「差し入れでーす」
どうぞ、と菓子箱をドラマチックスターズのメンバーに差し出す。まず最初にニコニコ笑顔とお礼を忘れずに、チョコレートマフィンを手に取る翼さん。それから、輝さんと薫さんがそれぞれ違う味のマーマーレードを選んでいく。
「プロデューサー、誰からのいただきものなんだ?」
「この辺りでは見ない菓子ブランドだな」
「ああ。これ地元のです。この間のお休みで帰って、結婚式出てきたんですけど、その時の引き出物で」
「ええっ! プロデューサー、結婚したんですか……!」
「友達がね。私がするんだったら、ちゃんと事前に報告しますから」
あまりにも翼さんが焦った様子を見せるが、輝さんと薫さんは特に動じることはなく包装を開けて菓子を頬張る。勘違いすることもなく、翼さんが驚くことも想定内だったらしい。
引き出物の一部だった菓子は一人で食べきれるものではなく、事務所の皆にお裾分けをすることにしたのだ。もしかすると友人は、このことを見通してお菓子をくれたのかもしれない。幸せそうにマフィンを頬張る翼さんを見て、私も自然と笑みがこぼれる。しかし、いつまでもゆっくりはしていられない。
「それ食べたら、移動の準備始めてくださいね」
三人の肩を順番に叩いて、私も気持ちを切り替えていく。
荷物を確認しにデスクへ戻ろうとした時、スーツの裾が何かに引っかかる。確認すると、翼さんが私のスーツを掴んでいた。今度は私も、側で見ていた輝さんと薫さんも、目を丸くして今の状況に驚いている。
「プロデューサー、はい。あーん」
「えっと……」
「美味しいですよ?」
逃げられないやつだ。あーん、なんてされてしまう、そんなフラグどこにあっただろうか。横目で輝さんがニヤニヤしているのが確認できる。照れていたらもっとからかわれてしまうのは明白である。思い切って一口マフィンを頬張り、なんとも無かったかのように「美味しかったです。ありがとう」と捨て台詞のように残してデスクに戻る。
「アレ絶対ヤケになってたよな」
「柄にもなく照れたのを、隠したかったのだろう」
そんな言葉、聞こえないのである。
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「先に帰ってて良かったのに」
現場の同行が終わっても、事務所に残っていた翼さん。ようやく仕事もひと段落ついて、ノートパソコンをデスクにしまいながら私が声をかけると「お疲れ様です」と労いの言葉をくれた。
輝さんと薫さんに夕飯を誘われていたのに、それを断って一時間も私を待っていた。時間をつぶすものもそう無い事務所の中で、何をするでもなく待つのは暇でしかなかっただろう。
「大丈夫です。プロデューサーの仕事ぶりを見てるのも、楽しかったですよ」
「……そうですか?」
「はい。今、オレたちのためにスケジュール合わせてくれてるんだな。お仕事取ってきてくれてるんだなって、嬉しくて」
そういうものだろうか。翼さんは優しくて純粋だから、そう言ってくれるだけかもしれない。
「プロデューサーだって、オレたちの仕事をキラキラした目で見てくれているじゃないですか。それと一緒です」
「一緒って……」
スヌードをかぶる。余った部分を捻り、もう一度被る。首元が少しも露出しないよう、頬まですっぽりと埋まるように。毛糸に髪が擦れて傷んでしまうが、暖かさには変えられない。
帰宅前に荷物を確認し、不測の事態に備えていつもはち切れそうな鞄を肩にかけると、「持ちましょうか?」と穏やかな声が上から降ってくる。問いかけの言葉だったのに、するりと鞄は奪われて翼さんの手に渡ってしまう。
「重いものはオレに任せてください」
「でも、担当アイドルに荷物を持たせるなんて」
「じゃあオレは、女の子に荷物を持たせるなんて、って言いますね」
「そんな歳じゃないのに……」
翼さんに一本取られてしまい、私は手持ち無沙汰になる。
社長も帰ってしまい、二人きりになった事務所は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。翼さんがこうして手伝いを申し出てくれることは珍しいことでもないのに、少し環境が違うだけで少し特別に聞こえてしまう。
少し動いて乱れた髪を、手櫛で整える。スヌードの上で盛り上がる後ろ髪にクセがつかないように流していた指に、別の体温が重なる。指の関節の間を、私のものではない指が降りてきて、優しい力で握られる。
「手、すごく冷たいです」
指は髪を梳いて抜け、じんわりと暖かい人肌の上へ。愛しむように、蕩けた瞳をこちらに向けて私の手に頬擦りをする翼さんを見て、大きな罪を犯してしまったような錯覚に陥る。だめ、やめて、なんて言えず、時も呼吸さえも止まってしまったかのよう。けれども私の手は確実に、悴んで動きも鈍くなっていた指先まで、翼さんの体温で温められている。
魅力された。今の私の状況は、まさにその一言なのだろう。
「オレ、ずっと、プロデューサーがオレたちのことをお世話してくれるように、……それ以上に、なんでもしてあげたいなって思ってるんです。ちょっと強引になってしまうくらい」
「翼さんは、優しい人だから」
「そんなことないです。オレ、意外と独占欲が強いんですよ。……だから、プロデューサーが結婚したって勘違いした時も、自分でもびっくりするくらい焦っちゃって。そんなオレが、優しいわけないんです」
優しくないと自らを語る翼さんの蕩けた瞳は、熱を帯び始める。「逃げるなら、今ですよ」と囁かれたが、甘い声は鼓膜を刺激し身体に馴染んでいくように熱を伴って、心臓まで侵していく。私が出来たことといえば、息を吐くことぐらい。
結局、逃げなかったのは私が選んだ結果なのだ。逃げられなかった、身体が言うことをきかなかった、なんて言い訳をするつもりはない。翼さんの頬の上で重ねられた手の小指で、彼の涙袋を撫でたのが合図となった。
大きな身体は、少し着膨れした私でもすっぽりと覆い隠してしまう。
「逃げないんですね」
「……翼さん」
「もう、ダメですよ。離しません」
髪に、額に、瞼に、頬に。ゆっくりと、柔らかな唇が押し当てられていく。五感は未だに麻痺したまま、口付けが落ちてきた場所だけ、まるでそこだけに感覚を司る細胞が集められたように、熱を持つ。
その熱に浮かされた状態の私をつまらなく思ったのか、鼻先には唇が触れるだけではなく、柔く甘噛みされて、いきなりのことに、ひっ、と声が出る。急になんてことを。情けない顔をしているであろう私と目が合った翼さんは、大型犬が主人に構ってもらえるのを期待するような表情をする。
「可愛い顔をしていたから、意地悪しちゃいました」
「……ただでさえ心臓に悪いことしてるのに」
「そうですね。オレたち、事務所ではいけないことをしてる。だから、今日はこれで最後にします」
私を抱き込んでいた手が緩み、頬に移動し、視線を外せないよう包み込む。
最後になにをするか、分からないフリなんてできない。
「目は閉じないで。オレのこと、ずっと見ててください」
今日、初めてを何度も見せた顔が、ゆっくりと近付いてくる。顔全体を見ることが出来なくなり、目で捉えられるものが減っていき、上唇が触れる頃には、お互いの瞳の色以外は全部見えなくなっていた。
二人で手を繋いで事務所を出て、ビルを出るときに離す。隣に並ぶ距離は変わらず、いつもより近いまま。さっきの出来事が夢の中のものではないことを証明しているようで、寒い外に出たはずなのに頬が熱くなる。
「プロデューサー」
「はい」
口から溢れた白い息が烟る。ユラユラと夜空に消えて行く。
「ずっと、オレのことを見ていてくださいね」
同じ返事がまた、夜空に消えていく。
「帰りましょうか」
「そうですね。明日も早いですから、ゆっくり休まないと。……でも、さっきのことを思い出して、嬉しくって眠れないかもしれません」
「……そんなこと言われたら、私だって意識しちゃうじゃないですか!」
「えへへ、やった」
「やったーじゃなくて、……もう」