ピンポーン。

「は、はいっ……!」

小鳥の囀りが耳に心地良い、優しい木漏れ日の遙か上空、どこまでも続く遠い空はこれから何かを予感させるようだ。鳴ったインターフォンに気付いた私は鏡の前からガタリと立ち上がり、まだ結びかけの髪を気にしながら慌ただしく玄関の扉へ小走りする。時刻は十時ぴったり、あぁもうこんな時間になってしまっていたみたい…半泣きでドアノブを握る掌は熱く、私の中で脈打つ小さな心臓はもっと熱いだろう。

今は閉ざされたその先で、私をずっと待っている人を私は知っている。待たせて待たせて、待たせてしまったあの人が、また私を待っている。だから今度は、私からあの人を迎えに行こう。髪に揺れてるリボンが、軽やかに翻った。

ガチャリ。

「名前!おはよう!あぁ今日もとても可愛いね、俺は幸せだ…!」
「せ、せせ、精い…!?はぅっ」
「あ、君にまた花束を持って来たんだ。とても似合うよ、綺麗だ。さすが俺の将来の妻」
「お、お、お付き合いするとは言ったけど、ま…まだ婚約するなんて言ってないよっ…!」

開いた扉の先で今か今かと待ち構えた第一声は嬉々としていて、その直後、伸ばされた両腕に強引に引き寄せられてしまう。細身の見た目によらず相変わらずパワーSの包容力といったら無い。良く知った温度と花の香りに一瞬の内に包まれながら、ぎゅう!ときつく抱き締められた身体では、辛うじて爪先が床につく程度で身動きもろくに取れない。玄関先での堰を切ったような精市の抱擁にたじたじになりながらも、そんな中で、今にも埋れそうな視界の端に鮮やかな真紅の薔薇を見つけたのだ。

「…っ」

トクントクンと、私の中の恋愛時計の秒針がゆっくり進む。そういう時間の過ごし方に不慣れな私は、どうして、眉尻を下げ、熱の滲んだ瞳で、それからそっと彼に体重を預けてみる。

『俺の気持ち、受け取ってくれるよね?』″

紅い薔薇の意味を知っていますか?花言葉は『死ぬほど恋い焦がれています』だと、いつか彼は私に教えてくれた。

今なら真っ正面から受け取ることができる。貴方の紅い薔薇を全て私にくださいますか?

彼の胸板にそっと両掌を当てながら恥ずかしい気持ちで顔を上げると、彼もまた私のことをじっと上から見つめているようだった。鼻先がぶつかりそうなくらいの距離ならいつしか交わす言葉も忘れて、幸村精市という存在に初恋を知る。整った目鼻立ちの貴方はいつだって当たり前みたいに格好良くて、テニスが上手で頭も良く女の子たちの憧れで、視線に射抜かれたら腰から砕けてしまいそうなのはファンの子だけじゃないんだよ。甘えたいのは、ファンの子だけじゃないんだよ。少しウェーブのかかった深みある青色が、神様の吐息を受けて一面の水色を背に靡いた。

精市の切れ長の瞳にありありと映し出される、今の私は酷く甘えんぼさんだ。私の知らない私で、ましてや精市が知る由もない。悟られたらきっと嫌われてしまうと、こんな日にだけ勇気を出して、桃色のリップを重ねてみた唇をやんわりと噛み締める。

好きです、精市。
こんな気持ち、どうしたらいいのかな。

「薔薇、あ、ありがとう…!こんなにたくさん、綺麗に咲いてる」
「いいんだよ、君のために育てているんだから」
「大切に飾るね…あの、嬉しい、本当に嬉しいの。ありがとう精市。…あの…あぅ…えと…あっそうだ、早く花瓶に…んっ」

そうやって紡ぐ言葉のぎこちなさといったら無い。一旦離れようとする私の腕を精市は咄嗟に掴むと、そのまま力任せに自身の方へ引き寄せた。そうして次の瞬間、無防備な桃色の唇へ深く口付ける。同時に私の足元にパサリと薔薇の花束が地面に落ちる音がした。けれどそんなことを気にしない様子の精市は、捉えた身体を一層強く抱き竦め、唇で唇を喰む間も、緊張に震える私の表情をその目に焼き付けているようだった。あぁ、この感じ、生温い唾液の感触にぞくりと身震いする。舌先をくちゅりとなぞるだけの小さな痺れを伴うキスは、まるで魔法のように私の五感を奪い去る。

「…ッふ…ァ……っ」

ガクリと力の抜けた私の肢体を余裕の片腕で支えると、精市は私を見下ろしながらフッと微笑んだ。

「駄目だよ、行かせない。」
「…っ…せ、いち」
「…ねぇ、名前。今日は随分可愛い唇だね?それって俺のためのものだよね?…はぁ…これは…困ったな…」

今日は最初から最後まで優しくエスコートするつもりだったのに…なんて、何処か遠い目で独り言を呟く彼は諦めモードだ。休日の朝、家の前の少ない人通に安堵したのは胸のドキドキがきっと外に聞こえてしまっているから。今度は、私からあの人を迎えに行こう。そういう気持ちできゅうと握り締めた貴方の掌が、思っていたよりもずっと熱かったから、お揃いだってあの時とても、嬉しかったんだよ。


end.
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もしも両想いになれたら。ありがとうございます40万打記念!