いいお返事


どうやら今回の語り手は僕のようだね。
百物語とは夏の季語でね、なかなかどうして風流な遊びをするじゃないか、と思ったら。君が発案したのかい?
そうかそうか。では、この夜を目一杯楽しんでくれれば此れ幸い、だ。

さて。僕が語るのは、うちの本丸で実際に体験した話なんだがね。ああ、 僕がどの本丸の歌仙兼定か、なんて探るのはよしてくれないか。君の知らない本丸さ。

そう、その本丸の初期刀はこの僕、歌仙兼定だった。
顕現され、初めて主を見た時はその幼さに驚いたよ。齢4、5といったところだろうか。こんな童子をも審神者業に就かせるとは、政府も随分と困窮しているのかもしれない、と思った。
主の小さな手を引いて、僕達に与えられた本丸に帰った日のことは今でもよく覚えている。これからの行く末を考えて途方に暮れたことも、ね。

しかし、主は僕の予想を良い意味で裏切ってくれる人だったよ。幼さを盾に甘えや弱音を撒き散らして癇癪を起こすと思っていたんだが。実際は、本丸で生活を始めて翌日には既に僕を戦場に送り、手入れを怠らず、日課も着々とこなしていった。
それでも、やはり主はまだ童だ。遊びたい盛りだろうに「第二次性徴期を終えるまで霊力が安定しないため、適切な時期が来るまで屋敷内から一歩も出てはならない」という政府からの指示のせいで、庭で駆け回ったり蹴鞠をすることも出来なかった。

そこで、僕と主がよくやっていたのは隠れ鬼。もっぱら僕が鬼で、隠れた主を探し回る。あの子は見つかると大層悔しそうで、今度こそ見つかるまい、と躍起になっていたよ。そんな風に隠れ鬼を続ける内に、主のお気に入りの場所は葛籠の中に決まった。君達がよく知る"だんぼぉる"、それに近いものだよ。
主の体は小さいからね、葛籠で覆い隠すと全く見えなくなる。一度、隠れ鬼の最中に僕が「降参だ、見つからない。僕の主はどこだい?」と声を上げると、葛籠の中から大層嬉しそうな「はーい、ここ」と笑い声が聞こえてきた。初めて僕に白旗を上げさせたことが相当嬉しかったんだろう、その後も隠れ鬼だけじゃなく、例えば喧嘩をした時、落ち込んだ時、構ってほしくなった時、いつも葛籠に隠れて僕から声が掛かるのを待っていた。そして、僕が主を呼ぶと、決まって嬉しそうに「はーい」と返事をしてくれたよ。

そして。その日、僕は万屋に出向いていた。大抵のものは主の支給品である"ぱそこん"の"ねっと"を使えばすぐに買えるんだが、如何せん僕はあの箱が好きになれなくてね。僕が万屋に行く間、屋敷から出られない主には留守を頼むことになってしまうんだが、出来るかぎり主の身の回りのものや口に入れる食べ物はこの目で確認してから持ち込みたい主義なんだ。早く帰るから、と主を宥めてから万屋へ来たは良いものの、今回の買い出しは入用のものが多くてね。彼方此方と買い回って、本丸へ帰り着いたのは普段よりも随分と時間を開けてからのことだった。

急いで主を探し回ると、広間にはいつもの葛籠があった。何かを覆い隠すように伏せてある状態からして、拗ねた主が中で隠れているであろうことは容易に想像できたよ。そこで、僕はいつもの遊びに付き合うことにした。
「主、今帰ったよ。侘しい思いをさせてすまなかった。どこにいるんだい?」
出来るだけ声が葛籠に向かないように、辺りを見回しながら声をかける。いつもならこれで返事をしてくれるんだが、今回は随分と立腹しているらしく反応してくれなかった。
「主、本当にすまなかったよ。今度から入用のものが多い時は"ねっと"を使おう。八つ時の菓子も買ってきたんだよ。主、どこだい?」
そう声をかけると、葛籠の中から「はい」と返事がきたのだけれど。それは確かに主の声なのに、酷く無機質で抑揚が一切感じられないんだ。
「主?」
「はーい」
「そこにいるのかい?」
「はーい」
まるで変わらない声音。「はーい」と鳴る玩具を相手に喋っているような、明らかに人のそれとは違う声の響き。これは一体何なんだ?一太刀に斬り伏せようか、と思ったが、抑揚のなさ以外は主なんだ。主の声なんだ。それが僕をより一層混乱させた。
「…主?」
「はーい」
「…、主…?」
「はーい」
「───本当に、主なのかい?」
「………」
ぴたり、声が止んだ。空気の流れが止まった。待てども待てども葛籠の中からは返事がない。もう一度「主、」と呼びかけたが、中の"それ"は応えるのを止めてしまった。
一歩。また一歩。僕は葛籠に近付いたよ。いつでも抜刀できるように右手は刀の柄にかけ、左手を葛籠に伸ばした。あと少し、あと少しで指先がそこに触れる。その時だった。
「…歌仙?おかえりなさい…もう帰ってたんだ」
主の声に咄嗟に振り返ると、そこには目を擦りながら眠たげな欠伸を漏らす主の姿。どうやら僕の帰りを待っている間にうたた寝してしまっていたらしい。
やはりこの葛籠、物の怪の類か何かが憑いている。主には悪いが、直ちに処分しなければ。万が一、主に何かあっては困るので別の部屋への避難を促そうとすると、「うわあ懐かしい」と嬉しそうな声を上げながら主は僕の隣にきて葛籠を見下ろした。
「これ、昔小さい頃に歌仙と隠れ鬼して遊んだ葛籠だ。懐かしいなあ、倉庫から持ってきたの?」
まるで遠い記憶のように語る主を見て、僕は心底肝が冷えたね。今、隣にいる主の背丈は、どれほど頑張って折り畳もうとこの葛籠では覆い隠せない。声も成長期を迎えて甲高さをなくし、落ち着いている。昨日今日で突然大きくなった訳じゃない、僕は主の成長を誰よりも近くで見てきたじゃないか。
いや、それなら僕が今日まで遊んでいたこの葛籠の中身は一体何なのか。訳がわからなかった。頭がおかしくなりそうだったよ。何が現実で、何が非現実なのか。僕は無意識に「主」と口にしていた。

返事があった。
隣から「なに?歌仙」という主の声と、葛籠の中から確かに「はーい」という、嬉しそうな誰かの声が。