アジトを出ると、街灯はすっかり夕方の色になっていた。少し急いだほうが良いかもしれないと思い、靴紐がしっかり結われていることを確認して、とん、と地面を蹴る。アジトがある区画よりも下へと向かうために、多少足場が悪くても最短ルートで駆け降りる。
崩れかけの坂を下りて、瓦礫が転がる道を駆けて、その間も足音と気配は殺すことを忘れない。街灯が夜の色に近づくほど、暗がりに紛れるように犯罪は増えやすい。面倒な輩に絡まれる前に一通り確認しよう、と角を曲がる。途端にドンッと鈍い痛みが胸元に伝わって、視界の端で柔い小豆が揺れた。
「……っ、」
人間だと察すると同時に、転びそうになっている相手の腕を掴む。――細い。親指と中指が触れるどころか、一周しても余る感触に相手が女性であると理解して、それから下層区の女性たちを総べている存在を思い出す。下手を打つな、と背に冷たいものが走った。
けれど、鍛錬を重ねた動体視力はこの場面でもしっかりと働いて、相手がレッグホルダーへと伸ばした手を咄嗟に押さえてしまう。まずい。早鐘を打つ心臓を隠すように、人好きのする笑顔を作った。どうにかしてこの場を切り抜けないと。
「待ってまって、争うつもりはないから!」
警戒心を滲ませた、胡乱な眼差しがこちらへと向けられる。街灯に淡く照らされている小豆色の髪に、薄暗くても映える紅玉の瞳。同じくらいの年齢か、少し年下にも見える女の子。さっきは蹌踉ていたけれど、その両脚はしっかりと鍛えられているようにも見えるし、なにより――染みついた、硝煙の匂い。
絶対『桃花鳥』のメンバーじゃん、と引き攣りそうになる頬を気合いで耐える。落ち着け、いまより悪い状況くらいあっただろ。兵助が弾倉と高野豆腐を間違えて持ってきたこともあったし、小平太先輩が久しぶりに拾ったバレーボールが爆弾だったこともあった。うん、いまの状況よりよっぽど危険だわ。ふ、と息を吐いて両手を顔の横まで上げる。
「急いでいて、ごめんなさい」
「いや、こちらこそ。怪我は?」
「貴方が助けてくれたから、大丈夫です。えっと、ありがとう」
「どうしたしまして」
薄暗いなかでも分かるほど、しろい頬が染まっていく。なにかで読んだときは『鈴の音が鳴るような声ってなんだよ』と思ったのに、これじゃん、と思ってもっと聞きたくなる。それなのに、急いで離れようとするから。
隣を通ろうとした彼女を引き寄せて、向かい合うように立たせる。え、いま「ひょえ」って言った?赤くないところがないんじゃないかってくらい、顔を染めた彼女が小さな口を開く。顎下から重い衝撃が走って、思わず蹲った。あんなに動揺していたのに、足音もなく彼女が去っていく。一度は抱いた背が、小さくなっていく。
「……っ、はは、なにあれ!守秘義務ならしょうがないか」
あの子が、欲しいなあ。物心ついた頃から何年も付き合ってきた飢えが、そう言っている。まずは名前から調べようか。三郎が少し前にハッキングに失敗したんだって言ってたよなあ、と思い出しながら立ち上がる。今回の貸しで、もう一回やれって言ってみようかな。
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7.望んだのは一輪だけ