※幸村バレキスネタあり
※ギャグです


恋は人を惑わすという。

特段、そういった類の話に興味を示してこなかったこの俺、柳蓮二が申し上げるにバレンタイン・デイというのは製菓業界の策略であり、目論見であり、操作主義を正当化した先に齎された安心(崇拝に近い)ではないのか…いや、待て、言葉にしてみると俺が実につまらない男でしかない。それに俺は来たるこの日を否定しているわけではない。余談だが、幼い頃からの友人である青学の貞治はこの前「乾特製バレンタイン・チョコ」という第一級危険物の開発に黙々と専念していたし、微笑ましいと思う。

前置きが長くなったが、本日は2月14日のバレンタイン・デイだ。とにかく沢山のチョコレートを女生徒から貰う日で、今年も例年通り、昼休みの始まる頃には大きい紙袋三つ分くらいが俺の机の横に並んでいた。無造作に詰め込まれたプレゼントの小箱達が開け口から今にも溢れそうで、どうしたものかと椅子に腰掛けてそれらに視線を落としていたら、突然教室の扉が勢い良く開く音がする。バタン!キャー!なんて直後、女生徒達が揃って黄色い声を上げるこのパターン、何となく察してはいたが早足の靴音が此方に近づいて来たから、予想が確信へと変わった。

直後、俺を確信させた当人より放たれた第一声は、興奮に満ち満ちていた。

「あぁあ……蓮二!蓮二はいるかい…ハッ!蓮二!!ちょ、見て、見てくれないかいほらっ、さ、さっき名前が俺にくれたチョコレートなんだ。彼女が、俺のために用意してくれたものなんだ……これ、ほら、こんなに丁寧にラッピングしてくれるなんてこれって絶対に本命チョコだよね?俺の勘違いじゃないよね?いや、これはむしろ繰り返す二人の永遠の愛を誓うレベルだろ…あぁ……!」
「そうか。良かったな、精市」
「うん、最高に幸せだ…っ」

此方、バレンタイン・デイに感極まりすぎてる蒼髪の青年は、全国屈指のテニス名門高校、我が立海大附属中学の男子テニス部部長の幸村精市という。前々から精市は何かあるとすぐに俺のところに駆け付けてくるのだが、それは彼の想い人に関わる。男子テニス部の中では、いつの間にか有名になってしまった苗字名前さん(万が一、彼女に粗相をした場合、三日以内に幸村部長直々のタイマンミーティングもしくはシングルス(巷では死刑と呼ばれる)が決行されるという都市伝説があったりなかったり)は精市と同じクラスであり、精市が一番大事にしている女性だ。

そんな彼女から、このような日に、このような念願のチョコを貰えたのであれば男として嬉しくない筈がないのであろう。

精市が大切そうに掌に乗せている小箱は、確かに、名前らしさが滲み出ていた。桃色の包装紙で丁寧に梱包したその上から白のレースや、赤いリボン、小花が飾り付けられていて、更に加えるなら一つ、さりげなく添えられたうさぎさんのメッセージカードの文面が『お父さん。いつもありがとう。』なのは渡し間違えの確率100パーセントだが、ここは見なかったことにしておく。

「精市は本当に名前が好きなんだな」
「好きじゃなくて、愛してる」

真面目な声色、真面目な目付きは、俺の知る精市そのものだ。

あぁ、恋は人を惑わすという。精市とは長い付き合いだが、彼がここまで惚気るのは後にも先にも名前しかいないんじゃないかと、そんな気にさせるから無粋に茶化す真似などしない。俺だけでなく立海レギュラー陣も何となくそれを感じ取っているから、精市の大事な、名前を大事にするのだ。満更でもないこの関係性が意外に温かく、思わず笑みを零した。

「そうか。なら、いつか挙式に呼んでくれ。楽しみにしてるから」
「イエッサー。ふふ」

窓の外は冷たい風が木々を揺らすも、穏やかな日の差す甘い日の正午には、何故か来客が多いようだ。

教室の扉が開かれた矢先、またも黄色い歓声が飛び交う中で此方に歩いてくるのは丸井ブン太と仁王雅治のB組コンビだった。ちなみに精市と名前はC組、俺はF組。全く、皆、こんなところまでご苦労な事である。気怠そうに歩く仁王の手前、丸井が大きな紙袋を両腕に幾つも引っ提げながら、上機嫌に片手を振る。

「よっすよっす柳〜!ってあれ、幸村くん!?なんでここに」
「…おおん…俺は教室戻りたいんじゃ…いつまでも寝ていたいんじゃ……」
「ダメだぞ仁王っ、こんな大祭典の日に寝てるだけなんてお前、それ人生損してるからなマジ」

後ろに続く仁王に歩調を合わせた丸井が、パシンと彼の背中を軽く叩いて前へ前へと促した。整った口元に、にっと曲線の笑みを浮かべながら丸井は此方に向き直ると、俺と精市のすぐ傍まで来て、3ピースを目元に重ねたいつものシクヨロポーズを決め込み溌剌と話を続ける。

「ハッピー・バレンタイン!立海のスイーツ天使こと、丸井ブン太様がやってきたぜぃ☆」
「いや…それ自分で言ってて恥ずかしくならんのかのぅマジ」
「うるせぇ!背に腹はかえらんねぇ…というわけで柳、それに幸村くん。例年通り、食べきれないチョコはこの俺まで、どうぞ」

くるりと一回回って、バチン!とウインクを決めてくる丸井、やたらテンションが高い。

そういえば、甘いものが大好きな丸井には、俺や俺の家族に分けても食べきれない分のチョコレートを毎年渡していたのだった。折角頂いたものなので出来れば自分のところで食べ切りたいが、何分、量が多過ぎるし、渡す側からしてもそれは周知の事実らしい…それで、「食べきれないから」という理由で女生徒達からチョコレートを受け取るのを断ると、「丸井くんにあげてもいいから」という謎の立海物流システムがいつの間にか完成して、今に至る。丸井自身、沢山貰っているにも関わらず底の見えないスイーツ欲で喜んで平らげるから、誠に信頼できるチョコ集約センターといったところである。

「おっ?」

ふと、丸井が俺の机に置いてある桃色の小箱に気付いた。

「早速チョコ発見!一個もーらいっ」

日常が、非日常に変わるなんてしばしばあることだろう。それは、一瞬の出来事であった。

悪怯れない笑顔の丸井が片手を伸ばし、指先がその可愛らしい小箱に触れる寸前で、横から割って入った凶悪な力に手首を捻り上げられる。瞬間、苦痛に顔を歪ませる丸井が次に見たものは、正しく、この世の終わりであったという。絶望の淵へようこそ。

「…丸井……お前さぁ、誰のモノに手出そうとしてるんだい…ねぇ…」
「ゆ、ゆゆゆゆ幸村ぐいででででで」
「お望みなら味覚だけを奪おうか?…なぁスイーツ天使(笑)」
「や、やややめてすみませんごごごめんなさい許して下さい魔王様許して下さい」

殺傷力高そうなパワーS魔王精市を前に、必死に許しを請うスイーツ天使丸井は半泣きである。

自業自得だが、無知ほど恐ろしいものはないと俺は小さく頷きながら、後方で欠伸しながら伸びをする仁王を横目に再び小箱に視線を戻した。本当に精市に大事にされているんだな、名前。

やはり、柄にもなく二人の恋を応援したいと思える自分がそこにいた。理屈ではなく、ただ温かい。

「ゆ、幸村くんのこの怒り様……それって、ま、ま、まさか名前からの……」
「そうだな。名前から貰ったチョコレートだと、さっき精市は言ってたな」
「柳ィ!お前、それ、最優先で俺に知らせるべき事項だろうが!あっそろそろ折れる!折れる幸村くん」

血流の悪い丸井の顔がどんどん青ざめる中、遂に来た次の来客に、精市の動きがピタリと止まる。

「……せ、せぇいち…」

教室の扉に半身を隠しながら、恥ずかしそうに精市の名前を紡いだ彼女こそ、この物語の主人公ではないか。耳に心地良いトーン高めの声に呼ばれた精市は、鷲掴んだ丸井の手首を放って(その際、思いっきり後方に吹っ飛ばされた丸井の身体)、真っ先に彼女の元へ走っていってしまった。仁王はふらふらと自分の教室へ帰っていく。丸井は尻餅をついて目を回している。あぁ、賑やかさに目も眩む昼休みも、そろそろ終わりそうだ。

さて。恋は人を惑わすというけれど、例外は無いようである。

「…どうやら、俺もバレンタインに、惑わされてるみたいだ。…まさか、知られたら、お前はこんな俺を笑うだろうか?なぁ、……」

机の中に隠し持った唯一無二の小箱が嬉しくて、誰にも聞こえないように、そう送り主の名前を呟いてみる。

きっと、誰も知らないもう一つの、バレンタイン・デイがある。これはそんな幸せな一日のワンシーン。


end.
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幸村様バレキス発売おめでとうございます!CDネタを盛り込んでみました(笑)
柳視点ですが、柳にもバレンタインを幸せに迎えて欲しいと願って……ハッピーバレンタイン2016!