結局、俺には勝利しか残されていなかったのだ。

それは俺に課せられた義務だ。成し遂げなければ何の意味も無く、いつだって悲しいほどに俺の心臓を鷲掴み、どこまでも魅了し侵食していく。そうして「勝利」の二文字の前に過程は見る見る霞み、色鮮やかな感情は死に、結果論で語らざる得なくなった俺はただただ、今日も擦り減ったラケットのグリップを握る。

散々蹴落として求めたものは何だ?散々睨まれて得られたものは何だ?そうやって築き上げてきた「王者」なんて後付けのレッテルに興味は一切無い。

そう。俺が欲しいものは、後にも先にも勝利だけなのだから。

「練習止め!皆集合してくれ、話がある」

全国を控えた夏の渇いた日だった。ジリジリ照り付ける太陽の下、病上がりの不慣れな身体に鞭打ちテニスコートに立つ。部長である俺の一声に部員達が各トレーニングの手を止め集合したのを確認すると、突然どうしたのかとでも聞きたげな真田の視線を横目に認めつつ、前方に向き直った。見据えた先、レギュラー陣は勿論のこと、苦しくもレギュラー入りを果たせなかった部員達の表情までも隙が無く部内のモチベーションは上々だろう。けれどどうにも今日は暑い。それが厄して練習効率は普段に比べて格段に悪いのは明らかだった。

カラカラに渇いたコートに風は一つも吹かない。鬱陶しいくらい、空は雲一つない快晴だ。

「皆、動きが悪過ぎるよ。いいか、欲しいのは結果だ。そんなことでは優勝なんて夢のまた夢だ」

両腕を組み厳しい声色でそう言い放つと、彼らの顔に少しばかり疲れの色が濃くなったような気がした。皆にストレスを与えているのは承知で、しかし俺は引かない。懸念材料は本番までに極力減らしたい、鋭い眼力で大勢を見渡しながら付け加える。

「いいかい、今日の休憩は延長だよ。大会がもしこんな炎天下の日だったらどうする?そんな動きでは恐らく上に上がってくるだろう青学、四天に勝つことは到底出来ないだろう。もっと体力をつけないと」
「精市、ちょっといいか」
「なんだい蓮二?指導中だよ」

す、と右手を軽く上げながら俺の話を遮る蓮二をギロリと一瞥する。柳蓮二は部活中の俺に怯まない数少ない友人で、それまで物静かに話を聞いていた彼は愛用のデータノートを片腕に淡々と用を述べてきた。

「休憩延長は宜しくないな。小まめな水分補給はスポーツの基礎だろう?それ位お前ならわかっているはずだが」
「わかってるさ。けれど試合中に自分都合に小まめな休憩が取れるか?取れないだろう?取る必要もない位、俺達は強くならないと」
「それは、また…大きく履き違えたような話だな。どうしたんだ精市、らしくないぞ」

履き違えた?誰が?カチンと来た一言に構わず蓮二を睨みつけるけれど、まるで柳に風の如く彼は動じない。むしろ普段は細めている瞳を開眼させて、強い意志を持って真っ向から俺に向き合ってくる。全く、どうしてうちの部はこうも真っ向勝負したがる奴が多いんだ。引け目など一切無いといった感じで、互いの視線が数メートルの距離を置いてぶつかり合った。神の子と参謀の穏やかでないやり取りを、真田を筆頭に部員達は落ち着かない様子で見守る。

蓮二は善悪判断のつく聡明な男だ。その蓮二が俺に訴える所があるのであれば聞き入れたい所だが、正直、俺は焦っていた。今この時一番倒れやすく、一番練習の足りていない部員が誰なのか、俺は知っていたのだ。自覚していたのだ、自覚したくもない現実を。

「…いいよ、それじゃ蓮二の好きにすればいいだろ。俺は帰るよ。…通院があるからね」
「ゆ、幸村、お前」
「真田、後は頼んだよ」

くるりとコートに背を向け歩き出すと、敢えて今まで口を挟まなかったのであろう真田がおずおずと俺を呼び止める。けれどそれには振り返る事も無く、短く答えて早々にその場を去ってしまった。否、そんな颯爽としたものでは無く、居た堪れなく逃げてしまった。あぁ、肩に揺れる夕日色の頼りなさに血が出るんじゃないかという位強く唇を噛み締める。俯きながら早足に部室へ向かう途中、思わず羽織り直したそれはしっとりと汗で湿っていた。

要するに、八つ当たりな訳だ。救えない。傍若無人で部長にあるまじき行為だ。至らない自分の両足を思い切り睨み付ける。

「…ッ……」

果たして至らないのは自分の足か?身体か?いいや、俺の心だ。

そうして手早く制服に着替えた俺は乱暴にロッカーを閉め部室を後にした。校門を抜け、乱された感情を押し殺して病院へ向かう。悔し涙なんて忘れてしまった。そう、余計な事は考えるな、試合を間近に控えた今俺は死ぬ気でコンディションを元に戻せば良いだけの話。立海を三連覇に導けばいいだけの話。優勝すればいいだけの話。勝てばいいだけの話。

結局、俺には勝利しか残されていなかったのだ。


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立海の敗北が辛い