スペイン公演も無事に終え、あとは日本に帰るだけ。
 公演は大成功。珍しい組み合わせのユニットとなり不安だってあったが、それぞれの努力や才能、そしてアイドルとして高みを目指す想いの強さが上手く重なって、スペインという地に相応しいステージとなった。そう私は思う。

 四人分の搭乗手続きを終えて、少しの空き時間が出来る。漣くんと志狼くんは、それぞれメンバーにお土産を買うようだ。硲さんは既に購入済みらしく、二人の保護者役を買って出てくれた。楽しそうに、……とは少し違うが、いつもの三人のペースでワイワイと空港の土産屋を回る姿を遠目に見ながら、私はスマートフォンを取り出す。三人の姿を写真に撮って、帰りを待ってくれているであろう山下さんにメッセージで送る。
「もうすぐ帰ります」と書いて、もうすぐと表現して良いのか迷う。スペインから日本まで、直行便に乗るとはいえ二十時間弱かかるのだ。迷った末、そのまま送る。

「うわっ、返事はや……」

 今日本は何時だろうか。画面に表示される「お疲れ様。これから飛行機乗る?」という、素っ気なさそうに見えて返事を待っているいじらしい(これを本人に言うと照れて拗ねる)文字に、思わず口元が緩む。
 なんて返事をしようか。時差を考慮し、到着時間を指で計算する。だいたい翌日の十六時くらいだろうか。会えるのは翌日かな。整理しながら返事を送る。
 一分ほど空いて、山下さんが送ってきたメッセージに私は目を見開く。

『ガラじゃないこと言うんだけどさ』
『ちょっと寂しかった。早く顔見たいな』
『なんて、ホントにらしくないよね。でも、早く会いたい』

 どうした山下さん。あまりのいじらしさに、お土産袋を両手で抱きしめてしまう。「荷物置いたら、すぐ行きますね」と即返事を書く。

『名前ちゃんが嫌じゃなかったら、荷物持ったままおいでよ。ご飯も作るし、おじさんと一緒の布団になっちゃうけど、ゆっくり休んでいいからさ』

「嘘でしょ山下さん……。可愛い……」

 山下さんの可愛さに頭を抱え始めたところで、硲さんが戻ってくる。私が山下さんを可愛いと表現したことが引っかかるのか、「山下くんのどの辺りが可愛いのだろうか……」とまじめに考え込んでしまう。

「何やってんだオマエら。頭でもぶつけたのか」
「れんー。ぶつけたっていうより、悩んでるって感じだと思うぜ」

 遅れてきた漣くんと志狼くんにまで不審に思われてしまう。楽しみにしてます! のあとに山下さんに送るためだけに買ったスタンプをタップして、私はスマートフォンの電源を落とす。





 空港で解散してすぐにモノレール、電車、地下鉄と乗り継いで山下さんの家を目指した。乗り換えが上手く出来たので、予定より三十分程早く到着して玄関前で深呼吸。急いで帰ってきたので、メイクもちょっと溶けていた。駅のトイレで直しておけば良かった、なんて後悔しても遅い。
 ちょっぴり甘そうなお醤油の香りがする、山下さんの家のインターホンを鳴らす。ぐう、とお腹が鳴ったのと同時に、エプロン姿の山下さんがドアの向こうから現れた。ふにゃっと目尻が優しい笑顔で出迎えられて、疲れも何もかもが吹っ飛んでいく。

「おかえりなさい、名前ちゃん」
「た、ただいま……!」
「ほら、外だと気が抜けないから。早くあがって」

 荷物はするりと山下さんの手に、そして玄関とキッチンの間に置かれる。それから山下さんは、世話を焼かれてなんとなく放心してしまった私の手を引いて家の中に招き入れ、ドアと鍵を閉めてからぎゅっと抱き締めてくれた。

「はあ……、名前ちゃんだ。うーん、ちょっと痩せた?」
「えっ、ほんと?」
「嬉しそうにしないの。心配してるんだから」

 脇腹を抓られ、くすぐったさに離れようとするも「まだダメ」と更に力を込めて更に力をこめて抱き締められる。山下さんが使っている柔軟剤の香りと、ちょっとだけ汗の匂いがして、いつもの日常の中に帰ってきたことを実感する。

「そうだ。お腹空いてる? もしかしたらと思って、色々作って置いたんだけど、食べる? ああ、先に風呂がいいって言うならそれに合わせて準備するし」
「……それ、アレですよね」
「えっ、なに」
「えー、……内緒です! お腹空いたんですけど、先にシャワー借りたいです」
「いいよ。おじさんの部屋着しかないけど、それでいい?」
「あのブカブカですね」

 何度か借りたことがあるスウェットを受け取り、浮かれた足取りでバスルームへと向かう。お腹も空いたし、さっさと全身洗ってしまおう。女の子らしい長風呂より、うっかり「お風呂とご飯、どっちにする?」なんてよくあるシチュエーションのセリフを言ってしまった山下さんの手作り夕飯の方が魅力的だ。
 まるで烏の行水のごとく風呂を済ませて、やはりブカブカのスウェットを着ると、さっきの山下さんと同じ香りに包まれる。無意識の首元を引っ張って、鼻をひくつかせてしまう。匂いを嗅いでしまうのも、それで気持ちが安らぐのも、まるで我が家に帰ってきた犬のようだ。山下さんの家なのに。思わず一人で笑っていると、ドア越しに「もうあがった? 入るよ」と声をかけられる。

「あれ、まだ髪乾かしてなかったの。風邪引くよ」
「そんな季節じゃないですよー。ちゃんと乾かしますけどね」

 最後に軽くタオルで髪の水分を拭き取り、ドライヤーを手に取ったのに、スイッチを入れようとしたところで奪われる。山下さんが「やってあげるよ」と私の髪を一掬い。

「ちょっと。そんなに驚いた顔しないでよ。おじさんだって、たまには可愛い彼女を甘やかしますよ」
「……寂しかったから?」
「覚えてたの……」

 勢いよくドライヤーの温風を当てられ、大きな手で頭皮側から髪を乾かされる。髪がなびく度、お揃いのシャンプーの香りがふわりと鼻をくすぐる。ドライヤーの轟音に隠すように、ぽつりぽつりと山下さんは話し始める。

「名前ちゃんが長期間居ないってこと、今までもあったから大丈夫だって思ったんだよね」

 低く穏やかな声だ。

「でも、今回ははざまさんも名前ちゃんも居なくて、るいと二人でさ。まさかこの歳になって、恋人と会えなくて寂しいなんて自分が言うとは思わなかったよ」
「山下さん……」
「長旅で疲れてるだろうなって言うのも分かってたけど、どうしても会いたくて色々と口実つけて、張り切っちゃってみたりして。……ワガママなおじさんでごめんね」

 鏡ごしに目が合うと、照れ臭そうに眉を下げて山下さんが笑う。本当に、なんて可愛い人なんだろう。思わず腕を伸ばして、山下さんに抱きついた。

「私も山下さんに会いたかったです。好き……!」
「へへ、……俺も名前ちゃんのこと好きだよ」
「すごいバカップルみたい」
「お互い大人なのにね。ま、今日くらいはそういうのもいいでしょ」