※恋に恐怖する幸村様の話。弱いです


人を好きになって、知る恐怖がある。

ただ、傷付くことが怖い。こんなにも保身的で臆病だったのかと、己を疑うくらいにだ。例えるならまるで子供のように、俺は君より身長が高いのに、俯いて、上目に君の様子を伺っては一喜一憂している。こんなぎこちない笑顔で、一体、君と何を話そう?

「…俺は、君のことを…」

伏し目がちに呟いた。思ったよりか細い声だ。その先を続ける勇気は、ない。

追い風の吹かない五月、立夏を迎え、蒸し返すような暑さに梅雨の予兆を感じる季節になってきた。未だ制服のワイシャツは長袖指定だし、外にいる生徒の大半は腕まくりしているような状況だ。屋内は空調が効いているからつい暑さを忘れるが、何分、俺は美化委員会に属している上、趣味も相まって花壇の世話を任されることが多い。部活の時間は勿論、それも含めて外にいる時間は他の生徒より長い気がする。

そうしてまた今日も、片手にジョウロを携えて花壇の前に立つ。今は放課後の委員会活動の時間だ。ちなみにこの後テニス部の練習が待っているから、出来るだけ手早く済ませなければいけない。敷地内にはいくつか花壇があり、多年草、一年草などと成長の周期はまばらで、季節ごとに咲く草花を楽しみにしているのだけれど、今の時期の見どころはアイリスや百合の花といったところか。とにかく、穏やかな気持ちで四季の移ろいを見守りながら丁寧に水をあげていく。まだ落ちない日を受けて、オレンジのマリーゴールドの葉に乗った水滴がきらりと光った。眩さに目を細め、それらを愛しく思っていると、不意に後ろから名前を呼ばれた。
声で君だとすぐにわかって、どきりと心臓が跳ね上がる。

「精市…っ、ここにいた!やっと見つけた…はぁ…っ」
「あ、え、名前?」

何せ、彼女、苗字名前さんは俺の特別な人だから、驚いて慌てて振り向いた拍子にジョウロの先から幾らか水を撒き散らしてしまった。ジョウロの取っ手を固く持ち直しながら、どうか俺の動揺を察しないでくれと、誤魔化すようにワイシャツを腕まくりし直す。どうやら名前はここまで走って来たらしい。彼女は、肩を上下させて呼吸を整えた後に、まだ少し苦しそうにしながらにっこりと俺に笑って見せた。

「あの、精市のことね、テニス部の人が探してたの。さっき私達の教室に来てね…急ぎだから、早くテニス部の部室に来て欲しいって」
「え、えっと…それを伝えるためにわざわざ俺を探してくれたのかい?」
「うん…!」

どうやら、テニス部の緊急収集を知らせに来てくれたらしい。思わず聞き返したのは、彼女は部のマネージャーでもなければ、まさか俺を探し回ってくれるような親密な仲ではないと信じ難かったからだ。自ずと浅はかな期待が内心渦巻く。それは、俺のことを想ってしてくれたことなのか?視界の端で、つい今しがた水遣りしたばかりのオレンジ色がけらけらと笑っている。舞い上がりそうで、勘違いするなと、名前の好意をどう受け取っていいのか困惑しながら目を逸らした。落ち着かない様子の俺を見て、名前は小首を傾げながら話を続ける。

「あのね、今日は外でお花にお水をあげる日だって、この前のお昼休みに精市が私に話してくれたの、覚えてたの」
「そうか…そうだっけ、ありがとう名前」
「ううん、ここにいたんだね。見つけられてよかった」

そういえば、確かに数日前にそんなことを話した記憶がある。普通ならきっとすぐ忘れてしまうような、他愛ない会話を覚えていてくれたことが嬉しかった。

その後も、花壇の花を眺めては綺麗だね、とか精市が育ててるなんてすごいね、とか彼女は気ままに話し掛けてくれるけれど、まるで焦点を君だけに当てたような世界に浸ってしまって、上の空の返事しか出来なかった。例えば、こんな話がある。恋は病というけれど、生物学的には脳内物質に大きく影響される、状態的にはドラッグ使用時に似通うものがあるそうだ。鼓動は速く、呼吸は浅い。確かにある種のトランス状態かもしれない。理論でも感情論でもいいから、君の笑顔に見惚れている今が確かだ。幸せだ。君が好きだ。君を知れて、好きになれて本当によかった。

そしてふと、どこからか滲み出てきて、心に過ぎる不安がそこにあるのも事実だった。

"でも、この恋が報われるとも限らないのに?"

「…、…精市?」
「…ッあ…、ご、ごめん。いや、あの…」

呼ばれた声にハッとして我に返ると、名前が此方を不思議そうに覗き込んでいた。

新緑に囲まれた比較的静かな校舎の外れで、何羽かの小鳥の囀りだけが沈黙の間を持たせる。まだ呼吸が浅い。今の一瞬に恐怖した、先の無い恋の恐ろしさに、無意識に一歩後退りする。君を好きだと気付いてから、黒くて消せないその恐怖は常に隣り合わせだった。俺の弱い部分が露呈されていく。

"どうせ叶わないなら、恋なんて早くやめてしまった方が楽だ"

ゾッとして上手く口が回らない。無理矢理はにかむけれど、多分上手く笑えていない。こんなぎこちない笑顔で、一体、君と何を話そう?

「…俺は、君のことを…」

こんなにも好きな君のことを、好きでいる資格があるのか?

「…いや、なんでもないんだ…」

そうして言葉は失われた。折角彼女が呼びに来てくれたのだし、早く部室に行くべきなんてことはわかっている。あぁ、咄嗟に取り繕ったはずの笑顔が段々と萎れていく。硝子玉のように透き通った美しい瞳に映し出された男の、全く、ひどい顔といったらない。

君を前にする度に思う。好きという気持ちはもっと単純だと思っていた。恋なんて掴み所の無く、一時的な惑いとさえ訝しんだ。それが当事者になってみればどうだ。君を大事にしたいのに大事の仕方がわからない。不用意な言葉で君を傷付けるかもしれないし、もう傷付けた後かもしれない。触れたいのに、嫌な顔をされるのが怖くて触れられない。

君が嫌悪感を抱くタイミングがわからない。君が俺から逃げ出すタイミングがわからない。

自分に自信がない。失恋が恐い。
小鳥の囀りが止んだ。

連鎖する恐怖に打ち勝てない俺の傍では、オレンジのマリーゴールドの花が爛々と咲き誇る。花言葉は『絶望』、『悲しみ』だ。瞳孔が開いて、つう、と冷たい汗が首筋を伝った。今日はもう此処に留まることは良くない気がして、足早に彼女の元から離れようとしたその直後だ。名前は咄嗟に此方へ駆け寄り、弱い力で俺の手首を掴むと、少し上擦った声で呼び掛けた。

「…っ精市、…あのっ」
「…ッ」
「部活がんばって…っ」

美しい円な瞳が揺らいでいる。心配そうな顔をさせてしまっている。そうやって、君はいつも優しい。ほんの数秒で、端的な感情が幾つも頭に過ぎった。

「…ありがとう、部活がんばってくる」

想えば想う程、手探りの闇は深い。俺は今度こそ、ちゃんと笑えていただろうか。


end.

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恋を恐れる弱い幸村様の心情をとにかくつらつら書いてみたかった…かなり顕著に引け腰です。
マリーゴールドは可愛いし綺麗な花だと思っているんですが、オレンジのマリーゴールドの花言葉が絶望というそのギャップが好きです