幸せの良悪なんて知らない。

ありふれた自論だ。輝かしく振りかざした正義は必ずしも正義とは限らない。他人が正義と信じた言葉は、自分にとって誠に不義かもしれない。訝しみ、すれ違い、一度手を取り合った仲間にさえ、人は心に小さな戦争を生む。世間一般的で無味乾燥とした前向きさにはまるで興味が無いし、つくづく、ポジティブなんて自己完結すればいいと思う。

Wお前の正義は、ばら撒くためにあるのか?W

さて、季節は梅雨に移り変わろうとしていた。寒暖差の多い季節、木の芽時(コノメドキ)は人の精神に不安定をもたらすと言われているけれど、立海の女生徒達も例外ではないらしい。裏庭から見上げた空は、清々しいくらいに快晴だった。陰りの一つもない眩しさがこの身に突き刺さるようで、思わず眉を顰める。

なにせ現状は最悪なのだ。

ここ最近で、昼休みに裏庭に呼び出されたのは、はて彼此何回目だろう。できたら昼には昼食が食べたい。呼び出しのおかげでまともに食べられない日が続くこと(放課後の部活のコンディションに影響しそうで多かれ少なかれ気を揉んでしまうのだ)に苛々を覚えながら、今日もまた見知らぬ女生徒から告白を受ける。

俺は警戒していた。此処は校舎からは見えない裏庭の壁際、陰りの中で訝しげに目を細める。生い茂る葉の木陰が俺の顔の上半分を巧みに影らせた。おかしな事に、ここ最近の女生徒達の告白はやけに攻撃的だった。季節の変わり目とはいえなんというか、積極的<迫真的、威圧的で割と散々なのだ。ただでさえ興味のないものにとことん興味を示せない。とにかく、過ぎたアピールは身を滅ぼす。

「あぁ本当に大好きです、幸村君!」

女生徒がいきなり俺の片腕に縋るように抱き着いてきた。つまらない瞳で見下ろす、無言の理由は聞くまでもない。

「……」

ザァ、と木々の隙間風が頭上を吹き抜けていく。敢えて、制服越しに柔らかな身体を密着させてくる、その初対面にしては過剰なスキンシップもといセックスアピールにはうんざりするばかりで、正直、嫌悪感しか抱けない。"言わずと知れているが、俺には前から心に決めた人がいるから"、女生徒のやっている、こういう行為は何もかも無意味だ。そうして、心で溜息をつきながら静かに口を開いた。

「…悪いけど、俺には他に好きな人がいるから君とは付き合えない。それよりこの手を離してくれないか?」
「どうして幸村君っ、そんな子よりいつか私の方が好きになるよ?ねぇだから私と付き合って、ねぇねぇ…!」

言っても手を離さない女生徒を上から睨み付ける。無意識だったから、やり過ごすつもりが煽られているのだ。

「私といた方が幸せだよ、幸村君」
「…」

加えて面倒としつこいのは嫌いだ…戒めても聞き分けのない相手に対して、行動に移すのは早かった。

瞬間、力任せに振り解いた彼女の両手首を掴み上げた。間髪入れず、壁に押し付けてやる。ギリ、と捻り上げるように手に力を込めて彼女の身体を壁に固定しながら内股の隙間に片足を捻じ込み無理矢理動きを封じた。容易く男の力で制圧してみれば、女生徒はなんら抵抗も無くむしろ嬉々として俺を受け入れる、その尻軽さには反吐が出そうだ。気持ちのやり場を探しつつ、つい棘のある言葉を向ける。

「ねぇ、あのさぁ…何を勘違いしているのかわからないけど、俺が君を好きになることはないよ」
「えっ」
「言うなればそれは君の幸せで、希望で、欲望なんだろ?ハッ…バカみたいだ。俺に君の勝手な理想を押し付けないでくれないか?」
「幸村く…」
「いいか、俺はね、あの子以外好きになれないし、こう見えて結構一途なんだ。それとね…悪いけれど、お前みたいな軽いのは願い下げだ」

言い切って拘束した手を離してやると、彼女は呆けて目を点にしていたからやはり俺はイメージと違っていたのだろうか。だから如何する事も無く、これ以上この場に留まる意味も無く、彼女を置いて足早に裏庭を後にする。こんな風に、恋愛に浮き足立つ季節なのか、どうにも恋愛の押し付けがましさが目立って俺は疲れてしまっていた。前髪を掻き上げながら、むすとした不機嫌な面持ちで廊下を歩く途中、窓から見えるコントラスト強めの新緑がいつもより美しく見えたから、少しだけ心和らぐ。

一難過ぎた昼休みも終盤だ。

廊下で賑わう生徒達の間をすり抜け、漸く自分の教室に辿り着く。席に腰掛け、さて昼食を食べ損ねたこの空腹感をどう凌ごうかと力無く(惨めである)考え始めた時だった。不意に、愛しい声が俺の名前を呼ぶ。

「せぇいち…」
「…名前…!」

上から降ってきたのは、一瞬、鈴の音かと思った。虚ろな瞳が一瞬で輝きを取り戻す。嬉々として顔を上げた先、綺麗な髪を揺らしながら此方を覗き込む少女に俺はいつだって心奪われているのだ。彼女の名前は、苗字名前さんという。

「おかえりなさい、精市。教室にいなかったから、少し探しちゃった」

そう言ってまた、屈託のない笑顔で微笑んでくれた。

これは人生で初めての恋で、片想いだ。俺は名前に恋愛感情を持っているけれど、名前は俺に恋愛感情は持っていないだろう。いつ報われるかもわからないし、無数の女生徒達の告白を断り続ける理由も無いのかもしれない。哀しくないのかと聞かれれば、先の見えない一方通行は至極、切ないものだと答えたい。ただ、存外、芽生えた想いは揺るぎなく、一途過ぎた。無自覚の笑顔に何度も、自覚させられてきた。

君が好きだと気付いてしまった、俺の負けだ。

片想いは幸せか?
幸せの良悪なんて知らない。

「あのね。精市、最近、お昼休みに教室にいないような…」
「え?あ、あぁ…?そんな大した用ではないんだけれど、なぜだか呼び出しが多くてね」
「そうなんだね。勉強も部活も、忙しいよね」

不自然な昼休みの不在については図星を突かれた上、名前が俺のことを気にかけてくれるなんてと内心舞い上がるダブルパンチに思わず目が泳いでしまう。あぁ、色白な頬を赤らめる彼女の姿は眼福で、空腹事情など一気にどうでもよくなるから不思議だ。他愛ない会話は程なくして昼休みを終えるチャイムを境に途切れたのだけど、最後、名前は後ろ手に隠し持っていた手作りうさぎさんクッキーの小包を俺に渡してくれた。開け口が赤いリボンで蝶々結びされていて、可愛らしさが彼女らしく、席に戻る彼女の背中を見送りながら口許を綻ばせる。君の一言はこうだ。

『精市に、笑って欲しいです』

輝かしく振りかざした正義は必ずしも正義とは限らない。他人が正義と信じた言葉は、自分にとって誠に不義かもしれない。

Wお前の正義は、ばら撒くためにあるのか?

ただ、君からばら撒かれた何もかもが、今はどうしようもなく嬉しくて、愛しかったんだ。


end.
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不自然な管理人の不在(約一年ぶりくらいの新作でした…笑)