外でのデート二回、お家デート一回を経て類くんとお付き合いすることになった。
 告白された時は、ついにきたなと思った。嬉しいとかドキドキしたとかも勿論あったのだが、出会った時からずっと類くんは好き好きアピールが凄かった。恋人がいたことがない私でも分かるくらいだった。デートでは必ず手を繋いで歩いたし、たまたま旅行の話をした時は延々と私との理想の新婚旅行の話をしていた。告白より前にプロポーズをされた気分だった。ハワイかヨーロッパに行きたいらしい。
 私はそんな類くんと、「多分好き、かも」という曖昧な感情で付き合うことにした。好きとか嫌いとかの盛り上がりが下手なタイプで、だから今まで彼氏がいなかったのだ。少女漫画みたいに盛り上がる出会いなんてそうそうないんだよ、と友人に指摘されたところに、自分のことを好きと言ってくれる類くんが現れた。明るくて優しい人だし、素敵な人だなと素直に思えたので、多分好きなのだろう。
 そんな曖昧な私が、あの人気アイドルである類くんと付き合うなんてあっていいのだろうか。芸能界の闇とかに存在を消されたりしないのだろうか。うーんと頭を悩ませても、類くんはマイペースに私の家で寛ぎ続けている。

「名前ちゃん」
「なあに、類くん」
「ぎゅーって、hugしてもいいかな」

 いいかな、と聞いていたのにもう後ろから身体を預けてくる類くんの重さに耐え切れず、ぐえっと変な声が出る。逃げようとすると、お腹の下を力強く抱き締められて圧迫感に気持ち悪くなる。

「ダメだよ。逃げないで、ずっと俺の腕の中にいて」

 類くんとの密着度があがった。目が少しギラギラしてるのが分かる。
「名前ちゃん」と私を呼ぶ声が少し低く、掠れていることに気付いて、少しだけ覚悟する。キスする流れなんだろう。キスだけで終わるのか、その先があるのかは分からない。

「こっち向いて」

 優しいのに、断る選択肢を与えない声色だと思った。類くんの手に誘導されるがまま、顔を合わせても首がつらくならないよう体の向きを変える。このままキスしてしまうのか。さっきたらこパスタ食べてコーヒー飲んだけど、どっちの味がするのか。そんなこと考えるのはお子様かな。
 私の慌て様は顔に出ないからか類くんには伝わっていないようで、髪に、額に、鼻先にとゆっくり唇を落としていく。

「緊張してる?」
「実は、すごくしてます」
「OK、大丈夫。俺に任せて」

 唇がゆっくりと重なる。チュッ、チュッとリップノイズをわざとらしくたてていくので、なんだかむず痒い。

「はあ……、名前ちゃん、すっごく可愛い。食べちゃいたい」

 今なんて。
 驚いて固まってるうちに、がぶりと唇を食べられた。





「それから三十分間ずっと唇をもぐもぐされたんですよ」
「あのさ。それ、惚気かな」
「よくわからない……」
「なに……? 名前ちゃん、なにしに来たの……?」

 幼なじみの次郎くん(類くんと付き合うきっかけになったのもここの繋がりからである)の家で、だらだらと近状報告を終える。次郎くんはドン引きだった。

「大丈夫なの? るいとかいいんじゃないって薦めたのは俺だけど、ほんとに健全に付き合ってる?」
「一線越えるのは類くんの誕生日ねって約束してるから、多分健全に段階踏んでると思う」
「ええ……。やだなあ、幼なじみと仕事仲間の事情聞くの……」

 そうやって嫌がりながらも、なんだかんだで相談に乗ってくれるのが次郎くんの損なところだと思う。
 並々注いであったオレンジジュースは、もう氷だけになっている。今日は三人でご飯にしようと提案したのは類くんなのだが、お仕事が長引いてまだ帰れないらしい。アイドルはやっぱり大変なんだろう。
 付けっ放しにしていたテレビには、同じ事務所だというFLAMEの三人がカップラーメンのCMに出演している。類くんも同じメーカーの商品CMに出てたのを思い出す。まだ知り合う前で、テレビの向こうの人だった。
 幼なじみの次郎くんは例外として、まだアイドルと知り合いである事、しかも付き合ってしまったなんて実感が湧かない。

「次郎くん」
「なあに、名前ちゃん」
「……んー、なんでもない」

 類くんと私は本当に付き合ってていいのだろうか、なんてことは次郎くんに聞く質問ではない。言葉を濁した私に、次郎くんは適当な相槌で返してくれる。この人は優しいな。
 それからしばし沈黙が続く。類くんはやっぱり帰ってこないし、私はなんだかセンチメンタルになってしまったので、もう帰ろうかと迷い始める。ものすごく身勝手な女であることは自覚しているが、今の状態で類くんとは会えない。

「次郎くん、やっぱり私帰るね」

 立ち上がると同時に、次郎くんの家の薄いドアをドンドンと力強く叩く音がする。

「帰るの?」

 この状況で帰れるの? という意味だろう。無理だろうなあと諦める。

「名前ちゃんが出迎えてあげたら」
「……」
「睨まないでよ。ホラ、愛しい彼氏のお迎えしてあげなさいって」

 家主の次郎くんが出るべきだろうと言ったって、多分無駄に終わる。私はグダグダと悩んでいるうちに、選択肢を失っていたのだ。どんな顔して類くんに会えばいいのかわからず、かと言って出迎えない訳にもいかず。
 ガンガンとドアを強めにノックする類くんに「今出るよー」と声をかける。鍵を開けてドアノブに手をかけたところで、ドアの重さがなくなる。ドアノブにかけるはずだった体重は頼る場所をなくして身体のバランスを崩すが、転ぶことはなく受け止められる。そのまま熱烈に抱きしめられる。

「ただいま! I missed you sweetheart!」

 抱き締める力は強くなって、痛みと類くんのほんのりと甘い香水の匂いに脳がくらくらした。このまま力強く引き込まれて、類くんの身体の中に吸収されてしまうのではないかと思った。
 解放されたと思えば、今度は類くんの綺麗な顔が近付いてくる。二人きりならともかく、次郎くんの前では少し恥ずかしいので、類くんの唇を手で塞ぐ。目をまんまるに見開いて驚いた顔をされる。

「名前ちゃん、俺のこと嫌いになった?」
「そうじゃなくて」
「名前ちゃんもるいも、そういうのは家でやってね」
「Why? 家に帰ってきてからしてるよ?」
「俺の家! ここはるいの家じゃないでしょ、もー……」

 外の熱気が入るのを嫌がる次郎くんに急かされて、私と類くんは若干乱暴に室内へと押し込まれる。





 次郎くんのお家での焼肉パーティーは楽しかった。のんびりとお酒を飲んで、次郎くんがお世話してくれたお肉を類くんと分け合いながら美味しくいただいた。そのまま気持ちよく寝落ちしてしまいたい気分だったのだが、私は明日も仕事がある。
 夜になって少し寒くなってきた中、私は類くんと手を繋いで駅まで向かう。「一人で帰れるよ」と断ったのだが、お酒に酔って上機嫌だった類くんの顔がスッと真剣なものに変わって「俺は名前ちゃんの恋人だよ」と言われてしまったので、断るわけにはいかなくなった。

「名前ちゃん、温かいもの食べない?」
「えー。いいよ、お腹いっぱいです」

 いきなりどうしたんだ、と思ったが、車道を挟んだ向こう側にコンビニが見えてくる。

「じゃあ、喉は乾いてない?  お茶とか、sodaもいいね!」
「類くん、私喉乾いてないよ」
「Humm……、じゃあ……ええと」
「……類くん?」

 だんだんと歩幅は狭くなり、ついに立ち止まってしまう。いつもの類くんらしくない。反応を窺うように繋いだ手をぎゅっと握ってみると「名前ちゃん」と私にしか聞こえないくらいの声の大きさで名前を呼ばれる。
 類くんの顔は、街灯の少ない夜空の下でもわかるほど赤くなっていた。

「頑張ってリードしなきゃ、って思ってたけど、やっぱりダメみたい」

 類くんとの距離が縮まる。

「駅まで送る予定だったのに、帰したくなくなっちゃった。明日、仕事があるのはわかってるよ。but、まだ名前ちゃんと一緒に居たい。……ダメかな」

 いつもと違う、少し余裕のない真顔で私にそう縋る類くんを見て、心臓を強く握り潰されたような衝撃を受けた。明るくて、みんなに好かれる類くんが、私を求めてくれている。それに応えたいと思う私がいる。類くんのこと、悩みながらも好きな自分に気付く。
 気付いてしまったならもう後には戻れない。私の頭の中では、会社を休む言い訳を考えはじめている。重症かもしれない。

「類くん、私コンビニ寄りたいな。メイク落としとか、歯ブラシとか、お泊まり道具を買わなくちゃ」

 お泊まりまでは図々しかっただろうか。自分から甘えたことを言ったのは初めてなのだ。加減が難しい。でもきっと、類くんだって今の私のように勇気を振り絞って伝えてくれたのだ。
 驚いた顔のまま固まってしまった類くんの手を、またぎゅっと握る。

「どうしよう、名前ちゃん。俺、変な顔してない?」
「カッコいい類くんのままだよ」
「どうしよう。俺もっと帰したくなくなっちゃう……。ずっと俺の家にいてほしいな。どこにもいかないで、ずっと俺の隣にいて」
「う、うーん?」
「あははっ! 例えば、の話だよ」

 二人で来た道を少しだけ戻る。先ほどとは違って、類くんが頬を赤くして嬉しそうな表情だ。私まで嬉しくなって頬が緩む。

「俺たち、同じsmileだよ」
「類くんが笑うから、つられちゃって」
「俺は、大好きな名前ちゃんが嬉しいこと言うから」
「わたしのせい?」
「No! せい、じゃなくて、名前ちゃんのおかげ」

 類くんと話すのが楽しい。手を繋げることが嬉しい。
 ごちゃごちゃと考えて悩んでいた私はもういない。