後輩たちから『頼りになる先輩』や『怖くないくのたまの先輩』と思われることが多い海は、蓋を開ければただ妹気質で甘えたがりな普通の女の子で。だから普段、くのたまのなかでも世話焼きな気質がある相手といるところを見かけると、きっと居心地が良いんだろうなあと思いながら眺めていた。
けれど、授業や実習がなにもない日にはやっぱり俺といることが多いように思う。今日も、そう。新しい豆腐を探しに行くのだと町に出た兵助を見送って、ひとりで自室にいた俺のところへ来ると、海は兵法書を片手に隣へと座った。
兵助と違って外出する用事もないからと、先日出された課題に手をつけていた俺がちら、と隣を見下ろす。途端に白い頬が淡く色づいて綻んだ。
つん、と袖を引かれる感触に気づいて少しだけ顔を寄せる。内緒話をするような、あるいは甘えるような小さな声がころんと落ちる。ふたりきりでいるのに潜められた声は、なんとなく擽ったい。
「ここにいても、いい?」
「ん、いいよ。俺も課題してるけど平気?」
「うん、……ふふ、いっしょにお勉強だね」
課題を少しだけ横にずらして長机を空ける。まんまるの瞳をきゅっと細めた海が、空いたところに書物を広げた。
それからしばらくは筆を置く音、頁を捲る音だけが響いていたけれど俺にとっては苦ではない静けさで、それは海も同じだと思っている。それくらいの時間は、ずっと過ごしてきた。
課題を終えて、筆を置く。書き損じがないかを確認しながらそっと海を見ると、小さく開いた口許をむにむにと動かしながら文字を追っていて、ふ、と思わず息を吐いた。集中しているときの、その癖は変わらないなあ。
汚れないように課題を隅に寄せて、長机に頬杖をついて海を見守る。頁を捲る指先が乾燥していることに気づいて、少しだけ眉を寄せた。乾燥が進んで、皮膚が裂けたところを想像するだけでも痛い。医務室に連れていくよりも、海の同室に頼ったほうが早いだろうか。
海からすると『それくらい』と思うようなことでも、俺からすれば気にかかる。否、自分のことより俺のことを気にする海だから、俺も同じように気になるというのが正解かもしれない。俺の場合は、それと同じくらい自分のことも気にかけているけれど。
「……あ、海」
「うん?なぁに」
神喰さんに話をつける段取りを思案しつつ、読み終わるまでもう少しかな、と思いながら眺めていると、はらりと垂れた横髪を食べそうになっていることに気づいて、つい名前を呼ぶ。キリが良くないのか、兵法書から顔を上げずに返事をした海に眉尻を下げながら手を伸ばす。
横髪を指で避けてやれば、驚いて顔を上げた海と目があう。顔を動かしたものだから、指先に柔らかい感触が伝わる。弾力があるというよりはまろい頬に、ふに、と埋まる指先は最近食べた饅頭を連想させた。
「うぇ、か、勘ちゃん……?」
「髪、食べそうになってたよ」
「ぁ、そ、そう?ごめんね、ありがとう」
「はい、どういたしまして。それ、読み終わったらおやつにする?」
「する!お茶、いれてくるね」
「いいよ。俺はもう課題は終わってるから、海は読んでなって。まだ帰ってこないと思うけど、兵助が来たら追い出していいからね」
「ふふ、はぁい」
幾度か押して、感触を楽しんでいた頬から手を離す。そのまま柔く髪を撫でると、その手に擦り寄る姿にやっぱり甘えたがりだよなあと思いながら腰を上げる。まあ、そうさせたのは俺だって自覚もあるけれど。
冗談か、本気か分からない返事をした海を置いて自室を出る。同じ5年い組の六郎太は大丈夫なのに、5年経っても兵助にだけ時折反抗心を見せる姿は、飼い主の周りで『構って』と戯れついているこいぬみたいで嫌いじゃない。
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ひとくちの静けさ