ぼんやりと考え事をしながら歩いていれば、ふわりと内臓を持ち上げるような浮遊感。咄嗟に受け身をとって辺りを確認すると、四方を茶色い壁に囲まれていて、落とし穴に落ちたことが分かる。

「……久しぶりに落ちちゃった」

そこまで深くない穴だから自力でも出られるのだとは思うけれど、ひんやりとした土壁に背中をつけて、綺麗な円形に切り取られた青空を見上げていれば、なんとなく立ち上がれなくなった。

ぺたりと座り込んで、耳を澄ませる。風に揺られる木々の音、委員会の活動をしているみんなの声、下級生たちの小さな足の音。空に浮かぶ雲が流れていくところを眺めながらいろんな音を聴いていると、少しだけ世界に取り残されたような気分になる。

私には、秀でたものがなにもない。

咄嗟に反応できるだけの身体能力もなければ、意表を突くような罠を仕掛けることもできなくて、毒や薬の知識も深いとはいえない。もちろん、勉強だって鍛錬だってしているけれど、これといって特筆できることもない。勉強も鍛錬も、みんなしていることだから。

他のひとと比べたってなにも変わらないことも分かっているけれど、学園に入って、もう5年になる。来年には最終学年になって、卒業後のことも考えなくてはならない。私はこれからも、卒業してからも勘ちゃんといっしょにいるために、今はなにができるのかな。

「……もっと、頑張らないと」
「なにが?」
「び、……びっくりした」
「わかる、海の目ん玉零れ落ちるかと思った。そんなとこでなにしてるの」
「考えごと、かなぁ」

円形の空を背景に、大好きなひとがひょこりと顔を覗かせる。陰になっているから見えにくいけれど、声色が柔らかくてなんだかくすぐったい。ふーんと軽い相槌のあと、「それで?」と首を傾げた勘ちゃんに唇を軽く尖らせる。流してくれたらいいのに。

「ずっと言ってるけどさ、海がひとりで悩んだって良いことないんだから」
「そんなこと、ないと思う」
「ふーん?」
「だめだめ、そんな顔しないで」
「俺の部屋が違うからって、寂しくなって兵助に突撃したの誰だっけ」
「う、」
「無理な鍛錬して手、痛めたのは?あ、竹谷にやきもちやいて篠森にひっついてたのは、誰だっけなあ」
「わ、私だけど結構前のことだよね……!?下級生の頃の話もあるし、もう忘れてよ、いじわる」

熱くなった頬を両手で覆っても、手のひらさえ熱くてあまり意味がなかった。指の隙間からじとりと見上げれば、からからと笑い声が降ってきて、小さく息を吐く。敵わないなあ。

穴の底に両足をつけて立ち上がる。もうすぐ夕餉だからと伸ばされた手を握って穴から出ると、遠くのほうでは空が橙色に滲んでいた。

一回りほど大きな、かたい手に引かれて歩く。誰かが落ちる前に穴を塞がないと、あ、土に凭れていたから絶対に髪とか背中も汚れてる。どうしよう、と意味もなく足元を見たり、包まれたままの手を居心地悪く動かしていれば、斜め前からふ、と笑い混じりに吐かれた息。

「……勘ちゃん?」
「あのさ、さっきの話だけど。べつに頑張らなくていいよ、もう頑張ってるし」
「そうかなぁ」
「そうだよ。俺が言ってるのに信じられない?」
「ずるい言い方だね」
「そう?それにさ、まあ、海が頑張りたいって思った部分じゃないかもしれないけど。迷いなく手を伸ばせるのって長所だと思うよ、どっちの意味でも」

ほら、と繋いだ手を揺らす勘ちゃんに息を呑んで、脱力するように細く吐き出す。やっぱり、くのいちに関係ないところを褒めてくれるんだ。

「ふふ、ありがとう。元気出たから、おかずひとつあげるね」
「お、やった。今日はなんだろうね」
「煮物がいいなぁ、優しい味がするの」

でも知らないんだね、勘ちゃん。あの日、貴方が迷いなく手を握ってくれたから、私も握るようになったの。困っているひとに、声をかけるようになったの。貴方は、知らないんだね。




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続く路も花ざかり