせいで喪われようとしている。

最後まで残していた苦無を握って、浅く上下する勘ちゃんの胸元に頬を乗せる。いたいよ、と文句を言いながらもう碌に動かない腕を、腰に回してくれた。本当に、やさしいひと。だいすきなひと。最期まで約束を守ってくれてありがとう。

「来世があったら、また好きになっても、いい?」
「なぁに、それ」
「ふふ、もしもの話」
「そ、か……来世、ね。っ、ここまで大事に、したんだから、……また、好きになってくれないと、困る」

元々傷ついていた腹部に深く、ふかく苦無を埋めていく。痛くて震える手を慰めるように、勘ちゃんはゆっくりと言葉を返してくれる。下唇が噛み切れるほど耐えて、痛みに跳ねる四肢を押さえつける。

手首を返せば、ぐぢゅりと音が鳴る。大切にしてくれていたのに、ひどいことをしていると分かってる。でも失敗はできないから、深く刺さった苦無を引き抜く。開いた肉から血が溢れて、止まらない。

喉から競り上がった血が口端から垂れる。寒い。腰にある大きな手に、そっと手を重ねる。どれだけ勘ちゃんに身を寄せても、いつも私を包んでくれた温もりはなくて、それでも、鼓動は微かに聞こえた。

「ね、ごめんね、勘ちゃん」
「いいよ」
「怒ってない?」
「ぜーん、ぜん。これくらいで、怒んないよ」
「うん、うん……ありがとう、だいすき。来世もきっと、すき……」

重ねていた手が滑り落ちて、視界が暗くなっていく。とくり、とくりと届く鼓動に安心して、そっと意識を手放していく。ごめんね、鉢屋くん。ごめんね、勘ちゃん。ひとりにしないでくれて、ありがとう。



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薄いまどろみの花床